第一部:Tさんの証言3

 警察から解放された三日後。


 Tさんは一人で村を歩いた。あの祠について、もう少し知っておきたかった。だが、村の誰もが、それ以上の話をしたがらなかった。門前払いをされた家もあった。


「あれは無かったことになっとる。だが、もしかしたらこの神社の神主なら知っているかもしれん」


 唯一、そんな風に口にした老婆も、すぐに口を噤んだ。

 老婆が教えてくれた地図を頼りに、Tさんは山を下りたところにある小さな神社を訪れた。


 神主は、やけに無表情な年配の男だった。話を聞き終えると、彼はため息をついてから、ゆっくりと口を開いた。


「その祠、私は知りませんね。だが、首無し神という伝承なら、この地方に残っています」

「首無し神?」

「古くはくびおとしさまとも呼ばれていました」


 神主は視線を落とし、ひと呼吸置いてから続けた。


「この地方では、江戸時代に大規模な一揆がありました。首謀者とされた者たちは斬首され、その首は晒し首にされた。しかし、胴体だけは——密かに、山中に埋められたと言われています」


「それが、祠に?」

「ええ。首のないまま祀られた神は、自分の失われた首を探し続ける。そして——」


 神主は声を落とした。


「見た者の首を、代わりに求めるんです」


 Tさんは無意識に喉元に手をやったという。

 神主は目を細めて言葉を続けた。


「祠が動いたとおっしゃってましたね。あれは、首を探して彷徨っているのかもしれません」

「それは、呪いのようなものですか?」

「呪いというより……封印が崩れかけているんです」


 神主は、古びた帳簿の棚へと向かった。和紙を綴じた古い台帳を数冊引き出し、めくる。乾いた紙の音だけが響いた。


「以前ね。祠を見たと言っていた人がいたんです。五年ほど前だったかな。若い測量士だったはずなんですが、その方も祠を見てから体調を崩して仕事を辞めたと聞きました」


「同じ場所で?」

「ええ、H集落の東。時計塔のあたりです」


 神主はもう一冊帳簿を取り出し、今度はページを少しめくったところで手を止めた。


「あれ?」


 彼の眉がわずかに動いた。見つけた、という顔ではなかった。何かが抜けていると気づいた顔だった。


「変ですね。ここに、その人の名前を記録したはずなんですが……ない」


 神主の手が、わずかに震えていたという。


「消されたんですか?」

「いえ、私が書いたのは覚えてます。日付も。使った筆の色も、墨が滲んだ場所も。でも、今見たら……その行だけ、文字がなくて、余白になっている」


 Tさんに帳簿を見せてくれたそうだが、確かに該当部分は何も書かれていないどころか、汚れも手垢の後もなく真っ新だった。まるで、そこの部分だけ新品のページを添えたようで不気味だったという。


「通常、こうした禁足地には何らかの供養や神事の記録があるはずです。しかし……ここには、それが何もない」


 神主の声が硬くなった。


「つまり、記録されない土地ということになる」

「記録されない?」

「何かを封じるためではなく、それが書き残すことすら許されない存在だった可能性です」


 神主はゆっくりとTさんの方を向いた。その目は、先ほどまでよりもずっと、細く、鋭くなっていた。


「君と、私は今、確かにこの話をしてますよね?」

「ええ、当然です」

「でも、それは……本当に今だけのことなんですかね?」


 Tさんは息を飲んだという。

 神主はもう一度、何も書かれていない余白をじっと見つめて言った。


「この話、してるのが……君の方だけじゃないと、言い切れますか?」


 Tさんは、何も言えなかったそうだ。


「だから、関わってはいけない。君はまだ名前を得ていないから、大丈夫かもしれない」

「名前?」

「そう。あれに、君自身の何かを持っていかれてないか、よく思い出してから……帰りなさい」


 その後、神主のご厚意でTさんはお祓いを受けてから、依頼主が手配したレンタカーで帰ることができたという。


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