白露 支配されていく村

 村の中心の方で男たちの騒ぐ声が聞こえた。静かにしていれば話の内容を聞き取ることができる。どうやらヒャクドウ殿が、兄上殿に勝負を持ちかけたみたいだ。長は二人もいらない、近々敵が攻めてくるだろうからここで長を一人にして一丸となって戦うべきだとヒャクドウ殿は喋っていた。

 頭に血が上りやすい人かと思ったけど戦に関してはそれなりに考えていたようだ。負けた側は恨みつらみを一切捨てて死合に勝った方の傘下に入る。目的はこの村を守ること、奴ら滅ぼすこと。これ以上のいがみ合いは無意味だ、と言っているみたいだ。

 それに関して兄上殿の声は一言も聞こえてこない。あまり口数が多い人ではないと思っていたけど、わかった、というような返事さえない。そのことに相手側の村人たちからも何だその態度はと怒りの声が聞こえてくる。

 今更だけど、兄上殿は一体何を考えて何を目指しているんだろう。幼い頃から神力がなくて周りから全く期待されないというのは辛いことなのかもしれない。


 僕は生まれた頃から一人だった。そして生まれた瞬間から周りの全ての生き物から追い回されて攻撃されて、死ぬんじゃないかっていう思いをたくさんしてきた。辛いと思っていたけど、村の生活を見るようになって思う。わかりあえそうな人たちが周りにたくさんいるのに全くわかりあえない、自分より下だと見下されることの方がとても苦しいんじゃないかと。

 僕はこの家から出るわけにはいかないから全て音で判断するしかない。どちらが勝っても負けた方はおそらく殺されるだろう。

 まとまるにはそれしかないのかもしれないけど。本当にそれ以外の纏め上げる道は、方法はなかったのだろうか。似た者同士なのだから手と手を取り合えばいいのに。僕は人じゃないから彼らの気持ちがわからない。



 ハク様の体は……あの日、夜のうちに僕が山に埋めた。人ひとりを運ぶ位には力が強くなった、体を傷つけないように布の上に乗せて、布を引きずって。

あの人と初めて会った木苺がたくさん生っていたところ。ハク様が座っていた切り株のすぐ横に。

 お墓にしてあげたかったけど、もし人ならざる者が来てしまったら目印となるものは残せない。掘り起こされてバラバラにされてしまうかもしれない。それだけ彼らの恨みは根深い。夜が明けてしまう前に必死に穴を掘って深い深い土の中に埋めた。山が好きだと言っていたハク様が、山と一つになれればいいなと思いながら。

 すぐ近くにはいつ誰が建てたかもわからない例の社もある。切り株とこの社は昔からあるものだからおかしな目印ではないはずだ。僕があなたの代わりにこの部屋に居続けなければいけないから、次に来る事はもうないかもしれないけど。


どうかあなたが安らかに眠れますように。社があるなら神様がいるのだろうか、この山には。


 泣いてばかりはいられない、僕ができるのは声真似だけ。部屋の中に乗り込まれたら終わりだ。この部屋に入るときは死ぬ時だと思いとは言ったけど、決死の覚悟で乗り込んでくる人も時間が経てば出てくるだろう。そうなったらどうなるのかなんて分かり切ってる。それでもいいんだ、僕にはその後できることがあるんだから。

 こうして薄暗い家の中に一人いるといろいろなことを考える。あの人もそうだったのだろう、結界を張りながらたった一人でずっと、ずっと考えていたに違いない。

ハク様、あなたは一体何を考えていたのでしょうか。


 外から男たちの怒号と歓声が聞こえた。決着がついたんだ。男たちが数人泣きながらヒャクドウ、ヒャクドウ、と言っている。

 そうか、勝ったのは兄上殿か。ヒャクドウ殿は……多分もう生きてはいないのだろうな。兄上殿の姿は何回か見たことがある、常に大太刀を手にしていた。あんなもので斬りつけられたら無事であるはずがない。

 そして、じゃり、じゃり、とこちらに歩いてくる音。それに続く複数の足音。まずい、兄上殿たちだ。彼の性格を考えれば部屋に入ってくるかもしれない。緊張で体が強張る、息をひそめた。


「出てこい!」


 大きな声にびくりと体がはねる。怒鳴り声は苦手だ。僕はいつも山の獣たちに威嚇されて生きてきたから。


「今この村は俺が長に相応しい。だが、一応しきたりに従って勝負してやる。刀を持って出てこい!」

「しきたりは神力の力比べだろう!」


 今怒鳴ったのはヒャクドウ殿を慕っていた者か。神力が強い者が長になるなら、そういう風習も頷ける。


「神力などなくても化け物どもを殺せるだろうが、俺がそうしてきた!」


……区別なく、殺してきただけだ。あの日の夜、女との会話でそう言っていた。僕にも聞こえてきた。


「もはや長の資質に神力は不要だ! 古臭い考えを押し付ける年寄りどもはもういない、ここでしきたりを変える! それに神力がすべてなら、貴様ら全員役立たずということだが良いのだな!」


 その言葉に静まり返った。みんなどこか不満だったんだ、神力がすべての考え方に。力の弱い者はどんどん下働きにされていく。だからこそ、神力がある人に必要以上にすべてを押し付けていたのか。嫉妬して、怒りに震えていたから。


なんで、自分達で不幸になる生き方をしてしまうんだろうか。


「何の術だか知らんが、結界が張れないほど力がないなら大した術でもなかろうが! さっさとでてこい! いつまでそうやって俺を見下すつもりだ!」


 見下してなんていない。もしかしたら興味もなかったかもしれないけど……。言葉があるのに、どうしてわかりあえないのかな。兄弟なのに。


「そうか、それが貴様の答えか。今この時をもって俺が長だ。貴様はこの村の者でもなんでもない。出て行くもそこでくたばるも好きにしろ。食い物を持ってくのも井戸を使うのも許さん」


 そう言うと、足音が遠ざかっていく。そして。


「奴が井戸を使っていたら斬り殺せ。ただの屑だ」


 多人数の足音も遠ざかり、静かになった。……なんとしのげた。しのげたけど、事態は悪い方に行くばかりだ。ある意味もうここに人は来ないからいいけど……。

 今この村は結界がない、人ならざる者たちがいつ村を襲撃するかわからない。たぶん戦の準備をするはずだ。人数が減ったのなら、その底上げに使われるのは間違いなく。




「何でアタシ達がそんな事しなきゃいけないんだ!」

「この子はまだ五つなのよ!? ふざけないで!」


 やっぱり女子供に戦いを強要している。奴らがすぐそこまできてるかもしれないのに、米いじりしてる場合か! と怒鳴る男たち。

 ぎゃあぎゃあと口論は続き、女の悲鳴が響く。……どうやら、兄上殿が女の一人を殴ったみたいだ。


「そんなに死にたいなら米と共に死ね。奴らが来てから何かしようとしても遅すぎるというのに、頭がおかしいのか」

「おかしいのはアンタだろ!? 米がなかったらどうやって生きるんだ! お前らには絶対にこの米はやらん! お前らこそ、飢えて死ね!」


次の瞬間。

悲鳴、肉を切る音。どさ、と重いものが地面に落ちる音。


「ひいいああ!?」

「カヨ、カヨオオオ!」

「お前、なんてことを! 人殺し!」

「長に逆らう者は殺していい、と今決めた。女どもを村の外側に置け。撒き餌くらいにはなる」

「……」

「戦の準備をするか撒き餌になるか選んでいいぞ。ガキどもは全員刀の鍛錬だ」

「……」

「あと、死ぬほど米が好きなようだから米作りも手を抜くな。米が収獲できなかったら腕を一本切り落とす。全員な」


すすり泣く声、嗚咽。胸が痛くなる。

ハク様。あなたならどうしていたでしょうか、この状況を。僕には何も思いつかないです。でもあなたはもういない、自分で考えないと。


「長、強くなればあいつらに勝てるのか」

「無論だ」

「じゃあ、オレ強くなる」

「オレも」

「オラも」

「お、女も、強くなれる?」

「鍛錬すればな」


 声を上げたのは子供たちだった。女の子の声もいくつもあがる。ざわざわと動揺したようにざわめくのは女たち。それを兄上殿は鼻で笑った。


「この子たちの方がよほど立派だな。化け物を倒す術など必要ないなど、イカれた事を言っているババアどもと大違いだ。お前らは立派だぞ。女だって戦えるのに女だから、といって安全なところにこそこそ隠れて。そのくせ偉そうに文句ばかりのこの愚か者共のようになるなよ」

「はい」

「こいつらは下女として使え。飯と身の回りの世話くらいしか使い道がない。お前たちの方が上なのだ」

「はい!」


 見ていなくてもわかる。今女たちは絶望の色に染まっている。大切に育ててきた子供たちは、女たちの考えに賛同していなかったんだ。それを今見せつけられて、また使われる人生になったことに。

 全員でこの村を出る、という道はとうとう選べなかった。戦がじわじわと近づいている。


 暑さが抜けて朝夕は肌寒くなってきた。何かやっておくなら今のうちだ、冬が来たら身動きが取りづらくなる。この辺りはとても寒いし雪が人の腰くらいまで積もるから。

 昨年なら暑くなくなってきたことに嬉しさがあった。もうすぐ秋だ、紅葉が始まると喜んでいた。


 でも今は、肌寒さが恐ろしい。戦をするなら、絶対冬だ。それくらい僕にもわかる。僕ら人ならざる者は寒さにある程度強いけど、人は寒いと動きが鈍くなる。食べ物も少ない。


 殺しやすいのは冬なのだから。襲撃するなら、戦を起こすなら絶対に冬だ。

その夜遅く、村の外れから数人の女の悲鳴が聞こえた。

 耳を塞ぎたくなる、もう聞きたくない。何が起きたかわかってしまうから。


 季節と同じように、人の心が冷えていく。



「女が五、六人いなくなったそうです」

「村を出たのだろう、放っておけ。そんなことよりガキどもの鍛錬時間を増やせ、使い物にならん」

「……はい」


 村の外れに打ち捨てられた女たちの亡骸は、バッサリと刀で切り捨てられていた。彼女たちの髪には、朝露がきらきらと輝く。血と共に。


白露

しらつゆが草に宿る



かつては立派な村だった。周辺の村を見たことがないからわからないけど、村と言うにはあまりにも大きい所だったと思う。

それが、戦で減り飢えで減り。殺し合いで減って、殺されて減った。一冬を越えられても、その次の年を越えられるはずもない。そんなの子供だってわかったはずなのに。


「馬鹿だなあ」


声に出してみる。そう、みんなが馬鹿だった。僕も、村人も、みんな。


「本当に、馬鹿だ」


掠れる声。寒空の下、見えるのは地面だけ。ああ、空が見たいな。

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