​『S級ダンジョン最深部のコンビニ店長になりました。店員はパイルバンカー持ちのポーン。常連客がラスボスで困ってます』

月神世一

第1話

転生先は、地獄の底(セーブポイント)でした

​ マンルシア大陸の中央、かつて緑豊かな平原だったその場所には、今や世界最大の絶望の大穴が開いている。

 創造主たる女神ルチアナさえも「あー、あそこは無理」と匙を投げた、地下1000階層に及ぶ超高難易度ダンジョン『天魔窟』。

 地上ではS級冒険者たちが10階層程度で悲鳴を上げて逃げ帰るその魔境の、遥か最深部。

​ 人類未踏のその場所に、一人の男が目を覚ました。

​「……いらっしゃいませ?」

​ 男の名前はサエキ・カズヤ。

 日本という平和な国で、コンビニのバイトリーダーとしてその手腕を振るっていた青年である。

 彼は反射的に染み付いた接客用語を口にしながら、周囲を見回した。

​ そこは、奇妙な空間だった。

 広さは学校の体育館ほどだろうか。ゴツゴツとした岩盤に囲まれたドーム状の空間。

 だが、一歩外を見れば、そこは地獄だ。

 通路の先からは、重戦車のようなサイズのアリや、全身が刃物でできたライオンなどが闊歩し、互いに喰らい合う咆哮が轟いている。

 しかし不思議なことに、カズヤがいるこの空間にだけは、彼らが入ってくる気配がない。

 まるで、ここだけが世界から切り離された『セーブポイント』であるかのように。

​「状況整理。……うん、遭難だな。それも異世界レベルの」

​ カズヤは努めて冷静に思考した。

 記憶にあるのは、深夜シフトの休憩中に、裏口で段ボールを片付けていたこと。そして突然、足元が光ったことだけだ。

 そして現在。目の前には、半透明の不思議なボードが浮かんでいる。

​『ユニークスキル:ネット通販』

『所有者:サエキ・カズヤ』

『現在の善行ポイント:0P』

​「通販……?」

​ カズヤが恐る恐るパネルに触れると、見慣れた地球の通販サイトの画面が表示された。

 飲料水、食料、日用品、さらには家電まで。カテゴリーは多岐にわたる。

 だが、商品の値段表記が『円』ではなく『P(ポイント)』になっていた。

​「水、500mlで……100P? 高いな」

​ そして現在の所持ポイントはゼロ。

 説明文によれば、このポイントは『善行』……つまり、人助けや社会貢献をすることで溜まるらしい。

 

「詰んだ」

​ カズヤは天を仰いだ。天井も岩盤だったが。

 ここは地獄の底だ。助けるべき人間もいなければ、掃除すべき道路もない。

 ただ飢えて死ぬのを待つだけか。

 彼は溜息をつき、崩れかけた岩壁の隅に座り込もうとした。

​ その時だ。

​「……ん?」

​ 瓦礫の下に、何かが挟まっているのが見えた。

 それは、一本の枯れかけた木の枝だった。

 いや、ただの枝ではない。僅かにエメラルドグリーンの燐光を放っているが、その光は今にも消えそうだ。

 岩の重みに圧し潰され、その命脈を絶たれようとしている。

​ カズヤの手には、転移前から持っていた飲みかけのペットボトルが握られていた。中身は残り少ないミネラルウォーターだ。

 これを飲めば、自分の寿命は数時間延びるかもしれない。

 だが、カズヤという男は、根っからの『世話焼き』だった。

 コンビニ時代も、雨に濡れた捨て猫を放っておけずに店長に怒られたことが何度あるか。

​「……喉、乾いてるよな」

​ 彼は迷わず、ボトルのキャップを開けた。

 自分が生き延びるための貴重な水を、その枯れかけた枝へと注ぎ込む。

 さらに、瓦礫をどかし、枝が呼吸しやすいように周囲の土を整えてやった。

​「元気になれよ。俺はもうダメかもしれないけどさ」

​ それは、打算のない純粋な善意だった。

 誰も見ていない、誰からも賞賛されない、地獄の底での小さな園芸。

 

 その瞬間。

 目の前の空間に、ファンファーレのような効果音が鳴り響いた。

​『ピロリン♪』

『善行を確認。対象:世界樹の幼体(希少度SSS)』

『評価:自己犠牲による生命救助』

『獲得善行ポイント:100,000P』

​「はい?」

​ カズヤが素っ頓狂な声を上げるのと同時に、奇跡が起きた。

 水を吸った枝が、爆発的な光を放ったのだ。

 光の粒子が渦を巻き、植物の蔓が絡み合い、やがてそれは人の形を成していく。

 

 光が収まった時、そこに立っていたのは、一人の少女だった。

 年齢は10歳ほどに見える。

 髪は若葉のような緑色。肌は樹皮のように硬質だが、陶器のように滑らかだ。

 彼女はゆっくりと瞳を開き、目の前のカズヤを見上げた。

​「……マスター?」

​ 鈴を転がすような声。

 カズヤは呆然としながら頷く。

​「あ、ああ。……君は?」

「私は世界樹の端末、ポーン。貴方様の善意により、起動いたしました」

​ 彼女はスカートの裾をつまみ、恭しく一礼する。その所作は完璧な店員のようでもあり、王を守る騎士のようでもあった。

​「マスター、周囲には敵性生物が多数存在します。これより『ルーク形態』による守護領域を展開します」

​ 彼女が小さな手を掲げると、地面から太い木の根が隆起し、入り口を完全に封鎖した。

 外からの咆哮がピタリと止む。

 絶対的な安全地帯が、ここに完成したのだ。

​「す、すごい……」

「お褒めにあずかり光栄です。……ところでマスター」

​ ポーンはカズヤの顔をじっと見つめ、コテンと首を傾げた。

​「お腹が空きました。何か食べるものはありますか?」

​ カズヤは瞬きをし、そして苦笑した。

 ついさっきまでの絶望感は、どこかへ消え失せていた。

 相棒がいる。安全な場所がある。そして手元には、莫大な善行ポイントと『ネット通販』がある。

​「オーライ。任せておけ」

​ カズヤは電子ボードを操作し、水と食料、そして寝袋をカートに入れた。

 地上に出る方法はまだ分からない。

 だが、ここで生きていくことはできそうだ。

​「とりあえず、開店準備といくか」

​ こうして、世界で最も危険な場所にある、世界で最も平和なコンビニの歴史が始まったのである。

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