裏切りの管理者(トラスト・ブレイク)
湊と零は、水脈庁の地下水路を抜け、渋谷の古い倉庫の裏手で地上に這い上がった。疲労困憊の彼らの前に、御影沙織が立ちはだかる。
「残念ながら、私から逃げ切ることはできないわ、雨宮君」
「沙織先生…!」湊は戦闘態勢に入る。彼の右腕の『回路』は、まだ回復しきっていない。
沙織は銃を地面に置き、両手をゆっくりと上げた。その目には、これまでの冷徹な管理者には見られなかった、深い悲しみが宿っていた。
「あなたたちの『意志』の波長は、私にあまりにもよく聞こえる。あなたは、誰も切り捨てたくないと願っている。零は、誰も孤独にならない世界を望んでいる。その純粋な願いが、私には痛いほど理解できるのよ」
「なぜよ? あなたは私たちを切り捨てようとした!」零が憤慨する。
沙織は静かに告白した。「私が組織の管理者として、あなたたちを冷酷に追跡した理由…それは、あなたたちを、私と同じように『必要な犠牲』にさせないためよ」
彼女は、感情を抑えるように一呼吸置いた。
「私には、たった一人の弟がいた。彼は、あなたたちのような能力者ではなかった。ただの、平凡な高校生よ」
沙織の瞳に、過去の光景が映るように揺らぎが生じた。
「数年前、渋谷で小さな残響の暴走事故が起きた。ビルの構造が不安定になり、弟はその崩落に巻き込まれた。その事故は、水脈庁の管理システムのわずかなエラーが原因だった」
「私は、神崎に救助を求めた。しかし、神崎は言った。『その程度の事故でシステムを介入させることは、より広範な残響の安定を脅かす。彼の命は、世界のバランスのための必要な犠牲だ』と」
沙織は、唇を噛み締めた。その言葉は、湊と零が「濁流」の男に対して神崎から聞いた言葉と、全く同じだった。
「私は、その日から、神崎と、この『水脈庁』の正義を憎んだ。彼らは、世界のバランスという名の元に、『無力な個人の意志』をゴミのように切り捨てる。弟の死は、その冷酷さの象徴よ」
「私が組織に潜り続けたのは、神崎の最終計画…世界の法則を完全に静止させ、特定のエリート層の意志のみで世界を永遠に管理する『静止計画』を阻止するためだ」
沙織は、地面に置いた銃を蹴り、湊たちのほうへ向けた。
「あなたたちの『カスケード』と『回路』は、神崎の計画を崩壊させる唯一の鍵よ。零の『流れ』は、世界の法則を書き換える力を持つ。そして、湊の『治水技術』は、誰も犠牲にしない『新しい水路』を創り出せる」
沙織は、湊の目を見た。
「あの夜、あなたが『濁流』を破壊せず、導こうとした時、私は確信した。あなたの理想こそが、弟のような『無名の犠牲者』を生まない唯一の道だと。私の弟の死を、無駄にしないでほしい」
彼女は、素早く通信端末を取り出すと、目の前でそれを叩き壊した。
「神崎は、もう最終段階に入った。今、巨大なエネルギーコアに過剰な残響を注入し、『最終的な濁流(グランド・ストリーム)』を意図的に解放しようとしている。これは、人類史最大のカスケード・エフェクト。世界の法則を強引に書き換えるための破壊行為よ」
沙織は、自身の能力で周囲の空気を整流し、二人の疲労をわずかに軽減させた。
「行きなさい。私は、追跡部隊の目を逸らす。もう私は、管理官ではない。私は、あなたたちを導く者(チャンネル)となる。神崎の計画を止め、二度と誰かが『必要な犠牲』として切り捨てられない世界を創るのよ!」
湊と零は、沙織の過去と、彼女の復讐の真意が、自分たちの理想と完全に重なっていることを悟った。彼らは、彼女の熱い「意志」に応え、世界の命運を賭けた最終決戦の場へと向かう決意を固めた。
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