第十七話 ブレイカー

 受付嬢は震える指で、ナナミの差し出した海晶核をもう一度見つめた。淡い藍色の瞳が何度もまばたきした。


 黒藍の光が、まるで脈打つ心臓のように明滅する。


「……嘘……でしょ……?これ、本当に……?」


「え、えっと……売れる、と思うんですけど……」


 ナナミがおそるおそる言うと、受付嬢はぶんぶんと首を振った。


「ちょ、ちょっとっ、少々お待ちください!!」


 声が裏返り、周囲のダイヴァーたちが一斉に振り返る。


「おい、今の……暗海級じゃねえのか?」


「いや、色が違う……もっと下だ……深海層……?」


「信じられん……」


 たちまち視線が集中し、空気がざわついて波のように揺れた。


(まずいですね……予想以上です)


「し、仕方ないじゃん……」


 受付嬢は慌ててカウンター下の通信管に手を伸ばし、金属製の筒に向かって叫ぶ。


「副長!緊急査定です!いますぐ、すぐに来てください!」


 その瞬間、ナナミの背筋に冷たいものが走った。


「ふ、副長って……」


「ブレイカーが査定に出てくるのかよ!?」


「あの、おやっさん登場か!?」


 周りから聞こえる騒ぎ声にナナミは顔は強張る。


「おやっさんって何!?怖い人でしょ絶対!」


 泣きそうになった瞬間――

 ギルドの扉側の空気がふっと変わった。


 潮の匂いがひときわ濃く流れ込んでくる。


 ガラリ、と重い足音。


 受付嬢が硬直し、周囲のダイヴァーが姿勢を正す。


「遅くなった。……騒がしいな。何があった?」


 低く落ち着いた声が響いた。


 足音がカウンターへ近づく。


 ナナミは反射的に背筋を伸ばした。


(来ましたね……)


「ひっ……!」


 受付嬢はぴしっと背筋を伸ばし、震える手で海晶核を差し出した。


「ふ、副長……こちらを……!」


 影がナナミの前に落ち、黒いブーツが視界に入る。


 潮風の匂いがさらに濃くなる。


 そして――

 その副長と呼ばれる人物の視線が、ナナミに向けられた。


 鋭い。

 けれど、どこか深い海の底のような静けさがあった。


「……あんたが、これを持ち込んだのか」


 返事が喉に詰まる。


 ナナミはただ頷くことしかできなかった。


 副長は海晶核に手を伸ばし、わずかに触れた。


 黒藍の光が、彼の手の下で反射する。


「……深海核。しかも、この脈動……かなり下層のやつだな」


「ど、どういう……意味で……」


 副長はしばらく無言のまま海晶核を眺め――

 やがてナナミを見た。


 その目は鋭いが、怒気ではなかった。

 ただ、真剣に“見極めようとしている”目だった。


「……少し、話を聞かせてもらえないか?」


 ギルドのざわめきが止まった。

 ナナミの心臓の音だけがやけに大きく響く。


「こっちに来な。……ここじゃ話せねぇ」


 そう言うと、副長はナナミに背を向け、ギルド奥の鉄扉へ歩きはじめた。


 受付嬢が小声で囁く。


「……が、がんばって……!」


(ナナミ。覚悟を)


「む、無理ぃ……!!」


 半泣きのまま、ナナミは副長の背中を追う。


 ギルド奥へ向かう鉄扉が、静かに開いた。


 その向こうには――

 潮のにおいが濃密に漂う、薄暗い廊下。


 ナナミは喉を鳴らして一歩踏み出した。


 扉が音を立てて閉まる。


 薄闇の中で、副長ブレイカーが振り向く。


「……さて。どうやって“それ”を手に入れた?」


 鋭い問いが落ちる。


 ナナミの返事はまだ喉の奥に引っかかったままだった。


 深海での出来事――

 アビスリフト。

 そして、あのときの死の恐怖が未だに胸の奥で蠢く。


(ナナミ……)


 アストラルの声が震える心を支える。


 だが――

 副長の視線は逃げられないほど真剣だった。


 ナナミは胸元の金色の石が入った子袋を握り、息を吸った。


 そして――


 *


 ――次話へ続く。

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