第8話 大橋美桜
心地が良かった。
丁度良かった。
そんな言葉は彼に失礼だろうか。
わたしにとって、藤田湊斗という男子はしっくり来た。
ロマンのある始まりなんて、案外無いのかも知れない。
下心丸出しで相談を持ち掛けて来る男子も。
偶然を装って話し掛けて来る男子も。
わたしは心の中では不快感を覚えていた。
どうでも良い相手から向けられる好意なんて、
わたしは物語のヒロインのように『気持ちは嬉しいけど……』。
何て、お綺麗な気持ちにはなれない。
心底気持ちが悪いと感じてしまう。
告白を断った時、『思わせぶりな態度取りやがって』と逆上された事もあった。
かといって、素っ気なくすると妙な恨みを買った。
本当に男子とは面倒な存在だ。
その点、藤田湊斗という男子は心地が良かった。
勉強にも真面目に取り組んでくれるし、妙な視線を向けて来る事も無い。
ふとした瞬間、彼は不思議な表情を浮かべる。
何かを思い返してるような。
懐かしむような。
それがまた興味を惹いた。
きっと、わたし。
大橋美桜が、初めて興味を持った男子だった。
◇◇◇
5月21日
その日の放課後。
美桜は隆俊を呼び出していた。
「加藤君、山本さんの事で悩む必要は無いわ。全て勘違いよ」
「……勘違いって……」
「加藤君は嫌われているワケでは無いの。貴方の恐れている事態にはなっていないわ」
美桜は隆俊の衰弱の原因が単純であると推測していた。
失恋で傷付いているタイミングで女友達と険悪になってしまった。
仲の良かった女友達、山本葵と。
彼女の急変した態度。
心変わりした元彼女と重なるのだろう。
異性への不審感と不安感。それを刺激されている。
取り繕っていただけで、彼は傷付いている。
その傷を彼女が刺激した。
と、いうのが美桜の導き出した答え。
「……本当か……?」
隆俊は恐る恐る言葉を吐き出す。
恐ろしかった。女子の急変する心の動きが。
別の生き物のようで恐かった。
振られた時。
裏切られたと思った。
この裏切り者って、薄情者って。
本当は心の底から糾弾したかった。
そんな鬱屈した気持ちを、ずっと隠して来た。
いきなり態度の変わった葵。
それは彼女を想起させて― ―
辛かった。
身勝手だって分かるけど、それでも苦しくて。
「嘘を吐いても仕方が無いでしょ。まず、勉強を始めたのは自分の為なの。将来が不安になったから。そう言っていたもの」
出来るだけ穏やかな笑みを意識して美桜は伝えた。
ただの作り笑いだったが、それに隆俊が気付いた様子は無い。
「……不安?」
「そう、不安。進路について真剣に考え始めたの。焦っていて余裕が無いだけなのよ」
全部嘘だ。
でも、真実を彼に教えるメリットは無い。
ただ、追い詰めるだけだろう。
面倒な事態になると容易に想像が付く。
いずれ真実は露呈する。
が、メンタルが安定していれば気にするような内容じゃない。
(藤田君に啖呵を切ってしまったもの。約束は守らないとね)
彼を安定させる。
それが自分の役割、と美桜は腹を括っていた。
「……あ、なるほど……そういう事なのか」
ストン、と落ちる感覚。
確かに葵は先の事を考えない節がある。
あの直樹でさえ、先の事を考えていると言う事実に焦ったのかも知れない。
自分も直樹の意外な一面に焦っているのだから。
得心がいったと、隆俊は頷く。
「ええ。それにね、加藤君。差し出がましいかも知れないけど言わせて。確かに、恋人に裏切られたと思うのは当然だし、陰口なんて最低よ。でも、全員じゃない。今は難しくても、覚えておいて。全ての女子が同じでは無いと」
さて、どうだろう。
そう口にしつつも、美桜は内心では疑問を抱いていた。
この年で真剣な恋なんて出来るのだろうか?
本気で人を好きになれるのだろうか?
遊びの延長線と捉えてる人の方が多い気がする。
単にトキメキという名の劇薬。
その刺激が欲しいだけじゃ無いだろうか。
女子にしても、男子にしても。
恋する自分に酔っているだけでは無いか。
美桜は自分の吐いた台詞に鳥肌が立っていた。
なんて薄っぺらくて、空虚な言葉なのかと。
「……ありがとな。大橋さん……今は難しいけど、前向きに考えてみる」
美桜の心の内など知らない隆俊は救われていた。
これは男子では難しい問題だったかもしれない。
信用できる女子の言葉だったからこそ響いた。
そんな、ありきたりなセリフに過ぎない。
「気にしないで。山本さんも、この状況を良くは思って無いの。そろそろ動くはずだから、大丈夫よ」
彼女は決めているだろう。
でも、そうは行かない。
利用された借りは返す。
そう美桜を強く決意していた。
「……そっか。それは助かるな」
何処か肩の荷が下りた様子で隆俊は返す。
この時― ―
既に歯車が大きく狂い始めていた。
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