4-3
俺はカラオケボックスのソファーにポツンと座っていた。
なんと瑠愛ちゃんから「やっぱり、二人きりになれる場所にしませんか……?」とムフフな提案を受けたので、葛藤の末にカラオケの個室に落ち着いたわけである。
エリンギが頭にチラつきましたが欲には勝てませんでした。
しかし、この流れには既知感がある。
「ごめんなさい、お待たせしましたー。ドリンクバーってすごいですねー!!」
お目当てのジュースをグラスに入れた瑠愛ちゃんが部屋に戻ってくる。
「向こうにはないの?」
「あるにはあるみたいなんですが、私は見たことないです!」
カラオケ店までの道中も日本とフランスの違いなんかの話が中心で、まだ肝心の呼び出された理由は聞けないままでいた。
「えーと、それでさ。俺に何か用でもあるのかな……? しかも二人きりで話さなきゃいけないようなことなんだよね?」
俺もバカじゃない。美少女がいきなり一目惚れ。そんなご都合主義みたいな展開があるわけがないだろうに。そういうのは花火の一件で懲りているんだよ。……花火の一件?
あぁ分かったぞ、既知感の正体が。瑠愛ちゃんの行動が被るんだ。吸血鬼であることを告白してきたあの日の花火と。
「――もう本題に入っていいんですか~? なーんだ、まだ純粋無垢な帰国子女キャラを演じていたかったのにぃ~」
「演じる……?」
先程までの天使みたいな穏やかな笑顔は消え去り、相手をバカにする表情でクスクスと笑っていた。笑い方一つで印象がガラッと変わる。
天使が小悪魔になった。
「実はわたしぃー、ヴァンパイアハンターなんですよね~」
なるほど、ここまで花火の時と同じ流れになるとはな。驚いていないと言えば嘘になるが、吸血鬼がいるならその天敵が存在してもおかしくない。
「えーと、それはどういう意味かな? ゲームの話? フランスで流行ってるとか?」
一応、すっとぼけておく。ハンターってことは吸血鬼を退治する専門家ってことだろ。
つまり、花火の命が危ない。
俺と花火の繋がりを気取られるわけにはいかなかった。
「ダメですよー、衛藤さん。ネタは上がってるんですからぁ!」
顔の真横を彼女のおみ足が通過し、ドンっと壁にぶつかる音がする。
いわゆる壁ドンの足Verといったところか。身長は小さいが西洋の血が混じっているだけある。足が細く長い。胴長短足が多い日本人とは真逆だ。
てか、パンツ見えそう。座る位置を調整してスカートの中を覗きたい。
「ほらほら、女の子がそんなことしない。パンツ見えちゃうよ? むしろ見ていい?」
許可を取ることにした。
こんな時でも性欲に忠実な俺。我ながらアホである。
「見たければ、見てもいいですよぉ~?」
蠱惑的な顔で挑発するように笑う。とってもエッチです。
しかし、こういう時には日本人としての心を大事にしなくてはいけない。
「じゃ、遠慮なく」
控えめ・慎ましさではなく、MOTTAINAIの精神です。せっかく見せてくれるんだ。しっかり堪能させてもらおうじゃないですか。
ケツを手前にスライドして、角度をつけさせてもらう。では、ご対面。
「ふむふむ……って、え?」
どんなエロい下着かと思ったら、やけにシンプルでなんて言うか子供っぽい? あれ、しかもよく見るとあれって――――もしや、クマ!?
「クマさんパンツ!? 現実にこんなの穿いてるやついんの!?」
「な、な、なんで本当に見てるんですかぁ! ぶ、ぶっ殺しますよ!!」
「見ていいって言ったじゃん!?」
瑠愛ちゃんは足を下ろして、モジモジと恥ずかしそうにしていた。
急に雰囲気が変わって驚いたけど、なんだ可愛いらしさは健在じゃないか。
「日本人はシャイだから、言っても見ないと思ってたんですぅ!」
「それは誤解さ。日本人はみんなHENTAIだよ?」
脳内のバーチャル士郎が「お前の問題に日本人を巻き込むな!」的なツッコミをしていた。
「こ、これが……ヘ、ヘンタイの国…………ジャポン!?」
瑠愛ちゃんは戦々恐々としている。
後でいい感じにフォローしておこう。お国柄ってのは確かにあるかもしれないけど、実際には色んな人がいますから(雑まとめ)。
「……って、話が逸れましたね。それで衛藤さん。吸血鬼のこと、知ってますよねぇ?」
コメディな雰囲気から一気にシリアスに。高低差で耳キーンとなるわ。
しかし、ピンポイントで俺に話し掛けてきた時点で、当たりは付いているんだろうな。
「ちなみにその心は?」
「吸血鬼が人の血を吸うと、特殊なニオイが生じるんです。それが観測されたので、わたしがこの街に派遣されました。衛藤さんは臭うんです。吸血鬼、学校の中にいるんでしょ?」
「臭うってひどいなー」
何となく事情が読めてきた。この間、花火が俺の血を吸ったことによって全てが動き出したというわけか。
たぶん、そのニオイってやつは花火自身も無自覚なんだろうな。
図らずしも自分の血を吸い続けたことで、こういった輩の目を逃れていたわけだ。
一番の救いは瑠愛ちゃんがまだ花火の特定に至っていないところか。ただ、時間の問題なのは間違いない。
「衛藤さんが被害者なのは分かってますよ~。吸血鬼に〈魅了〉されてるんですよね?」
「あ、いや……俺は……」
「ふふふ、情けなーい。けど、安心してください。今、ちゃんと解除してあげますから」
両手でガシッと顔面をホールドされる。そのまま彼女は顔を近づけてきた。
鼻先と鼻先が後少しでくっつきそうな距離感。こんな近距離でも毛穴一つ見えない。彼女の透き通った白い肌で視界が覆い尽くされる。
「目、よく見てくださーい」
淡く澄んだブルー。夏空と海を夢想させる精彩な輝き。ただ綺麗だった。
彼女に言われるまでもなく、いつまでも覗いていたい。魅せられている。あぁ、これが彼女の瞳が持つ魔法なのか。
「どうですかー? わたしの〈擬似魅了〉で上書きしたんですけどー? ってことでー、まずはさっきの愚行に対する謝罪をしてもらいましょうかねぇ? ほらほら~、ジャポンの土下座スタイル見せてくださいよー?」
どうやら〈魅了〉を使えるのは花火だけではないみたいだ。瑠愛ちゃんは「擬似」と言っているが何か異なるのだろうか。
まぁ、そんなことはどうでもよくて。この展開は一度経験済みなんですわ。
「ご機嫌なところ悪いけど、土下座はお断りで」
「な、なんで!? どうして効いてないんですか!?」
「俺もよく分かってないんだけど、そういうの効かないらしくて」
花火に続き二回目。そういう体質なんですかね。ここまで来ると逆に経験してみたい気持ちがあるけどな。どうなるのか気になるし。
「考えられるのは……魔術師や妖術師の類だけどそんな風には見えないし……、組織に属している感じもない……当然、異形のものではないわけで…………」
瑠愛ちゃんはぶつぶつと意味不明なことを言っている。
魔術師に妖術師? 組織? 異形のもの? その厨二全開の設定はなんやねん。……でも、心当たりがないわけじゃないんだよな。
花火の存在はもちろんのこと、それ以外にも――――
「じゃあ、〈祝福〉ってこと? ……なんでこんな軽薄そうな人に」
「あれれ、もしや俺ディスられてる感じー?」
「そうですよ! 衛藤さんには分不相応な能力があるみたいなんで!」
「せんせー! ちっとも全然分からないので、一から詳しく教えてください!」
分不相応と言われましても、そんな能力があることを今知りました。
後学のために、瑠愛ちゃんからは諸々の設定について詳細を聞いておきたい。
「せ、先生……? 悪くない響き……。し、し、仕方がないですねっ! ダメダメな衛藤さんにレクチャーしてあげます。心して聞いてくださいよ!」
あ、この子はチョロいタイプかもしれない。
――――瑠愛ちゃんの話を要約するとこうだ。
アニメや漫画、小説で題材となるような空想上の存在はその大半が実在している。
吸血鬼も獣人も妖怪も天使も悪魔も魔術師も妖術師も。
それらは国家レベルで認識されており、然るべき機関がそれぞれに対して、個別対応を行なっている。そういった集団を総称して『組織』と呼ぶ。
俺が持っているとされる〈祝福〉はそういった異形や魔術の血筋に関係なく、性別年齢国籍を問わず無作為に発現する特殊能力を指すらしい。
「おバカな衛藤さんでも分か~りやすく説明しましたよ~。理解できましたかぁ?」
「分かりましたけど、分かりません!」
瑠愛ちゃんの挑発は一旦置いておく。後でしっかり泣かせます。
とりあえず、話の内容はきちんと理解できている。けど、理解と受容は別の事柄だ。自分が認識していた世界像が一気に崩れ落ち、足元の地面が消失したような感覚だった。
「何でですか! わたしの説明に不備があるとでも!?」
「いやいや、言っていることは理解したよ。けどさ、信じるに値する根拠が……」
「でも、衛藤さん。少なくとも、吸血鬼の実在は確認しているじゃないですかー?」
「…………」
そこを突かれると二重の意味で苦しい。
吸血鬼の実在を肯定すること、それはすなわち吸血鬼との繋がりを認めることであり、ひいては瑠愛ちゃんの話が真実であることの証明になる。
だからこそ、俺は答えられずに口をつぐむしかなかった。
「はいはい、もういいですって~。全部バレてますから。さっき自分で〈魅了〉を過去に受けたことがある、そんな発言をしてたじゃないですか~」
迂闊だった。全くもってその通りである。数十分で嘘がめくれてしまった。このペースだと花火の正体がバレるのも二、三日の問題だろう。
よし、作戦を変更しよう。なんとかして説得するしかない。
「そのー、悪い吸血鬼ではないんだって。最近まで他人の血を吸わなかったわけでさ」
「衛藤さんに一つ言っておきますね」
眉ひとつ動かさず、事務的なトーンで彼女は続けた。
「吸血鬼の権利は多くの国で認められています。吸血鬼の団体がロビー活動をしてますから」
「そ、それなら!」
「……でも、わたしが所属する『組織』には関係ないんです。悪魔、魔女、そして吸血鬼なら容赦無く始末する超過激派。それなのに表では有名な団体です。強い力を持っています」
結局、吸血鬼のような存在がいてもいなくても対立構造が生まれるのは必然だ。
違いがあるからこそ人は争う。そして、自分と完全に同一の存在などはありえない。究極的には人間が二人しかいなくても諍いや争いは発生する。
「良い人とか悪い人とか関係ありません。ただ、そういう方針なんです」
淡々、粛々と事実だけを述べる。冷徹で、非情で、無慈悲な喋り方だった。
そんな彼女の物言いは、一見付け入る隙がないように思える。しかし、俺には気付いたことがあった。
「……吸血鬼を害するのが、組織の方針ってのは分かったよ。それで流川さん――いや、瑠愛個人はどう思ってるんだ?」
今の発言の中に彼女の私見は含まれていなかった。俺は彼女自身の言葉が聞きたい。
「わたしは……吸血鬼を、殺します。…………それだけですよ」
「そっか」
歯切れは悪かったが、瑠愛は「殺す」とハッキリ言葉にした。
こうなると選択肢は限られてくる。逃げるか、もしくは戦うか。俺も花火も覚悟を決めなくてはならない。
「…………でも、せっかく日本に来れましたからね。すぐ仕事をするのはもったいないです。しばらく様子を見ます。だから、衛藤さんは数日中にお別れを済ませてください」
「へぇ、意外と優しいんだな」
「う、うるさいです! そういうのじゃないですから!」
瑠愛は顔を赤くしてぷんぷん怒っていた。
冷酷そうな彼女が見せた甘さ。いや、あえて優しさと言いたい。俺はこの優しさに賭けてみたいと思った。
「おっけおっけ。了解した。じゃあ、せっかくだしカラオケしてこうぜ」
「こ、この流れで!? バカなんじゃないですか!?」
「でもほら、フリータイムで入ったし。ドリンクバーもソフトクリームもある」
それを三◯分もせずに終わらせてしまうくらいなら、シリアスな流れなどいくらでもぶった斬ってやりますわ。
「そ、ソフトクリーム!?」
「興味ありだな」
そこに食いつくとは可愛げがある。甘いものがお好みらしい。ここまで話してみて、瑠愛からはどこか幼い印象を覚える。外見に引っ張られているのかもしれないが。
「その顔ウザいでーす!」
「いや、すまんすまん。なんか年下感があってついな」
新潟にいる妹を思い出した。今年で中学二年生になるから、俺とは三つ歳が離れている。
最後に会ったのはあいつが中学生に上がる前だった。
歳がそんなに離れてないから、昔はよく喧嘩していたのが懐かしい。……まぁ、俺が中三になってからはそういうこともなくなったけどな。
とにかく、瑠愛の生意気なところが当時の妹と被るのだ。
「はぁ? なに当たり前のこと言ってるんですかぁ? 衛藤さんの方が年上でしょー。だから敬うところがなくても、一応は敬語を使ってるんじゃないですかー」
相変わらず憎たらしい物言いだった。
けど、問題はそこではない。
「どういうことだ? 早生まれとかそういう話? 俺もまだ一六歳のままだから、年上も年下もないだろ」
まだ五月だ。誕生日を迎えていない生徒の方が多数派のはず。俺の周りだと大輝が一七歳になってはいるけど、かといって奴に敬語を使うつもりは毛頭ないぞ。
「あ、そっかー。日本の学校って同い年の人間が集まる場所ですもんね。……まぁ、わたしはフランスの学校にも通ってなかったですけど」
「その言い方的に、同い年ではないってことだよな。んで、瑠愛は今いくつなんだ?」
瑠愛がふと見せた切なげな表情が印象的ではあった。
だが、今は彼女の実年齢について早急に確認をしておきたい。
「えっとぉー、今年で一四歳ですかねー」
「中坊かよ!」
まさかの妹と同い年だった。この手の輩はどうして当然のように年齢詐称をするのか。
「でもでもー、衛藤さんよりは賢いと思いますよー?」
「うっせー、くまさんパンツ」
一四歳ならあの下着も納得……いや、さすがに幼すぎない? 小学生でもいるかいないかのレベルだと思う。そこをイジらせてもらった。
そっちが挑発してくるなら喧嘩は買ってやろう。妹と何度やり合ったと思っている。
「なっ……な、なっ!! そそ、それ以上言ったら、ぶっ殺しますよ!」
「ほらほら、落ち着けってー。大好きなソフトクリーム持ってきてあげるからさー」
「子供扱いしないでください!」
これまでの生意気な言動に対する仕返しである。年下に良いようにされる衛藤英吉ではない。しっかりと上下関係を教えてやろう。
それから時間の許す限り、瑠愛とカラオケを楽しむことになった。
人生初カラオケということもあって揶揄いがあったな。歌自体は結構上手かったけど。
――シリアスパートなのにシリアスになりきれない。
やはり、俺にはこの少女が人を殺せるようには到底思えなかった。
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