第11話:☆忘れ物

 タクマと名乗る風変わりな旅人が、ファスタ村を去ってから数時間が経った。

 村はヒュドラという絶対的な恐怖が消え去ったことで、かつての活気を取り戻しつつあった。子供たちの笑い声が響き、大人たちは畑仕事に精を出す。誰もが、あの悪夢のような日々が嘘であったかのように、穏やかな日常を謳歌していた。


 ティムもそんな日常に戻った一人だった。

 しかし彼の心の中には、他の村人たちとは少し違う、特別な感情が芽生えていた。

 それは、タクマという英雄への憧れ。男の子なら誰もが抱きそうな感情だった。


「僕も、タクマさんみたいに……」


 そんな憧れを抱きつつ母親と共に家に帰っていった。


 ティムは母親に採ってきた薬草を渡そうとした時だった。

 ふと、自分が採ってきた薬草を入れたカゴに異物を発見する。

 それはタクマから借りたコモンシールドであった。


「……あ!」


 ティムは思わず声を上げた。


「そうだ……これ、兄ちゃんから借りてた盾だ!」


 ヒュドラと遭遇した時の恐怖と、その後の英雄の活躍という、あまりにも衝撃的な出来事が続いたせいで、ティムはこの盾の存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。

 タクマもまた、慌ただしく村を去っていったため、この盾のことを思い出す暇もなかったのだろう。


「ど、どうしよう……! これ、返してない!」


 ティムの顔からさっと血の気が引いた。

 きっと彼にとっても特別な品のはず。それを、自分が返し忘れてしまった。


 コモンシールドという盾は、普段は手の平サイズの小さな物体である。まるでドアノブの部分だけをくり抜いたかのような不思議な形状をしている。

 だが取っ手の裏側にあるスイッチを押すと、光の壁が瞬時に展開されて盾として機能するという仕様なのだ。


 普段は持ち運びに便利なサイズで腰などにぶら下げて、戦闘になりそうな時に取り出して盾として使う。

 それがコモンシールドという装備品なのである。


 あまりにも小型で目立たないせいか、ティムもとっさにカゴの中に置いておいたことを忘れていたのだろう。


「どうしよう……」


 今頃どこにいるのだろう。もうこの村からずっと遠い場所へ行ってしまったかもしれない。


「お母さん! 大変だよ!」


 ティムは半べそをかきながら家へと駆け込んだ。

 母親のリナに事情を話すと、彼女も困ったような顔をした。


「まあ、ティム……。それは、すぐにでもお返ししないといけないわね」

「でも、もうどこにいるか分からないよ……」

「そうねえ……。恐らく村から一番近いウーヌスの街に向かうとは思うけど……」


 リナは、腕を組んでうーんと唸った。

 タクマはファスタ村にとって命の恩人だ。その恩人の大切なものを、預かったままにしておくわけにはいかない。


「そ、そうだ! 今から走って追いかければ間に合うかも!」

「ま、待ちなさい! もう日が暮れそうなのよ! 危ないわよ!」

「う……」


 ティムはついさっきまで山奥まで行ったのが原因で帰るのが遅くなったのだ。再び同じ間違いを犯すわけにもいかず、ティムの足が止まる。


「ど、どうしよう……返さないと……」

「……よし」


 しばらく考え込んでいたリナだったが、やがて何かを決意したように、顔を上げた。


「ティム。お母さん、行商の隊に頼んで、ウーヌスの街まで伝言を届けてもらうことにするわ」

「伝言?」

「ええ。『ファスタ村のティムが、あなたの大切な物を預かっています。もしこの伝言を見たら、村まで取りに来てください』ってね。ウーヌスの冒険者ギルドの掲示板に貼ってもらえば、いつかタクマさんの目に留まるかもしれないわ」


 それは途方もなく可能性の低い賭けかもしれなかった。

 だが、何もしないよりはいい。


「うん、そうする! 僕、手紙書くよ!」


 ティムは母親の提案に力強く頷いた。

 そして生まれて初めて、誰かのために必死に文字を綴った。

 拙い文字で、何度も書き損じをしながらも、感謝の気持ちと、盾を返したいという思いを一枚の羊皮紙に込めて。


 そして、ティムも、リナも、まだ気づいていなかった。

 その光る盾――「コモンシールド」が、ただの「盾」などではなく、この世界の常識を覆すほどの力を秘めた、未来技術装備オーバーテクノロジーであることを。

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