小暑 一人の女の訪れ
パラパラと続いていた少ない雨も終わり蒸し暑さが増してきた頃。だんだんと疲れてきていた村人たちだったけど、急に騒がしくなった。泣き声や悲鳴が聞こえてなんだろうと思って耳をすませてみる。麓に降りるのは危ない、山から出ないほうがいいだろうなと思った。
少し前に戦に負けて戻ってきた男たち。実は彼らは戦に出かけていた者たちの半分ほどだった。もう半分は別行動をとっていたらしい。二手に分かれて挟み撃ちにする策だったようだ。
しかし戦況が不利と見るや否やもう片方を見捨てて彼らは戻ってきたのだ、自分たちだけ。
全滅しないためにはそれは正しい判断だと思う。みんながみんな全て救われる方法なんてない。そして置いてきた方はあの人の叔父上殿が含まれる非常に強い実力のある者たちだった。周辺の村の力を借りて戻ってくるであろうと踏んでいたのだが。
あの様子だと、おそらく……
二手に分かれたもう片方を置いてきたこと、今までは女たちは黙っていたが今回ばかりはそうはいかなかった。これで私の夫が、息子が死んでいたら絶対に許さないからなと兄上殿に数人がかりで詰め寄っていたのを覚えている。兄上殿はものすごい剣幕で怒鳴り返して気にした様子はなかったけど。
今までだったらそこで怯んでいた女たちがこの時は物を投げつけ、そっちがその気ならこっちもやり返すまでだと吐き捨ててそのまま解散となった。その様子を兄上殿は怒り心頭いった様子で物に当たり散らし、女たちが反論したことに男たちは目を丸くして驚いていた。女は男につき従う者なのに、なぜ口答えなどしたんだと顔に書いてあるようだった。
それだけ騒げば僕にも聞こえる、だから村の状況は把握していた。そして今回の騒ぎだ。
そっと見てみると、一人の女が皆の注目を集めていた。誰だろう、見たことない女だ。村人が取り囲んでいるが心配そうに声をかけているのは主に男たちだった。反対に女たちは警戒するように女を睨みつけている。その理由はすぐにわかった。
身振り手振りで何かを必死に話している女がこちらを振り返ったときにその顔が見えた。
女は思わず息をのむほど美しかったのだ。この村の女はお世辞にも美人と呼べる人がいない、いつも畑仕事をしているから汚れているし身なりを整えてもどうせ汗だくになるからと最低限の身だしなみだけ。
しかしこの女は、とても小奇麗にしていて男なら放っておかないという位に輝いて見える。色白で大きな目、白髪もない真っ黒な髪は上質な絹のようだ。
女は泣きながら必死に周囲に話している。男たちがざわついているからあまりよく聞こえないけれど、集中して耳をすませたとき聞こえてきたのは。
「みんな殺された」
その言葉に女たちの気配が変わる。自分の夫や息子もか、と泣きそうだ。おそらくあの女は別の村の者なのだろう。置いてきた残り半分の村人たちが立ち寄り体を休めていた時にまた戦があったのかもしれない。あの女はそれを伝えに来たのか、それとも生き残りか。
その場に崩れ落ちて泣く女を懸命に男たちが優しく励ましているようだ。そんなことをしたら村の女たちの怒りを買うに決まっているのに。
自分たちだけさっさと逃げ出して帰ってきて、今は目の前の美しい女に心奪われている。きっと村の女は労わりの言葉をかけてもらったことがない。
現に周りの女たちはまるで鬼のような形相だ。女たちは一人も美しい女に声をかけない。そのことにさえ男たちは気づいていない。
騒ぎを聞きつけて兄上殿が家から出てきた。兄上殿は女の美しさに目もくれず不機嫌そうに話を聞かせろと言って家に連れて行く。他の男も数人一緒に家に入っていった。そこについていかなかった男たちは多分それほど強くないのだろう。この村は今強者が全てとなっている。強い者から順に偉い。
家についていかなかった男たちは少し不満そうだった、それでも何も言えず自分の家に帰っていく。女たちも無言のまま解散となった。
僕にだってわかる、この後一体どうなるか。あの女を中心に絶対に争いが起きる。あの女は行き場がない、この村で受け入れるだろう。果たしてそれは良い事かどうか。
村人があの女の村に逃げ込んで来なければ自分の村は滅びずに済んだのだ。内心恨んでいるかもしれない。
男たちは女を取り入れようとあの手この手を使ってくる。それを村の女たちは絶対に面白いと思わない。家族を持っていない、そもそも人ですらない僕でさえわかるのに。あの人たちは本当にそんなこともわからないのか。
今兄上殿についていこうと考えている人はあまりいないと思う。その強さに惹かれ武道がすべてだと考えている男以外は心が離れていっているようだ。
そうなったら絶対にまたあの人を頼る。僕は心配になってあの人の家がよく見える場所まで走った。そうするとすでに村人が数人、あの人の家の戸を叩いている。でも来ているのはよく見れば子供たちだ、もうすぐ戦に参加できる位成長した大人と子供の間位の子たち。
あの人が出てきて話を聞いている。子供たちは大人たちに見つからないようにしているのかぼそぼそと小声でしゃべっているのでさすがに僕にも聞こえない。目を細めて、あの人の唇の動きをじっと見つめた。
ありがとう、と言っているようだ。たぶん残された村人たちが全滅したことを伝えたのだろう。……全滅した方には、伯父上殿もいたはずだ。だから、教えてくれてありがとうと言っているのか。
あの人は子供たちの頭を撫でると小さくうなずいた。それを見て子供たちは頭を下げて急いで家に戻っていく。
任せておけ、というような会話がなかったように思える。つまりあの子たちは何とかしてくれと言いに行ったのではなく、ただ単に叔父上殿のことをあの人に教えたかっただけだ。
そんな人たちもいたんだ、僕は嬉しくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます