白露 弱り、飢えていく人々
ゲホゲホと咳き込んだ。手の平を見ればうっすらと血がついている。気をつけていたが、まさかこんなところにも……。
やられた。死ぬようなことはないがしばらく体調は悪いだろう。この毒、神力が強いほど良く効くらしい。うまく作ったものだ。手足に軽いしびれを感じる、もう全身に毒が回り始めているようだ。
てっきり農作物だと思っていた。苗が育たず急激に枯れてしまった野菜たち。結局育ったのは米だけだった。だから忍び込んだモノは野菜に毒を振りまいていたのだと思っていた。その効果が強くて野菜が枯れてしまったため誰も口にせずに済んだ、そう思っていた。
そうではなかった、相手の方が一枚
兄と会話をした事はほとんどない。兄が会いたがらなかったし、会うことを周りの者が良しとしなかったからだ。自分がこういう生き方をしようと決めてから、徹底的に他者に冷たくあたってきた。誰も自分を助けようとしない、自分も誰かを助けようとしない。だからこういう時助けてほしいなんて思ってはいない。
兄が毒についてこちらに何も教えなかったのは、自分で気付けということだろう。手取り足取りなんでもかんでも教えてやるつもりはない。一人で生きると決めたのなら、一人で考え一人で生き抜いてみせろということだと思う。
あの人は優しい人だなんて周りの奴らは言っているがとんでもない。まさに鬼のように厳しい人だ。兄が本当に心を許し優しくなれたのは叔父上と、きっとあの子だけだ。
兄の命が消えた気配はわかった。自分は他者の神力を広範囲で感じる事ができるからだ。兄の神力が、消えた。
おそらく兄は自分でそれを望んだ、だから自分が言う事は何もない。そしてその傍にあの子がいることも気配でわかる。結界がないことに気づき、いてもたってもいられなくなったのだろう。ここからはあの子と、奴の戦いが始まる。
自分はどうしたいのだろう。兄の仇をうちたいとは思っていない。死んで良い人ではなかったが恨みつらみがあるわけではない。兄の人生が、戦いが終わった。……ただそれだけの話だ。長い長い不自由な生活が終わっただけ。そこに勝手におかしな正義感をふりかざして首を突っ込む気は無い。
だが、好き勝手されて良いというわけでもない。
手足のしびれや体に回った毒はもしかしたら一生残るかもしれない。治療する方法なんてないのかもしれない。そして自分の体は幼い。今やるべきは自分の体を癒すことだ。
この村がどうなっていくのか見届けるつもりだったが、こうなってしまってはどうしようもない。まだ動けるうちに移動し療養しないと取り返しがつかなくなってしまう。口の中に溜まった唾と血を吐き出すとふらつく足で立ち上がった。
持ち物などほとんどない、簡単に荷物をまとめて戸を開けて外に出る。日の出前、まだ薄暗い。皆眠っているのだろう、鳥の声ひとつない静かな時。この間まで暑かったというのに、ひんやりと冷たく羽織るものがないと体が冷えてしまいそうだ。しびれる手足が冷えていく。
「朝露……もう、そんな時期なのか」
草には細かい水の粒がいくつもついていた。どおりで冷えるわけだ、夏はもう終わりに近づいている。
「カイキが村を出たそうです」
「だからなんだ」
「いえ……」
弟のことだというのに全く興味がなさそうだ。兄弟仲が良いとは言えないのはわかっていたがそれでも血を分けた弟、少しは気にするかと思ったのだが。
強さこそすべてだという
この村に住む者はほんの少しだけ神力がある。が、それは本当に微々たるもので人ならざる者の気配を感じとることさえできない。少し、気持ち程度に傷の治りが早いだけ、そして人ならざるものにとどめを刺すことができる。
人ならざる者たちの傷の治りは非常に早い。怪我をしても瞬時に治ってしまう。神力を持つ者が斬りつければ少し回復が遅いので、その隙に首を刎ねたり複数人できりつけたりする。
だからこそ神力が強いものが長となってきた。血を薄めない為に村の中でのみ子作りが行われ近親相姦を繰り返してきた。おかげで体の弱い子が増えて早死にする子が多い。一時子供の数が激減したほどだ。
間違ったことをしていないのに幸せとは言えない。この村に生まれ育ったものはそれに気づくのがとても遅れていたのだ。ここにきてようやくそれが顕著になり始めた。
穏やかな性格だと思っていた長は非常に冷たい人間で、とっくに自分たちは見捨てられている。いきがってみせたが人ならざる者と戦えるのは長の血筋だけなのだ。長の兄である豪朕は神力がなく幼い頃は周りから蔑まれていたものの、神力がないのに人ならざる者を殺してきた。人ならざる者も一撃で首を刎ねれば生き返らない。彼は一撃一撃が非常に強力なのだ。
彼がいれば大丈夫なのではないかと、そんな思いから彼を自分たちの主だと定めてついてくる者は複数いる。
実際は、人ならざるものなのかただの人なのか確認することなく殺してきただけだ。力が弱い村の者たちは自分たちが戦っているものが本当に人ならざるものなのか、一人一人確認して戦ってきたわけではない。
長が自ら切りかかったものは間違いなく人ならざるものだが、それ以外の者はその場にいるから人ならざるものだろうという思いだけで戦い殺してきた。……今思えば、そういう時長はぞっとするほど冷めた目でこちらを見ていた気がする。気にも留めていなかったが。
ここにきてようやく。今更。非常に遅い、疑問が生まれ始めていた。
自分たちのやっている事は、果たして正しいのだろうかと。
しかし弱みを見せてしまえばあっさり見捨てられるし、敵対してしまった百道一派に負けてしまう。もはや自分たちの矜持と見栄だけで過ごしていた。
「お腹すいた」
子供たちは最近これしか言わない。堅実に生きていても腹が空いていては力が出ないし集中力も続かない。山に何か食べ物を取りに行こうとしたが、最近ちょこちょこと人ならざる者の襲撃が増えてきた。着実にこの村に近づきつつあるのだ。
この村の場所がばれて一直線に目指しているというわけではなさそうだが、奴らはすでに徒党を組んでいる。偵察に行ったものが帰ってこなければその方向に何かがあるのだと馬鹿でも気づく。そう遠くないうちに一斉に攻め込んでくる、そんな事は子供でもわかることだ。
だからこそ兵力を上げるために子供たちを早く育てなければいけないのだが、食べ物がないせいでそれもままならない。何もかもがうまくいかず不安と苛立ちで最近はあまり皆しゃべらなくなってきた。
それさえも豪朕は気にした様子がない、子供たちに刀を持てと言い放つだけだ。それがいっそう皆を不安にさせる。百道のところは皆が結束し絆が深まっているようだ。あちらについたほうがよかったのではないか、そんな考えがどことなく蔓延し始めていた。
「大変だ、百道たちがこちらに来るぞ」
仲間の一人がそう言うと皆がそちらを振り返る。百道は戦の恰好をして大太刀を持っていた。他の者たちは武装していない、百道一人だけだ。それはまさしく死合の申し込みである。
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