第19話:お泊まりの翌朝と、新婚ごっこのような焦げたトースト
小鳥のさえずりで目が覚めた。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、埃の舞う6畳間を照らしている。
「……あ、体が軽い」
昨日の高熱が嘘のように引いていた。
関節の痛みもない。喉の痛みも消えている。
あの「1杯5万円の謎粥」と、彼女の懸命な看病のおかげだろう。
俺は体を起こし、部屋を見渡した。
パイプ椅子に座ったまま、ベッドに突っ伏して眠っている綾小路さんの姿があった。
「……お疲れ様、シズク」
普段は鉄壁の「アンチ活動家」であり「冷徹なプロデューサー」である彼女が、今は無防備な寝息を立てている。
ズレた眼鏡。少し跳ねた三つ編み。
口元には、微かにヨダレの跡。
(風邪移っちゃうぞ、こんなところで寝たら)
俺はそっとベッドを抜け出すと、彼女の華奢な体を抱き上げた。
いわゆる「お姫様抱っこ」だ。
驚くほど軽い。
いつも俺の人生を(物理的にも金銭的にも)振り回しているとは思えない軽さだ。
彼女をベッドに寝かせ、掛け布団を丁寧にかけ直す。
彼女は「んぅ……カイト君……」と寝言を漏らし、俺の枕に顔を擦り付けた。
……破壊力が凄まじい。
俺は一瞬、心臓が跳ねるのを自覚しながら、台所へと向かった。
「……ん、んん……?」
30分後。
綾小路さんが目を覚ました気配がした。
「おはよう。起きた?」
俺はフライパンを持ったまま振り返る。
綾小路さんは寝ぼけ眼で眼鏡を探し、周囲を見回して――状況を理解したのか、ボッと顔を赤くした。
「わ、私、いつの間にベッドに!? 寝落ちしましたか!? 不覚です! 監視役がターゲットより先に熟睡するなんて!」
「俺が運んだんだよ。椅子じゃ体痛くなるだろ」
「は、運んだ……? 貴方が、私を……?」
彼女は自分の体をペタペタと触り、それから俺の枕(彼女が顔を埋めていたやつ)を見て、湯気が出そうなほど硬直した。
「さ、顔洗ってきなよ。朝飯できてるから」
「あ、朝食……?」
ちゃぶ台には、少し焦げたトーストと、不格好な目玉焼き。
そしてインスタントのコーヒー。
彼女が普段食べているであろう、高級ホテルのブレックファストとは雲泥の差だ。
「昨日の『5万円のお粥』のお返しにはならないけどさ。……看病、ありがとな」
俺が照れくささを隠してそう言うと、綾小路さんは言葉を失ったように立ち尽くした。
そして、おずおずとちゃぶ台の前に正座する。
「……いただきます」
カジッ。サクサク。
静かな部屋に、トーストを齧る音が響く。
「……どう? 焦げてるけど」
「……最高です」
綾小路さんは、トーストを両手で大事そうに持ちながら、潤んだ瞳で俺を見上げた。
「三ツ星シェフの料理より、金粉まみれのステーキより……貴方が私のために焼いてくれたこの炭水化物の塊が、世界で一番美味しいです」
「言い方! でも、まあ……よかった」
「この焦げ目、ラップに包んで持ち帰ってもいいですか?」
「食べてよ。お腹壊すよ」
朝日の中、二人で向かい合って朝食を食べる。
ただそれだけのことなのに、なんだかひどくむず痒い。
まるで、新婚夫婦の休日のようだ。
綾小路さんも同じことを考えているのか、耳まで真っ赤にして、コーヒーカップに口をつけている。
普段の威圧感はどこへやら。今はただの「恋する乙女」だ。
「……カイト君」
「ん?」
「一生、風邪を引いていてくれませんか? そうすれば、毎日こうして……」
「それは困るかな!」
俺が苦笑すると、彼女もふふっと笑った。
その笑顔があまりに可愛くて、俺は見とれてしまう。
その時。
ちゃぶ台の上に置いてあった俺のスマホが、空気を読まずに震えた。
【 ¥50,000 】
死ね死ね団:
ニヤニヤすんな気持ち悪い。でも、そのエプロン姿は悪くない。……ていうか、私の寝顔見たろ? 保存したか? 保存してないなら今すぐ脳内メモリから出力してSDカードに焼け。結婚式のスライドで使うから。
「目の前にいるのに!! あと結婚式が既定路線になってる!!」
「……照れ隠しです」
綾小路さんはスマホを操作しながら、焦げたトーストの最後の一口を、愛おしそうに口に含んだ。
6畳一間の朝食会は、どんな高級ディナーよりも甘い味がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます