第17話:☆王都騎士団
タクマと名乗る風変わりな旅人がファスタ村を去ってから数日ほどの日が流れた。
村はヒュドラの脅威が去ったことで、すっかり平穏を取り戻していた。
もはや脅威に怯えることもなく、人々は畑仕事に精を出し、子供たちの明るい笑い声が村の広場に響き渡る。あの悪夢のような日々が、まるで遠い昔のことのように感じられた。
そんなある日の昼下がり。
村の見張り台に立っていた若者が、慌てた様子で鐘を鳴らした。
カン、カン、カン!
それは魔物の襲来を知らせるものではない。来訪者を告げる、歓迎の鐘の音だった。
村人たちが何事かと広場に集まってくると、村の入り口から、馬車から降りて整然とした隊列を組んだ一団が入ってくるのが見えた。
陽光を浴びてきらめく白銀の鎧。風にはためく、王家の紋章が刺繍された旗。それは、この国の平和と秩序を守る、王都騎士団の姿だった。
先頭を歩くのは、一際立派な装飾が施された鎧を身にまとい、腰に長剣を携えた、壮年の男性。その鋭い眼光と、歴戦の勇士であることを物語る顔の傷跡は、彼がこの騎士団を率いる隊長であることを示していた。
「我々は王都騎士団第一部隊である! この村からの要請を受け、魔物ヒュドラの討伐に参上した!」
騎士団長の腹の底から響くような力強い声が、広場に響き渡った。
その言葉に村人たちは一瞬、きょとんとした顔を見合わせる。そして、すぐに状況を理解し、安堵と、そして少しばかりの気まずさが入り混じったざわめきが広がった。
村長が、慌てて騎士団長の前へと進み出た。
「おお、これはこれは、騎士団長様! よくぞお越しくださいました! まさか、本当に王都から皆様が来てくださるとは……!」
「うむ。報告によれば、この村はヒュドラの脅威に晒されているとのこと。被害の状況は?」
騎士団長は馬上から威厳に満ちた声で尋ねた。その瞳には、これから始まるであろう死闘への覚悟が宿っている。
しかし、村長の口から返ってきたのは予想外の言葉だった。
「は、はあ……。それが、ですな……。ヒュドラは、もうおりません」
「……何?」
騎士団長の鋭い眉が、ぴくりと動いた。
「どういうことだ? 我々の情報では、ヒュドラはこの村の裏山に巣食い、村人たちを脅かしていると……。まさか我々をからかうために、偽の要請を出したとでも言うのか?」
騎士団長の声音にわずかな怒気が混じる。王都からこの辺境の村まで、騎士団を動かすのは並大抵のことではない。それが無駄足だったとすれば、彼の怒りももっともだった。
「いえいえ! とんでもない! 決してそのようなことでは!」
村長は、慌てて首を横に振った。
「実は何日か前に、一人の旅の冒険者様が、その……ヒュドラを討伐してくださったのです」
「……何だと?」
騎士団長は今度こそ絶句した。
彼の隣に控えていた副団長らしき若い騎士も、「馬鹿な……」と信じられないといった表情で呟いている。
「ヒュドラを……一人の冒険者が? 戯言を申すな。あのヒュドラは、我々騎士団が総力を挙げてようやく討伐できるかどうかという、とてつもない魔物だぞ。それを……たった一人でだと?」
「しかし事実なのです! その方がヒュドラを倒してくださったおかげで、この村は救われました。もし信じられないのでしたら、裏山をご覧になってください。討伐されたヒュドラの、巨大な亡骸がまだ残っております」
村長の真に迫った言葉に、騎士団長はしばらく押し黙った。
彼は、じっと村長の目を見つめ、その言葉に嘘がないことを確かめると、やがて、重々しく口を開いた。
「……分かった。ならば、その亡骸とやらを、この目で確認させてもらう。案内せよ」
騎士団長は数人の部下だけを連れて、村長の案内の下、ヒュドラが倒されたという裏山へと向かった。
そして森の奥で、その信じがたい光景を目の当たりにする。
そこには小高い丘と見紛うほどの、巨大な魔物の死体が横たわっていた。九つの首は力なく垂れ下がり、その巨体はもはやピクリとも動かない。紛れもなく、彼らが討伐対象としていた、ヒュドラそのものだった。
「……本当に、倒されている……」
騎士団長は、馬上から降り、呆然と呟いた。
彼はヒュドラの亡骸に近づき、その分厚い鱗や、致命傷となったであろう首の傷を、専門的な目で検分していく。
「この傷……。剣や槍によるものではないな。一体、何で……?」
騎士団長は、眉間に深いしわを寄せた。
ヒュドラを倒したというその謎の冒険者。一体、何者なのか。
そして一体、どのような手段を用いて、この化け物みたいな魔物を屠ったというのか。
「その冒険者の名を、覚えているか?」
騎士団長が村長に尋ねる。
「はい。タクマ、と名乗っておられました。若い旅人だと……」
タクマ。
騎士団長その聞き覚えのない名前を、記憶の中から掘り返そうとした。
(この国にそのような高名な冒険者がいただろうか。いや、聞いたことがない……)
王都からの要請がようやく届いた時には、全てが終わっていた。
そしてその元凶を屠ったのは、正体不明の謎の冒険者。
騎士団長は、たった一人でどうやってヒュドラを討伐したのかという謎、それを遥かに上回る、未知の強者に対する畏怖と好奇心を胸に、ただ黙って、ヒュドラの亡骸を見つめ続けるのだった。
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