第1話 二回目の転校生

 今日もいつも通りの日常だと信じていた。


 いつも通り登校して、いつも通り授業を受けて帰る。

 そんな日だと。


 だが、日常は転校生という新しい風と共に、どこかに飛んで行ってしまった。僕の短い非日常の始まりである。


 先生に促されて入ってきた彼に、僕たちは思わずたじろいだ。


 「東京から引っ越して来ました。夕上汐ゆうじょうしおです。短い間ですが、よろしくおねがいします」


 今日、僕こと、心田洋平こころだようへいが席を置く、渡理高校一年B組に転校生がやってきた。


 席はおそらく、朝来た時にはすでに席が設置されていた、僕の左後方、窓側の一番後ろだ。

 暇な時に外も見れるし、授業中にカーテンを自由にできる特等席だ。


 汐と名乗った男が、深いお辞儀をしたあと、誰も拍手をできなかった。


 全員目を丸くしたり、混乱のあまり顔を固まらせていたのだ。教室は歓迎のムードに切り替わることはなかった。


 周りでは、「え、ALTの先生じゃなくて?」とか、「ドッキリ?」なんて会話が聞こえてくる。


 尾崎先生の隣で自己紹介する彼の一挙手一投足に僕は目が離せなかった。

 彼は、身長一九〇センチはある大男。


 顔は、外国の血が入っているのだろう。堀が深く、陰影がはっきりしていた。

 黒い髪を後ろで結んで、マンバンヘヤにしており、顎全体を覆う濃い髭を生やしていた。

 そんな渋い顔がブレザーの上に乗っていた。


 本当に高校生か? 皆がそう疑問に思ったことだろう。僕もそうだ。

 いや、こんなジョンウィックのキアヌみたいな男が高校生であってたまるか。


 いくらこの学校が自由な校風だと言っても限度があるだろう。

 髭、長髪、ツーブロック、頭だけでも普通の高校なら、即帰宅させられるレベルだ。 学生より、国際警察の潜入調査かなにかと言われた方がまだ説得力がある。


 だが、誰もそんな威圧感の塊の彼にツッコミを入れることはできず、黙ることしかできなった。


 尾崎先生の咳払いが、静寂を破る。


「えぇ〜、汐くんは事情があってこっちに引っ越してきた。親御さんとは、離れて暮らしているので苦労している。なので、みんなでサポートしたやってくれ。少しタッパがあるが、君たちと何ら変わらない高校生だ。仲良くするように」


 誰も返事をしなかった。

 それはそうだろう。ここで、なにか一言でも発すれば、汐のお目付け役を押し付けられる可能性が高い。


「では、えーっと、汐くんの席は〜……、影田の隣か。窓際の一番後ろに空いている席があるだろ。あそこだ。心田頼んだぞぉ。ついでに学校のことも教えてやってくれ」


「えっ! 僕、隣でも、前でもないんですけど……」


 と言っては見たものの、僕の後ろ席に座る影田は、たぶん案内とかに向いてないし。

 左隣の席は、不登校だし。

 そりゃあ、僕に貧乏くじが回ってくるか。


 尾崎先生が指を指すと同時に、汐がのそりと歩みを進める。

 教室全体に妙な緊張が走る。


 生徒全員が、汐の顔を見ている。

 先生の悪ふざけでも、何でもなく本当に、あの渋い顔が僕の学友となるのだ。


 どうにか言い訳を考えていると、いつの間にか汐が斜め前にいた。

 間近で見ると本当にでかい。ビル建築で日が当たらなくなった平家の気分だ。


 ふと、彼は僕の横で立ち止まった。

 目だけそちらに向けると、汐は僕の目を見て、困りげに微笑み、軽く頭を下げた。

 おそらく、案内の前の挨拶なのだろう。母が子を見守るような、そんな目だった。


 あの目が、よろしく、というので、僕はなんで僕が……という怒りと、少しの恐怖のせいでおとなしく軽く頭を下げたあと、目を逸らしてしまった。


 汐はそれを見ると、器用に巨体を操り、僕の真横を通り過ぎる。

 汐の通ったあとには、ほのかにバニラのような甘い匂いがした。


 こいつ香水まで……。




 _______________________________________________________





 HRが終わり、皆が皆、次の授業の準備を始めたり、教室から出ていったり、友達のところに集まったりしている。

 だが、決して教室の窓側後方に近づかなかった。


 僕はというと、汐に話しかけるか、かけまいか迷っていた。


 どうせ、昼休みにでも校内を案内することになるのだ。挨拶しておいて損はないと思うが、あの顔と話す勇気がどうしてもでなかった。

 それに、さっきの挨拶(?)のせいで妙に気まずい。

 なにか、きっかけがないかと探っていると、予鈴が鳴る。


 あと5分で授業が始まる。


 その時、ふと、日課を思い出した。

 転校生という大イベントのせいで、忘れてしまっていた。


 後ろを向き、机に突っ伏して眠っている少女の肩を揺らす。


「お〜い、影田さん、起きろぉ。授業はじまるよ」


 影田は、のそりと、顔をあげた。まるで冬眠明けの熊のように、目を細め、口からよだれを垂らし、額には腕の形に跡が出来ていた。


 僕の後ろに座る影田美都の長髪は全く手入れしていないようで、暴れ放題で、メガネの下には深い隈が刻み込まれていた。

 

 授業前、彼女を起こすことが僕の日課だ。担任から仰せつかった任務だ。


「もうそんな時間かい?」


「そうだよ、早く準備してよ? 怒られんの僕なんだからさ」


 影田は緩慢な動きで、机の左にかかっている登校鞄に手を突っ込み、物を取り出そうとしたとき、ふと視線を上げ、まだ眠そうな目で 汐くんの顔を見て首を傾げた。


「転校生……?」


 流石の影田にとっても、あの顔は異分子らしい。いつも自信満々に答えを出すのに、最後にハテナが付いている。


 ここで、汐くんと話す作戦が浮かんでしまった。影田をだしに汐くんと話せばいいのではないのか?


「そう、転校生の夕上汐くん。影田さん、挨拶しといたら?」


「私を転校生くんと仲良くなるためのだしにつかうなよ」


「バレたか」


 影田は大きなあくびをしながら、答えた。

 ここまで早くバレるとは。流石に直球過ぎたか。


 汐くんは僕たちのやりとりを、不思議そうに見ていた。


 バレたのならしょうがない。僕がファーストペンギンになるべきだろう。


「え〜、僕は心田洋平。こころだでも、ようへいでも、好きなように呼んでよ。僕は汐くんって呼ばせてもらう。さっきは、ごめんよ。君、迫力があって思わず目を背けっちゃって」


 汐は僕に自己紹介に目を丸くした。少しの間、固まった。


 なぜ、そんなリアクションを?


 僕の表情から、疑問に気が付いたのか、汐くんは慌てて話し始めた。


「あぁ、すまない。まさか、挨拶してもらえるなんておもってなくてさ。よろしく。ようへい、美都さん」


 おお、案外距離を詰めるのが早いな。いきなり下の名前とは。


 挨拶を聞いた影田が、教科書を出すの中断して答えた。


「あぁ、よろしく」


 影田がそう言うと、汐くんが手を伸ばして、握手を求める。

 影田は汐くんの手を握り、二人とも目を合わせて笑っていた。


「…………」


 二人の間に、しばしの静寂が流れる。


「君……、二回目だろ?」


 影田がぼそりとつぶやいた。


「二回目?」


 なんのことだろうか。影田の言う言葉の意味を理解できずにいると、目の前の握手がおかしいことに気がついた。


 離そうとする汐くんの手を、影田はなかなか離そうとしないのだ。影田はどこか、厳しい表情を浮かべていた。


 後ろの席で緊張の糸が張られた。影田は手の力を緩めようとはしなかった。汐くんは影田の眼を見ないように顔を逸らしていた。


 その時、がらりと大きな音を立てて扉が開く。


「ほら、席に着いてぇ」


 古典の金田が、入ってきた。授業開始の鐘が鳴っていたことに気が付かなかった。


「あの、離してもらえないかい?」


「あぁ、すまない」


 影田は、手を離し、急いで机の上に教科書を出し始めた。

 汐はその様子をただ見ていることしかできないようだった。


「すまん。こいつ、すこし……ってか、かなり変なんだ。勘弁してやって」


 そう言うと同時に、椅子に衝撃があり、身体が揺れた。


 振り返ると、影田が頬を大きく膨らませて、眉をひそめて僕を睨んでいた。











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