最終計画と罠(トラップ)


御影沙織の壮絶な過去と真の意志を知った湊と零は、渋谷の地下水路の出口に別れを告げた。沙織は、神崎の注意を逸らすため、あえて地下水路の逆方向、水脈庁の中枢に近いルートで陽動を開始した。


「行こう、零。俺たちの目的は、神崎を止めることだけじゃない」

「あの『濁流』を…救うことね」零は力強く頷いた。


神崎は「濁流」を中和処理したと言ったが、それは彼らが組織を裏切るための、そして彼らの心に憎しみを植え付けるための嘘かもしれない。湊と零は、まだ処分されていないと信じ、あの能力者を救出するために、敢えて水脈庁の中枢へ逆行した。


二人は沙織が教えた秘密のルートを使い、中枢フロアの奥、処理室へと続く通路へたどり着いた。


通路の先にある分厚いシャッターは、厳重に施錠されていた。湊は、零の「カスケード」の微細な残響を借り、自分の『回路』の波長を調整した。


【チューニング開始:ターゲット・パターン:セキュリティ解除(ブレイク)】


湊の右腕から放たれた青い光が、シャッターの制御パネルに触れる。シャッターは、数秒間のノイズを発生させた後、静かに開き、二人は処理室へと侵入した。


処理室は、冷たい金属と無数の拘束具に満たされた空間だった。そして、部屋の中央には、特殊な残響吸収ネットに包まれたまま、先日鎮圧した「濁流(ストリーム)」の能力者が、意識を失って拘束されていた。


「いた…!」零は安堵と衝撃で息を飲んだ。彼の体から黒い泥の残響は消え、ただの疲弊した青年の姿がそこにあった。


湊は、拘束具に手を伸ばし、慎重に触れた。彼は、残響吸収ネットを破壊せず、一時的に無効化するチューニングを試みようとした。


「零。力を貸してくれ。このネットの法則を、『無効』に書き換える」


零は、すぐに自身の『カスケード』を湊の「回路」へと流し込む。湊の右腕が強い光を放ち、拘束ネットの解除を試みた、その瞬間だった。


ピピピ…


部屋の隅に設置された残響センサーが、彼らの行動を察知し、短い警告音を発した。


湊と零がハッとして振り返ると、処理室の入口が再び静かに開いた。


そして、その入口から、統括責任者である神崎 悟が、一人、ゆっくりと歩いてきた。彼の口元には、冷たい笑みが浮かんでいた。


神崎は、処理室の壁にこだまするように、静かに、そしてゆっくりと、拍手を始めた。


パン、パン、パン――。その音は、地下の静寂の中で、あまりにも大きく、不気味に響いた。


「素晴らしい、雨宮 湊。そして、滝川 零」


神崎は、拍手を止め、二人に近づいた。


「私の予想通りだ。君たちは、『世界のバランス』という大義名分よりも、『個人の救済』という感情を選ぶ。君の『回路』は、予測不能な感情に突き動かされる時、最も鋭い反応を示す」


湊は、自らの行動がすべて神崎に読まれていたことを悟り、戦慄した。


「ここに来るまで、あなた方を追跡しなかったのは、私への裏切りを信じさせるためだった。そして、この『濁流』をあえて処分せず、この処理室に残しておいたのは…君たちをここに誘い出すための、最高の餌としてね」


神崎は、湊が拘束具に手を伸ばしたまま固まっている「濁流」の能力者を見下ろした。


「君は、君の理想のために、この哀れな『濁流』を救おうとする。その純粋な意志こそが、私が求めていたものだ」


神崎は、懐から小型の制御端末を取り出し、それを操作した。


「これで、お前たちを捕らえる必要はない」


瞬間、処理室の天井が開き、巨大なパイプが室内に突き出された。そして、そのパイプの先から、黒い泥のような負の残響が、轟音と共に、零の意識の深淵へと強制的に注入され始めた。


「ぐああああっ!」零は激痛に顔を歪め、体内の「カスケード」が制御を失い、青い光と黒い泥が混ざり合い、激しくスパークした。


「零の『カスケード』は、純粋すぎるがゆえに、最も強力な破壊力を持つ。そして、君の『救済の意志』が極限まで高まった時、その破壊力は最大になる」神崎は狂気に満ちた目で言った。


「私が解放しようとしている『最終的な濁流(グランド・ストリーム)』と、君の『カスケード』が激突した時、世界の法則は書き換えられる。その時、私の『静止計画』は完成する!」


神崎は、再び拍手を始めた。その拍手が、世界を静止させるための、最終的な合図となった。


「さあ、世界の崩壊を始めるぞ、治水技術者と、流れの担い手よ!」

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