第9話 夏目、筋肉魔人になる
放課後のグラウンド裏。
今日も夏目はランニングを終え、軽く汗を拭っていた。
そこへ、背後から叫び声。
「夏目ぇぇぇぇぇぇ!!!
今日こそだ!!!今日こそ同好会に来い!!」
振り返る前に分かった。
中村だ。
夏目はタオルを肩にかけ、平然と返す。
「やらねぇよ。今日は背中の日なんだよ」
「背中の日!?
聞いたことねぇよそんな理由!!」
「筋トレの世界では常識だぞ」
「知らねぇよその界隈!!」
中村が頭を抱える横で、
スマホの通知音が鳴った。
――ピコン。
半透明ウィンドウが浮かぶ。
――――――
デイリークエスト
背中の日(ラットプル・ロウ・デッド)
報酬:ポイント+5
――――――
(……よし、今日も筋肉を虐め抜くぞ)
夏目のステータスで1つの項目が急成長を遂げていた。
パワー:A
夏目はその画面を当たり前のように確認し、当たり前のように閉じた。
もちろん、周りには何も見えていない。
⸻
ある日の体育の授業にて
この日の体育は100m走だった。
「よし一組、位置について――」
スタート音が鳴る。
次の瞬間、
夏目は風になっていた。
走ったというより、
前の景色と後ろの景色が一瞬で入れ替わった
と言った方が早い。
「……は?」
教師がストップウォッチを見る。
「9秒60……?」
「先生それ壊れてますよ!!」
違う。先生の方が壊れそうだ。
クラスが騒然としているが、
本人だけが涼しい顔をしている。
「もうちょい腕振りを意識すれば0.2秒縮めるな……」
「いや、それ世界記録!!」
⸻
放課後のランニング。
横を走る伊藤が、唐突に言った。
「ねえ夏目くん。
あなた……最近、本当に変よ?」
夏目は驚いた。
中村ではなく
伊藤に指摘されるのは初めてだった。
「変ってなんだよ」
「走り方も、跳び方も、立ち姿も……
何か、無駄がどんどん消えてるの。
努力だけの変化じゃないわ」
ジムの影響だけでは説明できない。
彼女はそう言いたげだった。
夏目は前を向いたまま答える。
「……努力してる、だけだろ」
伊藤は何も言い返さなかったが、
彼の横顔をじっと見ていた。
(本当に、それだけ?)
そんな声が胸の奥で響いた。
⸻
放課後、夏目はいつものようにジムを訪れていた。
「夏目くーん、今日は脚の日ですか?」
「いや、その前にベンチと懸垂やるわ」
「じゃあ140kgセットしておきますね〜」
これが日常である。
スタッフからの扱いも、もう新人ではない。
――大型新人モンスターである。
マシンがきしむたび、周りの会員が距離をとる。
(……まあ、気にしないけど)
夏目は黙々と重量を挙げる。
ポイントはどんどん貯まっていく。
そして――
走力:S
パワー:S
無意識に、
“リミッター”がまたひとつ外れた。
⸻
翌日。
夏目が廊下を歩けば、
中村が柱の陰から飛び出してくる。
「夏目!!今日こそ!!!!」
「無理だ」
「まだ何も言ってねぇ!!?」
「いや顔見りゃ分かる」
「分かるなよ!!!
頼む夏目!!俺達今8人なんだ!!
お前が来れば公式戦に――」
「いかねぇよ」
「ですよねぇぇぇぇぇ!!!!」
崩れ落ちながらも笑う中村。
その背中には、
情熱と執念が混ざっていた。
夏目は去りながら
わずかに思う。
(……こいつ、何でこんな必死なんだ)
まだ意味は理解していない。
⸻
後輩たちが噂していた。
「なんかあの人……
廊下歩いてるだけで速いんだけど」
「走ってないのに走ってるみたいな……」
「ちょっと格好良い……」
「いや怖いだろ普通に!!」
夏目はいつも通りだった。
だが、
まわりの“世界”の方がざわつき始めていた。
⸻
そして時は流れる一
ジム。
ランニング。
筋トレ。
デイリークエスト。
伊藤。
勉強。
中村の勧誘。
そのすべてが、
日常として積み重なっていく。
――気づけば。
夏目は、野球に一切触れないまま
高校2年間を駆け抜けていた。
筋肉だけが過去の何倍にも膨れ上がり、
走力もスタミナも身体操作も、
人間離れした領域に入っていく。
夏目自身が、まだ知らないまま。
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