最後のチューニング


処理室の中枢で、神崎 悟が静かに拍手を終えた瞬間、世界は崩壊の淵に立たされた。


零の体内へと強制的に注入された負の残響が、彼女の純粋な『カスケード』と激しく衝突し、青と黒の光が混ざり合い、凄まじいスパークを発生させている。零は、激痛に叫び声を上げ、その暴走する力が、処理室の壁を歪ませ始めた。


「ぐっ…止めろ、神崎!」湊は零を支えながら、神崎に叫んだ。


「無駄だ。これは、君の『救済の意志』と零の『破壊衝動』を極限まで高めるための儀式だ!」神崎は狂気に満ちた笑みを浮かべた。


そのとき、水脈庁の全システムが赤く点滅し、巨大な警報が鳴り響いた。


【警報:グランド・ストリーム起動。残響レベル、全域浸水開始】


東京上空で、巨大な現象が顕現した。湊には、街全体を覆い尽くす、黒い霧のような「最終的な濁流(グランド・ストリーム)」がはっきりと見えた。それは、神崎が長年かけて世界から収集した、無数の人々の諦めや絶望といった負の意志を凝縮した奔流だった。


「これこそ、私が創り出す『静止した世界』の始まりだ! すべての不純物を排除し、私の意志のみが法則となる!」


神崎の支配的な『意志』が、処理室全体に重圧として降り注ぐ。このままでは、零の『カスケード』は破壊的な暴走を起こし、外の『グランド・ストリーム』と激突し、世界は法則の亀裂によって粉々に砕け散る。


その瞬間、湊の耳元に、ノイズ混じりの沙織の声が届いた。


『湊! 私の『アンダースタンド』でも、神崎の『グランド・ストリーム』の核までは読み取れない! だが、彼のシステムを制御しているのは、この処理室の床下の旧型ケーブルよ!』


沙織は、外部で追跡部隊を陽動しながら、組織のシステム構造に精通している知識を活かし、湊に最後の望みを託していた。


「床下…!」


湊は零を抱えながら、足元の制御パネルを叩き割った。その奥には、複雑に絡み合った旧式のケーブルが露出している。


彼は、零の暴走する『カスケード』、外の世界を破壊する『グランド・ストリーム』、そして目の前の神崎という三つの脅威を、同時に相手にしなければならなかった。


「もう、止めることはできない。なら、導くしかない!」


湊は、自らの『回路』を全開にした。彼の右腕から、青い光が噴き出し、零の荒れ狂う『流れ』を捉える。


【最終チューニング:ターゲット・パターン:世界の法則の創造(クリエイト)】


湊は、零の意識に接続した。彼女の恐怖を、あの夜の「誰にも気づかれない希望」に変える。そして、彼は、その変換された零の「純粋なカスケード」を、神崎が解放した『グランド・ストリーム』全体へと、一気に流し込んだ。


「ぐあああああッ!」


湊の肉体に、これまでにない激痛が走った。それは、一つの流れを整流する痛みではない。世界の法則を、丸ごと上書きするための膨大なエネルギーが、彼の『回路』を通じて流れ込んでいるのだ。全身の血管が浮き上がり、彼の鼻と口から血が滲んだ。


「無駄だ! 破壊の奔流に、希望の願いを流し込んでも、ただ混ざり合い、崩壊を早めるだけだ!」神崎が高笑いする。


「違う…! 混ぜるんじゃない…! この破壊の奔流を、新しい法則を創り出すための、燃料にするんだ!」


湊は、あの夜、零が創造した「翼」のイメージを『グランド・ストリーム』全体に叩きつけた。それは、特定の意志による支配ではなく、「誰もが自分の意志を世界に持つことを許される」という、究極の多様性の法則だった。


零の『カスケード』と、神崎の『グランド・ストリーム』、そして湊の『回路』が融合し、処理室全体が、青と黒と透明な幾何学模様の光に包まれた。


その光の奔流は、水脈庁の地下から、渋谷、そして東京の夜空全体へと噴き上がった。それは、あの夜の小さな翼とは比べ物にならない、壮絶な「意志の光の洪水」だった。


神崎は、自らが解放したはずの『グランド・ストリーム』が、制御を離れて異質な光を放ち始めたことに気づき、初めて顔色を変えた。


「バカな! その力は、世界を崩壊させるはずだ! なぜ、崩壊しない…!?」


湊は、血だらけの笑顔で、神崎を見据えた。


「俺たちが創るのは…誰も犠牲にならない、新しい世界だ!」


最終的なエネルギーが、彼の『回路』を焼き尽くす寸前まで達した。二人の能力が、今、世界の法則を書き換える。

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