第4話:氷の令嬢は相合傘をしたい

 放課後。

 俺は昇降口の前で立ち尽くしていた。

 空からは、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降り注いでいる。天気予報では晴れだったはずなのに、この惨状だ。


「うわ、マジか……」


 周りの生徒たちが次々と傘を開いて帰っていく中、俺は自分の鞄に傘が入っていないことを確認して絶望していた。

 置き傘もない。走って帰るには距離がありすぎる。


(詰んだ。これ、濡れて帰るしかないやつか? 風邪引く自信あるわ……)


 俺が覚悟を決めて、雨の中へ飛び出そうとした時だった。

 コツ、コツ、とローファーの音が近づいてきた。

 ふと横を見ると、そこには『氷の令嬢』こと冬月さんが立っていた。

 手には上品な紺色の折りたたみ傘を持っている。


(あ、冬月さんだ。……いいなぁ、傘あって。さすが冬月さん、準備が良い)


 俺は羨望の眼差しを向ける。

 冬月さんは傘を開くと、ふと立ち止まり、チラリと俺の方を見た。


(……相合傘とか、できたら最高なんだけどなぁ。冬月さんと一つの傘に入るとか、全男子の夢だよな。……ま、夢のまた夢だけど)


 俺が自嘲気味に心の中で呟いた、その直後。

 冬月さんがくるりと踵を返し、俺の目の前まで戻ってきた。

 そして、無言で傘を差し出した。


「えっ?」


 俺が目を丸くすると、彼女は顔をプイッと背けたまま、ボソッと言った。


「……入れば?」


(ええええ!? マジで!? 俺の心の声(願望)が通じた!? 神様ありがとう!!)


 心臓が破裂しそうになりながらも、俺は「あ、ありがとう! 助かる!」と頭を下げる。

 しかし、ここで問題が発生した。

 冬月さんの傘は、一人用としては十分だが、二人で入るには少し小さい。


(これ、相当近づかないと濡れるよな? ……いいのか? 本当にいいのか俺!?)


 恐る恐る傘の下に入ると、冬月さんの肩と俺の肩が触れそうな距離になった。

 傘の中は、雨音で外界の音が遮断され、まるで二人だけの世界のようだ。

 そして、ふわっと甘い柑橘系の香りが包み込んでくる。


(ち、近い……! 心臓の音が聞こえそうなくらい近い! てか、めっちゃいい匂いする!)

(うわ、冬月さんの横顔、至近距離で見ると美しすぎて直視できない……! 長い睫毛に雨の雫がついてるのとか、芸術的すぎんか?)


 俺が平静を装いつつ内心で悶絶していると、ふと冬月さんの左肩が少し濡れているのに気づいた。

 彼女は俺にスペースを譲ろうとして、自分の方を狭くしているのだ。


(あ、冬月さん濡れてるじゃん! やばい、俺なんかのために『氷の令嬢』を濡らすわけにはいかない!)


「冬月さん、もう少し俺の方に寄って。濡れてるよ」

「……平気」

「平気じゃないって。ほら」


 俺は勇気を出して、傘の柄を握る彼女の手に、自分の手を添えた。

 そして、グイッと傘を冬月さんの方へ傾ける。

 その分、俺の右肩はずぶ濡れになるが、そんなことはどうでもいい。


(俺は男だし濡れてもいいけど、冬月さんに風邪引かせるわけにはいかないからな。……てか、手、また触っちゃった……温かい……)


 俺が心の中でデレデレしながら、男気(?)を見せると。

 冬月さんの体が、微かに震えた。

 見ると、彼女は耳まで真っ赤にして、俯いている。


(……っ)


 そして次の瞬間。

 彼女は無言のまま、ほんの少しだけ――コトン、と。

 俺の腕に、自分の体を預けてきた。


(えっ!? ちょ、えええ!? 冬月さんが寄り添ってきた!? これ現実!? 夢なら覚めないでくれえええ!!)


 俺の脳内絶叫が轟く中、雨足はさらに強くなる。

 でも、俺たちの間にある温もりだけは、冷たい雨に消されることはなかった。


 ◇


 実のところ、冬月さんは教室のロッカーに、もっと大きな長傘を置いていた。

 それを使えば、二人でも余裕を持って入れたはずだ。

 けれど、彼女はあえて小さな折りたたみ傘を選んだ。

 

(……だって、この方が、くっつけるから)


 春トの右肩が濡れているのを見て、申し訳なさと、守られている嬉しさで胸がいっぱいになる。

 雨が小降りになっても、もう少しだけ、このままでいたい。

 素直になれない氷の令嬢は、心の中でそう願っていた。

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