第10話:旅立ち
静まり返った森の中で、俺は一人、自らが引き起こした奇跡、あるいはバグの結果に、ただただ戦慄していた。
右手に握られたハンドガンが、まるで世界の理を歪める禁断の果実のように、禍々しく見えてくる。
「……これは、ダメだ」
うん。これはちょっと強すぎるな。この力は、あまりにも危険すぎる。
ゲームの仕様が違うだけで、最弱の武器が強力な魔物を一撃で葬り去る。
もしこの世界で最強クラスの兵器を持ち出したら?
……この星そのものが、塵になって消えかねない。
それは、俺が望んだ「第二の人生」とはかけ離れた、ただの破壊と暴力だ。
それに、こんな規格外の力を使っていれば、いずれこの世界の「運営」――つまり、神やそれに準ずる存在に気づかれるかもしれない。バグは修正されるのが世の常だ。俺という存在が「異物」と見なされ、デリートされる可能性だってある。
「なるべく隠さないとな……。危険人物扱いされかねないし……」
俺は固く決意した。
この世界を楽しむために来たんだ。世界の理を捻じ曲げ、生態系を破壊し、恐怖されるような存在になるために来たんじゃない。
俺は右手のハンドガンをアイテムを捨てるかのように、素早くリムドのインベントリへと転送した。
そして右腕のリムド本体も、ウェスタンスタイルのカウボーイシャツの袖を深く下ろして隠した。
決意を新たに、俺はティムを隠した岩陰へと急いで戻った。
「ティム君、もう大丈夫だ!」
岩陰を覗き込むと、ティムは地面にへたり込んだまま、一点を凝視して呆然としていた。その瞳は大きく見開かれ、焦点が合っていない。
さっきの光景を遠目に見てしまったんだろうな。丘のような巨体が、一瞬で崩れ落ちる、あの現実離れした光景を。
「い、まの……なに……?」
その声はか細く、震えていた。
「ああ、ええと……すごい魔法の巻物を使ったんだ。一回しか使えない、とっておきのやつだ」
俺は咄嗟にそう嘘をついた。ヒュドラを倒した衝撃と、今後の身の振り方を考えなければならないという焦りで、頭がぐちゃぐちゃだった。
「ティム君。村に帰ろう。歩けるかい?」
「………………」
「ティム君?」
あれ。どうしたんだろう。
なぜかキラキラした目でこっちを見ている気がする。
「おーい?」
「す…………すっっっっっっっっげぇぇぇぇぇぇぇ!」
「!?」
「何今の!? あの化け物を倒すなんてすげぇぇぇぇ!」
まるで宝を見つけたかのような興奮をしながら見つめてくる。
「もしかして兄ちゃんは〝四剣聖〟なの!?」
「い、いや……ち、違うよ。俺はただの旅人だよ……」
「そうなんだ! でもすげぇよ!」
「あ、うん……ありがと」
褒めてくれるのは嬉しいんだけど、ぶっちゃけ一撃で倒せるなんて予想外だったから実感がわかない。
まぁ倒せたからよしとしよう。
「と、とりあえず村に帰ろう! お母さんも心配してるよ!」
「そ、そうだった! 急いで帰らないと!」
というわけでティムの手を引き、村へと急ぐことになった。
それから村に戻ることができた。
村の入り口が見えてきた時、ティムの母親であるリナさんが、血相を変えてこちらへ走ってくるのが見えた。
「ティム! ああ、ティム……!」
「お母さん……」
二人は涙ながらに抱き合う。その光景に、俺は少しだけ、この世界に来て良かったと思えた。
リナさんは俺に何度も何度も頭を下げ、感謝の言葉を繰り返した。やがて、ヒュドラがいなくなったという話は村中に広まり、俺は一夜にして英雄扱いされることになってしまった。
村長からは村に定住してほしいとまで頼まれたが、俺は丁重に断った。
この村は好きだ。人々も温かい。だが、ここに長居はできない。
いつリムドの存在がバレるとも限らない。そして何より、俺にはやりたいことがあった。
「俺は……旅人ですから」
リナさんや村長にそう言って、にっこりと笑ってみせた。
「この世界を自分の目で見て回りたいんです。色々な街を訪れて、色々な人に出会って、この素晴らしい世界をただ楽しみたい」
それが俺の偽らざる本心だった。
せっかく転生できたんだ。一人の旅人として、この「アルバートヒーローファンタジー」の世界を冒険する。
それこそが、俺が本当に望んでいた第二の人生だ。
「兄ちゃん! 本当に行っちゃうの?」
村の出口までティムが見送りに来てくれた。
「ああ。でもまたいつか会えるさ。その時まで、お母さんをしっかり守ってやれよ」
「うん……」
ティムは力なく頷いた。
俺はティムの頭をくしゃくしゃと撫で、背を向けた。
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