濁流(ストリーム)
渋谷の地下深くに位置する水脈庁の秘密拠点。湊と零は、初の実戦を終え、重い足取りで中枢へと戻された。身体の疲労よりも、精神的な衝撃が二人を支配していた。
宮益坂で制圧した「濁流」の能力者は、鎮圧部隊によってネットに包まれたまま、中枢奥にある分厚いシャッターの向こうへと運び込まれていった。
「回収は完了よ。あなたたちの功績だ」沙織は、鎮圧部隊の報告書を確認しながら、淡々と二人に告げた。
「回収…その人は、どうなるんですか?」零が震える声で尋ねた。
沙織は顔を上げず、端末を見つめたまま答える。「世界の法則を乱した者は、不安定な残響の発生源よ。我々は、その『濁流』を、世界のバランスを保つために『中和処理』する」
「中和処理…それは、処分ということですか?」湊は、沙織の冷徹さに声を荒げた。
「そうよ、雨宮君」沙織は初めて端末から目を離し、湊の感情をまっすぐに見つめた。「彼の『意志』は、破壊と復讐に偏りすぎている。君の『回路』でも、彼の『流れ』の質を根本的に変えることはできない。不安定な残響を残すよりも、完全に無に帰す方が、世界にとっては安全なの」
零は、膝から崩れ落ちそうになった。彼女には、あの「濁流」の男の孤独と絶望が、まるで自分の過去のようにつながって感じられたからだ。あの夜の自分も、一歩間違えば同じ運命を辿っていた。
「私たちは、人を助けるためにこの力を制御する訓練をしたんじゃなかったんですか? 私たちの『カスケード』は、あの夜、人を救った! なのに、なぜ彼は…」
「それは、偶然の結果に過ぎない」神崎 悟が、プラットフォームの上から二人に声をかけた。
「零。君の『カスケード』が世界に描いた翼は、人々の意識に一瞬の安堵をもたらしただろう。だが、それはあくまで副作用だ。世界の安定とは、不純物の徹底的な排除によってのみ保たれる」
神崎は、冷酷な目で続けた。
「あの『濁流』の男は、我々『水脈庁』の管理下にあったにも関わらず、世界の真実を知り、その憎しみから自らの『流れ』を破壊へと染め上げた裏切り者よ。彼のような裏切り者は、世界の浸水を防ぐための、必要な犠牲だ」
「必要な犠牲…?」湊は強く反発した。
「俺の『回路』は、流れを破壊するためにあるんじゃない。俺は、あの男の『濁流』を破壊せずに、導くことができたはずだ! 時間さえあれば、彼の復讐の意志を、別の形に変えられたかもしれない!」
沙織は、冷たい理性の壁となって湊の前に立ちはだかった。
「感情論は無用よ、治水技術者。その『濁流』が再発動すれば、瞬時に東京の残響は汚染され、何十万人もの人々の意識が絶望に染まる。君の個人的な理想と、世界の安定、どちらが重いか、考えなさい」
湊は、自らの正義と、組織の「正義」が真っ向から対立していることを悟った。水脈庁は、世界のバランスという大義名分の下で、零と同じ孤独な能力者を冷酷に切り捨てる、冷たい歯車だった。
「俺は…この組織のやり方には従えない」湊は、力を込めて右腕の「回路」を握りしめた。
零も、湊の隣に立ち、決意のこもった瞳で沙織と神崎を見据えた。
「私もです。私の『流れ』は、破壊のためには使わせません。私たちは、この世界を創り変えるために力を手に入れたんです」
神崎は、プラットフォームの上で、わずかに目を細めた。その表情は、不快感と、そして微かな危険視へと変わった。
「愚か者め。世界の管理者を気取るか。君たちは、世界の法則に逆らい、自らの理想を世界に強制しようとしている。それは、私たちが排除対象と見なす、最も悪質な『濁流の思想』だ」
沙織も、その「アンダースタンド」の能力で二人の強い意志を読み取り、緊張を走らせた。
「あなたたちの『流れ』と『回路』は、まだ不安定よ。今、この水脈庁を裏切れば、あなたたちは世界全体を敵に回すことになる」
湊は、保健室で零と交わした誓いを思い出す。
『この世界を僕らにしか 創り出せない未来へ変える』
「それでもだ」湊は力強く言った。「俺たちの力で、この水脈庁の歪んだ流れを、変えてみせる」
湊と零は、水脈庁という世界の管理者を敵に回し、自らの理想と正義を貫くため、組織を離反する決意を固めたのだった。彼らの戦いは、世界の真実を知った今、新たな局面へと突入する。
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