第5話:氷の令嬢は看病したい

 翌日。

 俺、春トは自室のベッドで死んでいた。

 体温計の表示は38.5度。見事な高熱だ。


(……自業自得、だよなぁ)


 昨日の相合傘。

 冬月さんを濡らさないようにと体を張りすぎた結果、右半身がずぶ濡れになり、そのまま風邪を引いてしまった。

 頭がガンガンするし、体も重い。

 けれど、後悔は微塵もなかった。


(あの時、冬月さんが右側……俺が濡れてる右肩に、そっと寄り添ってくれたぬくもり……。あれを思い出せば、熱くらい余裕で耐えられる……)


 ニヤニヤしながらそんなことを考えていると、不意に部屋のドアがノックされた。

 母さんだろうか。


「春ト、起きてる? クラスの子がプリント届けに来てくれたわよー」


 母さんの能天気な声。

 クラスの子? 誰だ? 俺にそんな親切な友達いたっけ?

 男子なら適当に追い返してくれと思いつつ、俺は掠れた声で「……入っていいよ」と答えた。


 ガチャリ、とドアが開く。

 そこに立っていた人物を見て、俺は熱で霞む目を疑った。


「……お邪魔します」


 制服姿の冬月さんが、そこにいた。

 手には学校のプリントと、なぜかスーパーの袋を提げている。


(……え? 幻覚? ついに熱で脳が焼き切れたか?)

(冬月さんが俺の部屋にいるとか、そんな天国みたいなことあるわけないし……)


 俺が呆然としていると、冬月さんは母さんに「あとは私が見ますから」と頭を下げ、母さんを退室させた。

 そして、ベッドの脇に椅子を持ってきて腰を下ろす。


「……大丈夫?」


 いつもより少し不安げな声。

 ひんやりとした手が、俺の熱い額に触れる。


(うわ、冷たくて気持ちいい……。これ夢かな。夢でもいいや。……冬月さんが来てくれるなら、もう一生このままでもいい……)


 俺の心の声(という名のうわ言に近い思考)が聞こえたのか、冬月さんは少し顔を赤くして、パッと手を引っ込めた。


「……バカ」


 彼女は短くそう呟くと、買ってきた袋からタッパーを取り出した。

 中身は、湯気を立てているお粥だ。

 え、わざわざ作ってきてくれたの? 俺のために?


(天使だ……お迎えが来たんだ……。ありがとう神様、俺の人生、短かったけど最高でした……)


「……死なないでよ」


 冬月さんは呆れたように言うと、お粥をスプーンで掬い、フーフーと息を吹きかけて冷まし始めた。

 その仕草が、あまりにも家庭的で、可愛らしくて。

 俺の心拍数は爆上がりし、熱がさらに上がりそうになる。


「……はい、あーん」


 差し出されたスプーン。

 俺は震える口を開き、パクリと食べる。

 優しい出汁の味が、口いっぱいに広がった。


(うっっっま……! 何これ、優しさが五臓六腑に染み渡る……。冬月さんの手料理、世界一美味しい……)

(……あー、好きだなぁ。本当に、大好きだ……)


 熱のせいで思考のブレーキが壊れていた。

 普段なら絶対に抑え込むはずの、核心めいた想い。

 それが、心の声として、まっすぐに溢れ出てしまった。


 ピタリ。

 冬月さんの手が止まる。

 彼女は顔を真っ赤に染め、俯いてわなわなと震えだした。


「……っ、ずルイ」


 蚊の鳴くような声。

 けれど、俺の耳にははっきりと届いた。


「……私も、なのに」


 え?

 今、なんて?

 俺が聞き返そうと口を開くより早く、冬月さんはガバッと立ち上がり、「……あとは、自分で食べて!」と言い捨てて部屋を飛び出して行ってしまった。


 後には、食べかけのお粥と、冬月さんの残り香だけが漂っていた。

 俺はしばらく呆然とした後、枕に顔を埋めて叫んだ。

 熱は下がった気がするが、別の意味で体温が沸騰していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る