第10話 夏目とうとう捕まる

あれから2年経ち、夏目は完全に筋トレに取り憑かれていた。

毎日ジムへ行き、クエストをこなし、汗を流し、仕上げにサウナへ。

水風呂で「整った……」と悟りを開き、仕上げにプロテインをキメる。

合間には容赦なくみっちり勉強し、放課後は伊藤とランニング。

ついでに中村のしつこすぎる勧誘を華麗に躱し続け……。


そんな夏目がその日もジムを出ると、夕闇が街を飲み込み始めていた。

筋肉はパンパン、心は満ち足りている。


「今日もいいパンプだ……」


満足げにプロテインシェイカーを振っていると、携帯が震えた。

画面には『中村』。


(うわ……ここで来る?なんでだよこのタイミング……)


一度スルーしたが、着信が止まらない。

諦めて通話ボタンを押す。


「……なんの用だ、中村」


『夏目ぇぇぇぇ!!助けてくれぇぇぇぇぇ!!』


「うるさい!!俺の鼓膜にも人権があるんだぞ!!」


あまりの叫び声に、夏目はスマホを耳から10cm離した。


「で、何があった。どうせまた野球部の——」


『学校近くの公園に来てくれ!!今すぐだァ!!!』


「いやだから俺忙しくて——」


『頼む!!マジで!!ガチで!!本気で!!お前しかいねぇ!!!』


普段、太陽のように明るい男が、泣きそうな声で「お前しかいねぇ」。

嫌な予感しかない。


「……先に説明しろよ」


『明日!地区予選の初戦!!初の公式戦!!

なのに!俺が!膝を!!』


「落ち着け。文章にしろ。句読点を使え」


『無理!!とにかく来てくれ!!』


*****


嫌な予感に押されるように、夏目は結局公園へ向かった。


夜の公園は静かで、やけに風が冷たい。

その隅で中村がうずくまっていた。


「……お前、本当に膝やったのか?」


「ほら見ろ!!」


中村は誇らしげに――いや悲しげに――いやよく分からない情緒でギプスを掲げた。


「いやドヤ顔する怪我じゃねーよ、それ」


「医者に“最低一ヶ月おとなしくしろ”って言われた……!」


「そりゃそうだろ」


「明日の試合……出られねぇ……!!」


中村はその場で崩れ落ち、膝を抱えて泣き出した。


夏目は眉をひそめる。


「そんなに大事か、明日の試合」


「当たり前だろ!!俺たち、やっと“正式な野球部”って認められて最初で最後の大会なんだぞ!!」


「その期間、俺が全力で逃げてた時期と一致してるんだが」


「そこは触れるな!!メンタルが死ぬ!!」


中村は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、夏目の肩を掴んだ。


「夏目……頼む……。お前が来ないと人数が足りない。

試合そのものができないんだ……!」


「いやいやいや、俺野球経験ゼロだぞ?バットの握り方すら怪しいんだが?」


「そこは俺が教える!!基本だけならすぐ覚えられる!!」


「“基本だけ”ってセリフ、だいたい危険の前兆なんだよな……」


中村は松葉杖をガンッと鳴らしながら立ち上がった。


「大丈夫だって!お前、筋トレでムキムキになったし!

一年で変わったどころじゃねぇ!!もう二年で人外だよ!!俺は見てたぞ!!」


「見るなよ。怖ぇよ」


「筋肉は裏切らねぇ!!」


「お前のテンションが一番裏切ってるわ」


それでも、中村の必死さは伝わってくる。

泣き腫らした目で、それでも前を向こうとする顔だった。


「夏目……頼む。お前が来てくれたら俺らは試合に出れるんだ。本当に……

俺、みんなの夢を壊したくないんだ……」


夏目は深く息を吐いた。


「……わかった。できる範囲で、な」


「よっしゃあああああああ!!!!

世界は救われたァァァ!!!」


「落ち着け。てか、メンバー登録とかしてねえだろ?」


中村は松葉杖を振り上げた。(危ない)


「なんと!なんと!たまたまメンバー登録にお前の名前を入れちゃってたのだ!」


「いや、マジか……」


こうして、野球に触れたことの無い怪物が、ついに野球に触れることになった。

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