第2話 我ら文芸弁論部

「おい、ようへい。少し、付き合え」


 四限目終わりのチャイムが鳴り、汐くんと打ち解けようと後ろを振り返ると、いつの間にかそばに立っていた影田が声をかけてきた。

 いつも通り背が小さく、座っている俺と同じくらいの身長だ。


 座っているところに影田が来ると、彼女を膝に乗せてボサボサの頭を撫で回したい衝動に駆られる。

 彼女の髪は癖っ毛で見てくれはよくないのだが、触ってみるとその上等な髪に、全人類の脳が震える。

 髪を梳く指が、レールに乗ったトロッコのように進み。キューティクルに内包された香りが一気に広がる。

 きっとお高いリンスをしているのだろう。ぜひ、知りたいものだ。


「殺すぞ」


 表情から読み取られたのか、いきなり殺害予告を受ける。

 僕って、そんなにわかりやすい顔してるのか?

 これ以上なにか考えると影田の機嫌がどんどん悪くなっていってしまう。


「それで、なんのようなのさ」


「いいから来い。休み時間がなくなるだろうが」


 有無を言わさず、というような態度だった。よほど急を要する用事のようだ。


 影田は僕の手を取り、精一杯引くが、ウェイトの差は一目瞭然なので、僕を引き上げることはできず、息を荒げた。

 膝に手をついて呼吸を整えると、キッと鋭い目で僕を見る。


「おもい!」


 そう声をあげると、僕の瞳孔内で火花が散り、弁慶の泣きどころに鈍痛が走った。


「影田……ッ! やっぱり、凶暴だ……ッ! このラーテル!」


 肺から空気を出し切った声で唸る。

 痛みが治らない脛を抑える。


「影田さんとお呼び!」


 似合わないお嬢様のような口調だった。


 影田は、身長一四五という小学生並の体躯に加えて、身体が細い。

 それに髪は寝癖をおさえず跳ね放題で、肩下まで伸び切っている。前髪も伸びているせいで、顔はよく見えない。

 そのシルエットからおとなしい小動物のようなイメージをするやつが多いが、こいつは真逆だ。

 どんなに大きいやつでも食ってかかる、小さい巨人のようなやつだ。

 あんまりな様子に、僕はよくラーテルを想起させられた。

 気高い猛獣だ。小さいけど。

 

 彼女に抵抗すると、この痛みをまた味わう気がするので、席を立って、影田の後ろを追う。





—————————————————






 影田の後を追い、たどり着いた先は西階段下の元物置。


 妙な重厚な作りをしている扉には、文芸弁論部と書かれた札が貼ってある。


 室内は、八畳くらいの広さ。この学校は階段が横が広いのだ。


 一七五センチの僕が立つと少し頭を下げる程度には低い。

 だが、影田にはちょうどいい。


 ここに部室を設置したのは、曰く、教師を含めて人が滅多にこないので、落ち着いて考えることができるから、らしい。

 もし、誰かが来ても、階段の下の空間なので、階段を回り込んで来ないとここは視界に入らない。


 なので、誰かが興味本位でここに来る可能性はかなり少ない。


 もっとも、彼女は特例でこのような自由を許可されているので、教師から隠れる必要は一切ない。


 それを証拠にここは彼女の私物ばかりだ。


 布団があるので仮眠に使えるし、冷蔵庫もあるのでジュースも自販機で買った飲み物を冷やせる。

 それに、遮音、吸音がしっかりしており、中の音は外に聞こえないし、外からの音は聞こえない。


 なので、秘密の会話をするのにうってつけだった。

 

 影田の私物である、小さいアウトドアチェアに腰を下ろす。


「それで、あの転校生になんかあったの?」


 僕を呼びだした理由はなんとなくわかる。

 彼女の隣の転校生について、疑問があるようだ。おかしい挙動を見ていれば一目瞭然だ。


 彼女の方は布団に寝転がっていた。 


「いや、変だっただろ。おまえ気が付かなかったのか?」


 はて、確かに奇妙の塊のような男だったが、特段おかしいことはない気がする。

 確かに、自由な校風な我が校と言っても、彼の見た目は特出している。

 

 特にマンバンヘアにはおどろかされた。


 大学生が試しにしてみるが、手入れがめんどくさいし、似合わないことに気づいて、すぐやめる髪型代表だ。


 だが、彼はハーフ顔という長所を生かして、よくやっていた。手入れもちゃんとしているようだ。

 最初は驚いて顔を背けてしまったが、おしゃれの趣味は合いそうだ。


「見た目は確かにおかしかったけど、別に普通じゃないの?」


 影田は、大きな溜息をついた。


「お前は何を見ていたんだ。あいつ、私の扱いを知っていたんだぞ」


 あ、確かに。


 言われて気がついた。


 影田は、他人とのコミュニケーションの中でも握手を好む。

 理由は、相手の考えていることが手でわかるから、らしい。


 なので、始めて出会う人物とは必ず握手をしている。相手が、断っても理由をつけて必ずしている。


 だが、汐くんは自分から、影田に握手を求めた。


 これだけでは、妙というには弱いかもしれないが、影田はそうではない。


 彼女に握手を求める人間はそういない。見た目もそうだが、転校生は教師からこう言われていたはずだ。


『影田とはかかわるな』と。


 先ほど、汐くんにも言った通り彼女は変なのだ。度を越して。

 学校からさまざまな特例を許されているし、学校公認の付き人はいる。

 

 だが、成績は常にトップ。度を越した優等生なのだ。


 だから、僕は痛い目を見た。

 小さいからと舐めた。報いを僕は受けた。


そんな、影田との思い出を振り返っていた時だった。



コンコンコン……。



ふと、控えめに扉を叩く音が聞こえた。


こちらの許可を待たず、扉は開いた。


瞬間、僕と影田の動きが止まった。


扉の先には、影があった。


それは、男生徒の制服が胸より下が見えていたものだった。

扉の奥の壁が見えないほどの大きさ。


その身体が膝を折り、顔を見せた。


「失礼。ここの天井低くないかい?」


優しい笑みを浮かべた汐くんがそこにいた。


「おどかすなよ……」


心臓がまだ強く脈を打っている。


「なんでここが……。いや、もしかして、本当に?」


影田がボソボソと何か独り言を言っている。


「すまない。ここが『影田の部屋』であってるかな?」


どうやら、ここに来た理由がはっきりした。

こいつは依頼主だ。


「ん?」


なんでこいつがそれを知ってるんだ? まだ、この学校に来て1時間だろう。


「何の用だ」


影田がぶっきら棒に言った。


汐くんは皮肉に笑ったみせた。だが、不思議にも嫌な感じはしなかった。

まるで、旧友を懐かしむような笑みだった。


 彼は中に入ると、地面に腰を下ろした。


 汐くんの行動は妙に圧がある。僕と影田がその様子をだまって見ているしかなかった。


彼は深く息をして、それを言った。


「ペイントマンって噂を知ってるよな?」













 

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