夏至 ふたりの、最後の会話
「役に立たないと分かった途端手の平を返す、あの村の古くからある風習のようなものだ。皆兄上なら勝てるとさんざん持ち上げていたのにあの手の平返しだ。何度も皆の命を救ってきた叔父上でさえ、歳と共に神力が弱くなったらあっという間に筆頭から外されたからね。私の父から」
家族なのに。お父上と叔父上殿は兄弟なのに、役に立つかどうかで判断されてしまうのか。協力しあって助け合うのが人間ではないの。
「本来はそのはずなんだけど、どうしようもないね」
そう言って空を見上げながらあの人の顔はとても悲しそうだ。そんな僕の思いも聞こえたらしくあの人は口元に苦笑いを浮かべる。
「もう取り返しがつかないんだ。こうならないように私と叔父上でいろいろ頑張ってきたのだけど。他人の人生や考え方を変えることは容易ではない。自分が変わろうと思い自ら行動をしてくれないことにはどうにもならないんだよ」
身分なんてないはずなのに自分は偉いと思っている男たち。
彼らの世話をしてまるで女中のように生きている女たち。
そんな両親の姿を見て育ちそのどちらかを生きるしかない子供たち。
長く生きている方が偉いと威張り散らしている年寄りたち。
変えるなら子供たちだけど大人がそれを許さない。戦で男たちがいない間村を守っているのは女たちだ、子供の事について口を挟めば母親たちは聞く耳を持たないだろう。余計なことを言うな、大きなお世話だと。
「みんな自分の我を通したがる。少しでも弱い立場の者の前でふんぞりかえって強さを誇示することでしか自分を守ることができないからね。どうしてみんなお前のように生きられないのか」
たとえ大勢の人がそうでも、そうじゃない人もいると思う。
「そうだね。なぜなぜどうしてと嘆いていても仕方ない、まして私はそれが許される立場ではない。それをなんとかするのが私の生きている理由なのだから。長とはふんぞりかえるのが仕事ではないからね……今まで、私の話を聞いてくれてありがとう」
その言葉に、今日はお別れを言いに来たのだとわかってしまった。僕は真っすぐあの人を見る。
「もしも私が普通の家に生まれて普通に生きていたら。お前を連れてこの村の外に出てひっそりと生きていくこともできるのだけれど、それは絶対にできないのだ。私には私のなすべきことがある」
それがたとえ命を失うことになっても、あなたはそれをやるのですね。
「この立場になってからいつも一番良い食べ物を与えられたし、物がなくて不自由したことがない。私個人が尊敬されていたからではなく長だからだ。これだけ尽くしてやっているのだから自分たちを豊かにしなかったらただではおかないという貢物を数多く支払われた。私はそれを返さねばならない」
今、この村はどんどん悪い方向に向かっているんです。僕にはどうすることもできなくて見ている事しかできない。
「見届けてもらうのも一つの幸せだからお前にはそうしてほしい。もちろんこの山を出て行くこともできるけれど、山で生まれ育ったお前もまたこの山の一部なのだよ。誰かに何かを言われたから、強制されたから仕方なくやるのではなく自分のやりたいことをやってごらん。それこそが私が物心ついた時からずっと焦がれていたことだ」
太陽が照りつける。今日は本当にいい天気だ。いつも空をみていたけど、そうか。どこまでも広がる大きな空に自分の望みを見つめていたんだ。
「今日は夏至、昼が一番長くなる特別な日だ。作物を育てている者はお天道様に感謝をして、祭りを行ったりする場所もある。この国は本来自然と共に生きてきた、戦と共に生きてきたわけではない」
天からの授かりものや自然の恵みに感謝をして命をいただくという行為。それを忘れ己の欲や矜持を前面に出して自分たちで自分たちの命を殺すことをしている。何も育まない無意味な命の取り合いをしている。誰が始めたのかもわからない、誰かが終わらせようとすると誰かが阻む。
「愚かなことだ。人ならざる者たちを見下し一方的に殺し尽くしてきた我らは、畜生にも劣る。その報いがやっと降りかかって来た」
そんなことない。あなたに出会って、あなたにいろいろなことを教えてもらって、僕は自分の命があってよかったと心から思えるようになった。それまでは周りから蔑まれて恐れられてひたすら命を狙われるだけだったから。なぜ生きているのか、生き続けなければいけないのかを考えずひたすらその日を過ごしていた。
ほんの少し見る世界を広げただけでこんなにもたくさんのことが溢れているのだと知ることができた。戦をするのも人々が手と手を取り合えないのも、その様々な出来事の中の一つでそこだけを切り取って愚かだと言わないでください。あなたも、彼らも一生懸命生きているだけなのだから。
そう考えながらあの人を見つめる。あの人はわずかに目を見開いて驚いたようだけど、その後にっこりと優しく笑った。この優しい笑顔を見るのは久しぶりだ。
「いつの間にかこんなに立派になっていたんだね。いや、もともとそうだったのか。本当に、お前に出会えて私も幸せだった。ありがとう。私の願いを一つ聞いてもらえるだろうか」
僕はあなたの望みを何でも叶えたいです。僕の望みをいつも叶えてくれたように。
「私の名をもらってくれないか。長と呼ばれる前、母に付けてもらった大切な名前。長を引き継いだ時からその名を捨てて別の名前で生きなくてはならなくなったから、この名前の行き場がなくなってしまった。今日からこの名をお前に名乗ってもらいたい」
名前。前にもらった名前も素敵だったけど、あなたの名前をもらえるのなら頂きたいです。
「すまない。出会った時に名をあげたのに。でも、いつかこうなる日が来ると思った時からお前に名をもらってほしいと思っていたんだ、
あの人の目から、涙がこぼれた。でも口元は笑っている。嬉しい、のかな? 悲しいとはちょっと違う気がした。
あの人は地面に指で文字を書いていく。僕は文字の読み書きができないけれど、この文字だけは絶対に忘れないようにしようと誓った。書かれていたのは。
暁明
「ギョウメイ、と読む。終わりの見えない戦いの中でもいつも誰かを照らす光であれ。母がその願いを込めてつけてくれた。あいにく私は村人を照らす光にはなれなかったが、お前を照らす光にはなれただろうか」
ギョウメイ。覚えた、暁明、僕は暁明だ。
みんなを取りまとめる長になったときはこの名前を捨てなければいけなかったのだから、村人を照らせなかったのは仕方ないと思います。あなたは確かに僕を照らして導いてくれた。きっと弟殿の光でもあります。今は気づかなくても、いつかそう思ってくれる。
「そうか、そうだね。自分を騙してごまかし続けながら長などできるはずがなかった。私もやり方を間違えてしまったようだ。後は弟がその二の舞にならないようにできることをやるだけだ」
もう一度あの人が僕の頭を撫でた。暖かくて大きくて、優しいあの人の手がゆっくりと離れる。そして無言のまま踵を返して村へ戻っていった。
別れの言葉は言わない、また会いたいから。
真上にある太陽、まぶしいから見つめることができないけど今日は一番昼が長い日か。お天道様はいつも平等に光を照らしてくれる。山にも、川にも、植物にも、動物にも、人間にも、人間ではないものにも。
生きている者にも、死んでいる者にも。
僕が名前をもらって一年。いまだに誰かを照らす光にはなれていない、あの時よりも今は追われる立場になってしまったから。
それでも僕がここを離れないのは僕にまだできることがあるから。命を落とすかもしれないけど、それに等しい価値があると思ってる。これが正しいのか間違っているのかわからない。
でもあの人が言ってくれたから、やりたいことをやって生きろって。僕はこれがやりたいことなんだ。名前をもらってしまったからあの人はあの人としか呼べないけれど。それでも僕はあなたに問いかけ続ける。
僕はまっすぐ生きているでしょうか。
殺せ、殺せ、息の根を止めろ、アレのせいで我らは苦しい。アレのせいだ、化け物のせいだ、全てあいつのせいなんだ。
そんな声が今も聞こえる。
僕のせいでは無いのだけれど、すべては僕のせいだ。それでもうしろめたくないのは僕が間違ったことをしていないと信じているから。
何故僕は村人から狙われるのか? 名をもらってから起きた、悲しいくて辛くて、でも避けて通れなかった事。それを、振り返ってみよう。目を背けずに。
夏至
昼の長さが最も長くなる
そして、僕があの人から名前をもらい、あの人とかわした会話が最後となった日
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