第2話
最初のお客様は、瀕死のS級冒険者
地獄の底にある安全地帯で、カズヤは忙しく働いていた。
彼が虚空のボードをタップするたびに、空間が歪み、『笑顔の矢印』が描かれた茶色の箱――段ボールが次々と転送されてくる。
「すごい……マスター。この『ダンボール』という素材、軽くて丈夫で、保温性まであります。これは未知の魔獣の皮ですか?」
「いや、紙だな。パルプだ」
世界樹の精霊であるポーン(幼女形態)は、目を輝かせながらカッターナイフで箱を開封している。
中から出てきたのは、ミネラルウォーターのケース、簡易テント、カセットコンロ、そして大量のカップ麺だ。
カズヤは手際よくそれらを並べていく。
かつてバイトリーダーとして、深夜のワンオペで磨き上げた陳列スキルが、まさか異世界で火を噴くとは思わなかっただろう。
「よし、とりあえずの生活基盤はできたな」
岩盤の上に銀色のマットを敷き、その上に商品を並べただけの簡素なスペース。
だが、殺伐としたダンジョン内において、そこだけが異質なほどの『文明の匂い』を放っていた。
その時である。
ポーンの愛らしい緑色の瞳が、スッと細められた。
「マスター、接近者あり。……生体反応、微弱。死にかけです」
「え?」
ドサリ、という重い音が、ポーンが作った木の根のバリケードの外で響いた。
カズヤが隙間から覗くと、そこには血まみれの集団が転がっていた。
全身を白銀の鎧で固めた騎士、杖を握りしめて失神している魔術師、片腕がダラリと下がった軽戦士。
装備の質からして、ただの冒険者ではない。おそらく地上でも指折りの実力者たちだろう。
だが、今の彼らはボロ雑巾のようだった。
「ひぃ、はぁ……ここ、は……行き止まり、か……」
リーダー格らしき騎士の男が、絶望に顔を歪めて呟く。
彼らは命からがらここまで逃げてきたのだ。だが、補給は尽き、出口はない。死は確定的だった。
ポーンが無感情な声で告げる。
「排除しますか? ここを嗅ぎつけた害獣です」
「待て待て待て! 人間だろ!? お客様だ!」
カズヤの『善行センサー』兼『コンビニ店員魂』が発動した。
彼はバリケードの一部を解除すると、ふらつく足取りで騎士たちの元へ駆け寄った。
「お客様! 大丈夫ですか!?」
「な……貴様、は……? この魔境に、なぜ……」
騎士は薄れゆく意識の中で、カズヤを見た。
清潔な服。泥一つついていない肌。そして背後に控える、強大な魔力を秘めた精霊。
彼の目には、カズヤが『このダンジョンを統べる支配者』にしか映らなかった。
(殺される……!)
騎士が覚悟を決めた、その時である。
カズヤの手には、剣ではなく、青いラベルの貼られた透明な筒――500mlペットボトルが握られていた。
「脱水症状ですね。まずはこれを!」
カズヤはキャップを捻り、騎士の口元へ運ぶ。
中身は、地球が誇るイオンサプライドリンク『ポカリスエット』だ。
騎士の喉を、液体が通り過ぎる。
その瞬間、騎士の目がカッ! と見開かれた。
「――っ!? な、なんだこれは……!?」
甘く、しかし微かに塩気を含んだ、体液に近い浸透圧を持つ聖水。
乾ききった細胞の一つ一つに、魔力にも似た活力が染み渡っていく感覚。
この世界の水は、基本的には硬水か、魔法で出した味気ない水だ。
計算し尽くされた『味』と『成分』を持つそれは、彼らにとってエリクサー以上の衝撃だった。
「う、美味い……力が、湧いてくる……!」
「こっちの方にはこれを。栄養補給が必要です!」
カズヤは続けて、魔術師の口に黄色いブロック状の物体を突っ込んだ。
バランス栄養食『カロリーメイト(チーズ味)』である。
一口で必要なビタミンとカロリーを摂取できるその塊は、魔力枯渇(マナ・ドレイン)を起こしていた魔術師にとって、最高級の携帯食料だった。
「こ、これは……高度に圧縮された糧食……! わずか一片で、満腹感と魔力の安定を感じるなんて……!」
魔術師が震える手でその黄色い箱を崇めるように見つめる。
カズヤにとってはドラッグストアで百数十円で買った品だが、彼らにとっては国宝級の錬金術品に見えているのだ。
やがて、全員の呼吸が整った。
彼らは信じられないものを見る目で、カズヤを見上げ、そして平伏した。
「あ、貴方様は一体……我らごとき敗残者に、このような神の秘薬を……」
「いえ、ただの在庫処分……じゃなくて、サービスです。開店祝いの」
カズヤは営業スマイルで答えた。
騎士たちは顔を見合わせ、勝手に納得する。
――この御方は、我々の実力を試し、そして慈悲を与えてくださった『迷宮の主』なのだ、と。
これ以上長居すれば、不敬にあたる。
「か、感謝いたします! この御恩は生涯忘れません!」
「あ、帰りのルートなら、あっちの隠し通路が安全ですよ(ポーンが教えてくれた)」
「道案内まで……! ははっ!」
騎士たちは何度も頭を下げ、逃げるように、しかし確かな足取りで去っていった。
彼らが去った後、カズヤの前の空間に再びファンファーレが鳴り響く。
『ピロリン♪』
『善行を確認。対象:Sランク冒険者パーティ「銀翼の剣」』
『評価:国宝級の英雄たちの命を救済』
『獲得善行ポイント:50,000P』
「……うわ、でかい」
カズヤはホクホク顔でガッツポーズをした。
水とカロリーメイト、原価にして数百円。それが五万円分のポイントに化けたのだ。
「マスター、ちょろい商売ですね」
ポーンが毒舌混じりに呟く。
カズヤは深く頷いた。
「ああ。これなら、ここでやっていけるかもしれない」
だが彼はまだ知らない。
地上に生還した彼らが、「最深部には、秘薬を湯水のように振る舞う、慈悲深き魔人がいる」と涙ながらに証言し、大騒ぎになることを。
そしてその噂が、さらなる大物(厄介客)を招くことになる未来を。
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