小暑 小さな嵐と、毒
その日の夜、ちょっとした騒ぎがあった。騒ぎといっても嫌な騒ぎではない、久しぶりにあの人が村人を皆集めたのだ。兄上殿達は当然面白くなさそうだったけど、戦に負けた手前強く言えないようだった。ただし文句はぶつぶつ言っている。
「話を聞いた。もう奴らがこの村に攻めてくるのは時間の問題だ。急ぎ、この村そのものを
ざわざわと騒がしくなったが、女たちは全員賛成だった。いつあいつらが来てもおかしくない、自分の身は自分で守らなければ。もはや男たちを全くあてにしていないような言い方に男たちは悔しそうに歯を食いしばっている。
「私は神力をもってこの村全てを守る準備に入る。家からは出なくなる、応対はできない。何人たりとも邪魔する事は許さぬ。集中力が途切れれば攻めてくると思いなさい」
「その間、一体誰が村を取り仕切るのです」
声を上げたのは幼い少年だった。そしてその子の顔を見てすぐにわかった、あの人そっくりだ。そうかあの子が弟のカイキ殿。歳の割に随分としっかりとした喋り、もうすでに次の長としての風格が見える。こうならないように叔父上殿がそばについて守るはずだったけれど叔父上殿はもういない。
その質問に全員が静まり返る。その様子を見てあの人は口元に小さな笑を浮かべた。
「自分の好きな者を長と見定めれば良い」
その言葉に村人全員が驚いたようだった。そんな、無責任な、そんなこと言われても。そんな言葉を口々に言うがその時初めてあの人はぞっとするほど冷たい顔になった。その様子に村人は全員再び静まり返る。おそらく村人全員が思っていたはずだ、あの人は温厚で優しい人だと。
「使い勝手の良い者を長にして、利用するだけ利用して不便だと思ったら捨てて次の手駒を手に入れる。お前たちが長年繰り返してきたことだ。私の次は兄上を担ぎ上げておきながら、今は役立たずだと裏で罵る。少しは自分の頭で考えたらどうだ? 奴らは徒党を組んでお互い協力しながら攻めに来ているというのに、お前たちは手を取り合う事すらしない。奴らにも劣った存在になるとは酒の肴に丁度良い笑い話だ」
誰も怒り出さない。驚いていたり俯いたり、まさに痛いところをつかれたと言わんばかりのその態度にあの人は踵を返した。
「神力を持っていることには変わらないから務めぐらい果たしてやる。お前たちは次の責任を押し付ける相手を探していろ。それともカイキ、お前がやるか?」
その言葉にカイキ殿は、はん、と鼻で笑った。
「まことに残念ですが俺は神力がありませんので。こんな連中のために命をかけるなど冗談ではありませぬ。俺は俺の事で手一杯ですので」
神力がない、その言葉にいよいよ周囲が動揺し始める。おそらく直系の家にしか強い神力を受け継いでいない。年とともに神力が下がったと言う叔父上殿、年齢とともにこの力はどうやらなくなっていくらしい。もともと神力が弱い兄上殿と、あの人と、もうこの二人しかいないと言うことになる。
カイキ殿には神力がある、それは以前あの人が言っていた。気づいていないのか、それとも嘘なのか。聡明な子のようだから皆に嘘をついている気もするけど、どうなんだろう。態度もあまりよくはない、あの子の周りには誰も近寄ろうとしない。兄上殿と似たような気質の人なのだろうか。
あの人は自分の家へ戻っていくが、戸の前でいったん足を止める。そして振り返りもせずこう言った。
「そこの山からは人ならざる者の気配を感じる。今までこそこそ山に入っていた者がいるようだが、命が惜しければ今日限りでやめることだ。食われても知らんぞ、私は助けようがないからな」
その言葉に、僕は嬉しさと切なさがこみ上げる。こんな状況だと言うのに今もなお僕を守ろうとしてくれている。山に近づけさせないことで僕が見つからないようにしてくれているんだ。村人全員を突き放してまで。
でも山に入って食べ物を集めなければ村人たちは食べる物がない。そんな苦境に追い込むことさえあの人はもうためらわない。
選べと言っているのか、村人たちに。
他人に要望と責任を押し付けてばかりでは、自分たちの力でなんとかしようとしなければ本当に命を落とす。もう目と鼻の先まで来ている。
周りの村に助けを求めることを今まで情けないからとやらなかった男たち。信頼関係を築いていないからおそらく今更食べ物を譲ってくれと言ってももらえないだろう。いつもならここで諦めてしまうはずだ。矜持を捨て人に頭を下げてでも生きることを選ばなければいけない。
今までやってこなかったことをできるかどうか。矜持をとって飢え死ぬか、生きる事をとって積み上げてきたものを捨てるか。
あの人が家に入ると兄上殿は無言のまま自分の家に戻っていった。カイキ殿もだ。自分の生きる道を見定めているものは同じく自分の家に足早に戻っていく。どうするか決めていない者たちだけがその場に留まりどうしようとおろおろしているようだった。我らを見捨てるのか、そんなことを言う男もいる。そんな様子を女たちは冷めた目で見つめ……。
あの、女は。無表情のままあの人の家をじっと見つめていた。
ジリジリと太陽が照りつける。それはまるで肌を焦がすかのように、じっとしていると火傷したように熱くなる。
それと同じで今この村は今にも火事が起きそうな位ジリジリと少しずつ焦げている。その新たな火種が現れてしまった、そんな気持ちだった。
季節はこれからもっともっと暑くなる。雨が減るから水が少なくなってますます米が育つかどうか皆殺気立ってくるころだ。井戸が枯れないかも心配だ、山には沢や滝があるけど村の井戸まで潤っているかどうかはわからない。
強い日差しの下には必ず濃い影ができる。強い光に照らされた先に落ちている影。誰かを導く光ではなく、そちら側に引きずり込んでしまいそうな。
今、その影がゆっくりと独り歩きをし始めた気がした。
「そう、あの時はそんな予感がしていた。でもそれは予感でもなんでもなくて。事実そのままだったんだ」
小暑
暑気に入り梅雨のあけるころ
じめじめとした梅雨はあけたけど、それに代わる火種……「毒」が入り込んでしまった。
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