第一部:Tさんの証言2
二日目の早朝八時半。作業開始の日だった。
Tさんたちは禁足地の手前にある斜面で、ボーリングマシンを起動して地層確認の作業を進めていた。岩盤にたどり着けば、その日の作業は終わるはずだった。
「くそ、十一時になっても岩盤が出てこない。三日はかかりそうだ」
周囲は昼でも暗く、頭上の葉が光を遮っている。ときおり、鳥の鳴き声が消えて森が静まり返る時間があったそうだ。
「このくらいなら日帰りで終わりますね」
Bさんが明るく言った直後だった。
——ガチャン!
重い音とともに、組んでいた足場の一部が突然外れて崩れた。Tさんが間一髪で近くの木に飛び移ったため、大事には至らなかった。数センチずれていれば、太腿を挟まれて骨折していたかもしれない。
「おかしいな。足場は確認したはずなんだけど」
Bさんが何度も図面と工具を確認したが、異常はなかった。風もなく、揺れる要素はない。それなのに、ピンポイントで外れていた。
不穏な空気の中、昼食休憩を取った。だが、戻ろうとしたそのとき、Sさんが顔を青くして叫んだ。
「車が、やられてる!」
駐車していた軽トラのフロント部分が、大きな石に押し潰されていた。崖から落ちた形跡はなく、まるで持ち上げて落としたような異様な角度だったという。
「これ、完全に事故だよな?」
Tさんが呟いたが、誰も何も返さなかった。
依頼主に相談した結果、午後からの作業は足場を組み直して続けることになった。機材を運ぼうとすると、なぜか道具が滑って倒れる。地面が異様に柔らかい。杭が打てない。鉄パイプが曲がる。支柱が傾く。
何度やっても、その位置だけ、まるで何かを拒んでいるように阻まれた。
施工主に事情を電話で話して待機することになった。
Tさんがふと気づくと、霧がまた出てきていた。
その霧の向こうに——確かに見えた。もう何十年も手入れされていないような灰色の屋根。崩れかけた木材。周囲から浮かび上がるように、そこだけが別の空間だった。
「Tさん、これ場所がズレてませんか?」
Bさんがそう言ったとき、Tさんもようやく気づいたという。
祠が、数メートルほど動いていた。
「いたずらかもな。悪質なやつがいるのかも」
Sさんは苛立ったように言った。
だがTさんは何かを言いかけて、ためらった。この時、なんとなくこの祠について触れない方が良いと直感したそうだ。
翌朝、Sさんは役所に連絡して祠の撤去許可を取ろうとしたが、書類上では「対象物なし」と処理された。彼らは集落の村長に直接話を聞きに行った。
「祠? いやぁ、あの辺りには何もなかったはずじゃがの」
村長は柔らかい口調で首を振った。
Tさんは、言いかけた言葉を飲み込んだという。村長の目が、何かを思い出しかけては打ち消すような、空虚な動きをしていたからだ。
村長が念のため神主に聞いてみたり、歴史資料室で調べても、祠に関しての情報は無かった。
「ま、誰も知らんちゅうことは、大したもんじゃなかろ。壊してええんじゃないかの」
翌日。Sさんは撤去のため再び現場へ向かった。TさんとBさんも同行した。
ところが、森の入口を越えたあたりから、霧が濃くなり始めた。スマホを確認すると、GPSの位置情報が二つの県の境界線上を行ったり来たりしていた。
Sさんが腰のコンパスを見て、顔色を変えたという。
「針が、安定しない」
彼の手の中で、コンパスの針は小刻みに震え、円を描くように揺れていた。
「この辺り、磁鉄鉱の鉱床でもあるんですか?」
Tさんが尋ねたが、Sさんは首を振った。
「地質図にそんなものは載ってない」
針が、ある一点——祠のある方角だけを、執拗に避けているように見えた。
「おかしいな、さっきまで見えてた道が」
Sさんが立ち止まったとき、彼は突然、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
「かえして……さがしてる……ちがう、これは……」
「Sさん?」
Tさんが声をかけたが、Sさんは顔を上げなかった。しばらくして、彼はゆっくりと振り向いた。
その目が、まるで誰かの目じゃなかったという。白目が異様に大きく、焦点が合っていない。血色のない唇がわずかに動いて、低い声が漏れた。
「みつけた」
——そして彼は、霧の中にゆっくりと歩き出し、そのまま見えなくなった。
その日のうちに、Sさんは山中で倒れているのが発見された。首が、なかった。それ以外の損傷はなく、まるでそこだけが抜き取られたようだった。
作業は即日中止となり、関係者は解散。警察に通報して事情聴取を受けた。現場検証をしても手がかりが全くつかめず、Sさんの死は事故死として処理された。首の行方は、いくら捜索しても見つからなかった。
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