第4話
魔王様は、地球コスメがお好き
『コンビニ・天魔窟店』がオープンしてから数日が経過した。
地下1000階層という立地にもかかわらず、店は奇妙なほど平和だった。
なにせ、この店は創造主キュルリンのお墨付きである。
店の周囲50メートルは『安全地帯』としてシステムに登録されており、魔物たちは透明な壁に阻まれて入ってくることができない。
店長のサエキ・カズヤは、自動ドア(手動)の内側から外を眺めていた。
外では、体長10メートルはある『鉄食い大百足』が、何者かに踏み潰されて絶命していた。
「……今日は一段と、外の空気がピリついてるな」
「マスター。超高密度の魔力反応が接近中です。このプレッシャー、ただの魔物ではありません」
レジカウンターの中で、ポーンが緑色の髪を逆立たせて警戒を促す。
彼女の手はすでに、カウンターの下に隠した『対戦車用パイルバンカー』に掛かっていた。
直後。
カズヤの視界が、漆黒に染まった。
否、空間そのものが闇の魔力によって歪められたのだ。
重力が倍になったかのような圧迫感と共に、その客は現れた。
「あら、こんな所に新しい建物ができているわね」
現れたのは、夜会服のような漆黒のドレスを纏った、長身の美女だった。
透き通るような白い肌、血のように赤い瞳。
その美しさは人知を超えていたが、それ以上に纏うオーラが「私は生物の格が違う」と雄弁に語っていた。
そして、彼女の足元には、家一軒分ほどもある巨大な三つ首の犬――ケルベロスが侍っていた。
地獄の番犬は、周囲のS級魔物たちを威圧だけで追い払っている。
「い、いらっしゃいませ……?」
カズヤは震える足を踏ん張り、プロ根性で声を絞り出した。
美女は赤い瞳を細め、自動ドアを魔力(物理)でこじ開けて入店した。
「ふうん。結界の中は快適ね。……ポチ、あんたは外で待ってなさい」
「グルルッ(御意)」
ケルベロスをお座りさせ、美女――魔王ラスティアは店内を見回した。
彼女にとっては、ここはただの散歩コースの休憩所なのだろう。
カズヤの心臓は早鐘を打っていたが、彼女が破壊活動を始める様子はない。
むしろ、整然と並べられた商品に興味津々のようだ。
「見たことのない品ばかりね。……あら?」
彼女の足が止まったのは、雑誌コーナーの前だった。
カズヤが暇つぶし用に仕入れていた『女性ファッション誌』。
その表紙を飾るモデルの、修正ばっちりの輝く肌に、魔王の視線が釘付けになったのだ。
「……この紙の女、妙に肌艶がいいわね。どんな魔術を使っているのかしら」
独り言のような呟き。だが、カズヤは聞き逃さなかった。
彼は恐怖を飲み込み、営業スマイル全開で近づいた。
「お客様、お目が高い。それは地球……いえ、遠方の国の美容術です」
「美容術? 光魔法による幻影(フィルター)ではなくて?」
「ええ、素材そのものを磨き上げる技術です。……よろしければ、こちらをお試しになりますか?」
カズヤは棚から一つの箱を取り出した。
『プレミアム・スキンケア・トライアルセット(7日分)』。
洗顔料、化粧水、乳液、美容液がセットになった、旅行用の商品だ。
魔王は訝しげに眉をひそめる。
「ただの水に見えるけれど」
「中身はヒアルロン酸とコラーゲン、それに高純度のセラミドが配合されています。肌の奥底まで浸透し、失われた水分を補給するのです」
カズヤは商品の封を開け、化粧水を少しだけ手の甲に垂らして見せた。
スッと肌に馴染み、潤いの膜を作る。
魔王ラスティアは、その様子をじっと観察し、自らの指ですくい取った。
「……ほう」
彼女が肌に塗った瞬間、目が見開かれた。
魔法薬(ポーション)のような強引な魔力干渉ではない。
もっと繊細で、計算され尽くした化学の浸透圧。
数千年の時を生きた彼女の肌が、久しく忘れていた『瑞々しさ』を思い出したかのような感覚。
「悪くないわね。……いいえ、素晴らしいわ」
魔王の頬が紅潮する。
彼女は強大な魔力を持つがゆえに、常に肌が魔力焼けで乾燥気味なのが悩みだったのだ。
どんな高級な魔法薬も、彼女の魔力を弾いてしまって効果が薄かった。
だが、この『カガク』という未知の概念で作られた水は、魔力の壁をすり抜けて染み込んでくる。
「店主。これ、在庫はあるかしら?」
「は、はい! これと同じセットでよろしければ!」
「全部いただくわ」
大人買いである。
ラスティアは虚空から、拳大の深紅の宝石を取り出し、カウンターに置いた。
『火竜の心臓石(ファイア・ハート)』。市場価格にすれば、小国が一つ買える値段だ。
「これで足りるかしら?」
「た、足りすぎます! お釣りがありません!」
「釣りはいらないわ。その代わり、今後も私の肌に合う『新作』が入荷したら取り置きしておきなさい」
彼女は上機嫌でトライアルセットの山を亜空間に収納した。
そして、帰り際にカズヤに向かってウィンクを投げる。
「いい店を見つけたわ。また来るわね、可愛い店長さん」
魔王は優雅に店を出ると、外で待機していたケルベロスの背に乗り、闇の中へと消えていった。
嵐が去った後の店内には、甘い香水の香りと、国宝級の宝石だけが残された。
『ピロリン♪』
『善行を確認。対象:魔王ラスティア』
『評価:女性の深刻な悩み(肌トラブル)を解決』
『獲得善行ポイント:200,000P』
「……寿命が縮んだ」
カズヤはカウンターに突っ伏した。
だが、ポーンは冷静に宝石を鑑定し、目を輝かせている。
「マスター、この宝石を『換金』カテゴリで売れば、店舗の拡張と冷蔵庫の増設が可能です。次はアイスクリームを売りましょう」
「……お前、逞しいな」
こうして、コンビニ・天魔窟店は、世界最強のVIP会員第一号を獲得したのである。
だがカズヤはまだ知らない。
彼女が持ち帰った化粧水が、女子会仲間の『不死鳥』や『女神』の間で話題になり、さらなるカオスを呼び寄せることになるのを。
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