魔法少女OL。
ものとーん
第1話 魔法少女志望ですっ…!!
「魔法少女志望ですっ…!」
面接室に、場違いなほど元気な声が響き渡った。
白い壁と長机、前にはずらりと並んだスーツ姿の面接官たち。
その視線は、私の熱意とは裏腹にどこか冷めている。
「昔からの憧れで、ずっと目指してきました!
高校と大学では体育の成績はトップでしたし、ボランティアにもたくさん参加してきました。その中で、たくさんの人から感謝を伝えられた瞬間は、本当にやりがいを感じて…」
早口になっているのが自分でも分かる。
けれど、止まれない。思いが溢れ出してくる。
「あ~はいはい。そこまで。ちょっといいかな?」
真ん中の席にいる男性の面接官が、書類から目を離し、気怠そうに手を上げた。
その視線が、私の全身を上から下まで一往復する。
「あなた、辛いことには耐えられる?」
「え…」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
「とてもそんなふうには見えないけど」
予想だにしない質問と、あまりにも温度の違う言い方に、胸の奥が、つ、と冷たくなった。
けれど――ここで引くわけにはいかない。
「は、はい…! 今までも困難なことがありましたが、私の取り柄である行動力と対人支援力で――」
「じゃなくて」
ぴしゃりと切られる。
面接官は、ため息をひとつついてから、指で机を軽く叩いた。
「SNSでの誹謗中傷、表と裏を使い分けるアイドル活動、
裏社会との敵対関係、政治的な圧力」
淡々と、業務内容でも読み上げるみたいな口調で続ける。
「そういうの。炎上したときに、家族や友達ごと叩かれることだってある。それでも笑って、“夢を与える側”をやり続ける覚悟がある…?」
面接室の空気が、さらに重くなった気がした。
他の面接官たちも、書類から顔を上げ、じっとこちらを見ている。
喉の奥がきゅっと詰まる。
逃げ出したい、という感情と、ここで退いたら全部終わりだ、という焦りがせめぎ合う。
精一杯、まっすぐに面接官の目を見返した。
それが強がりだってことくらい、自分でも分かっている。だけど…
「…はいっ。大丈夫です」
声が、少し擦れる。
「怖いことも、きっとあると思います。でも――」
握りしめた拳に、ぎゅっと力を込めた。
「それでも私は、魔法少女でしかできないことがあるって信じてます。…耐えます。いえ、耐えてみせます!」
最後だけは、はっきりと言い切った。
短い沈黙が落ちる。
面接官はしばらくこちらを見つめていたが、やがてふいっと視線を外し、手元の書類に目を戻した。
「…適性A、身体能力A、精神耐久…仮評価C」
隣の面接官が小声で確認する。
「現場、人手足りてませんしね。教育枠で」
「じゃあ――」
面接官が顔を上げる。
「一次面接は通過。詳細は追って連絡するよ。
ようこそ、“魔法少女候補生”さん」
「失礼します!」
椅子から立ち上がり、腰が折れそうなほど深く頭を下げる。
ドアを静かに閉め、廊下に出たところでようやく息を吐いた。
「っしゃ…!」
声にならないくらいの小さなガッツポーズ。
さっきまで緊張で重かった足取りが、嘘みたいに軽くなる。
これからどんどん人を救って、人気者になってやるんだ。
そして――昔の友達を見返してやるんだ。
数日後、自宅ポストを開けると、黒い封筒が一通だけ差さっていた。
差出人は、「国家災害対策庁 魔法少女運用課」
心臓が、一拍遅れて跳ねる。
「…受かった」
玄関先でしゃがみ込んだまま、添付の書類を何度も読み返した。
一次面接通過、採用内定、研修日程、誓約書。
並んでいるのは事務的な文字ばかりなのに、全部が眩しく見えた。
♦
初出勤の日、ビルの前で私は深呼吸をした。
ガラス張りのロビー。
スーツ姿の職員たちと、その間をすり抜けるように歩いていくカラフルなコスチュームの女の子たち。
画面越しにしか見たことのなかった“魔法少女”が、
普通にエレベーターを待ち、IDカードをタッチしている。
「う、うそ…あれってまさか…星屑の魔法少女ルミナ…?
あっちは夜空の魔法少女スタイリー!ほ、本物だ…本当に私…
この世界に…」
つい目で追ってしまい、受付の人に名前を呼ばれて慌てて走る。
その日は、説明と手続きでほとんど終わった。
任務の種類、安全基準、守秘義務。
そして『身体管理権譲渡に関する同意書について』
最後に、「公式イメージ」の一環としてのSNS運用マニュアル。
「こちらがあなたのアカウントになります。スタッフがサポートしますが、自撮りや日常の一コマなど、親しみやすさを意識した運用を心がけてくださいね」
タブレットには、すでに仮アイコンとヘッダー画像が設定されていた。
「それで…あなたの魔法少女名は確か…えーと…」
マネージャーが画面を覗き込みながら首をかしげる。
「フローレです!
つらい人の心にも、小さくても花が咲くような――
そんな世界になりますようにって、祈って決めました…!」
「フローレ…そうですか。とても素敵だと思います」
少しだけはにかんでから、すぐに画面へ視線を戻す。
「それでは魔法少女名フローレ、アカウント名は…そうですね、Mahou_Floreで登録しておきますね」
次は衣装の打ち合わせ。
デザイナーらしき女性が、タブレットとスケッチブックを広げる。
「子ども向けの支持を得たいなら、このくらいのフリルが限界ですね。足は出した方が映えます。動きやすさも考えると、スカート丈は――」
モニターには、私をモデルにした仮デザインが映し出される。
膝上丈のスカート。リボン。シンボルマーク。
子どもの頃テレビで見た“あの感じ”が、ほぼそのまま形になっていた。
「イメージに近いですか?」
「はい…!すごく、可愛いです…!」
心からそう思っているのに、照れくさくて語彙が乏しくなる。
「じゃあ、これで進めましょう」
打ち合わせのあとに待っていたのは、魔力適性の検査だった。
白く無機質な検査室。
横になり、頭に冷たい器具をいくつも装着される。
「脳波に微弱な電波を当てることで、潜在魔力の活性度を測定します。少し浮遊感があるかもしれませんが、痛みはほとんどありません」
白衣の技師が淡々と説明する。
言われた通り、頭の奥がチリチリするような感覚がした。
まぶたの裏で細かい光の粒が弾けては消える。
「…ふむ。A判定というのも納得ですね。出力にムラはありますが、伸びしろはある」
モニターを覗き込みながら、技師が事務的に告げた。
「そ、そうですか。ありがとうございます!」
出力のムラとかよく分かってないくせに、反射的に礼を言ってしまう。
検査が全て終わって庁舎を出る頃には、空は薄いオレンジ色になっていた。
ビルのガラスに映る自分をちらりと見る。
今はまだスーツ姿のただの女。
でも、その輪郭の上に一瞬、フリルとリボンの“フローレ”が重なって見えた。
「よしっ…!」
拳を握る。
「ここからだ…!ここから一歩ずつ、どんどん人を救っていくんだ…!そして…いずれは人気者に…」
そう心の中で繰り返しながら、家路についた。
♦
数ヶ月の研修を終えた後、最初の任務がやってきた。
「巡回と軽度事案への対応。新人の実地訓練ね」
書類を渡しながら、担当の職員が言う。
「それから、今回は先輩魔法少女の『ミッドナイト』が同行します。しっかり先輩から学んでくださいね」
壁際に立っていた女性が、片手を軽く上げた。
「…よろしくね、フローレ」
「は、はいっ!よろしくお願いします!」
昼の繁華街。
看板や雑居ビルがひしめき合い、薄暗い熱気がこもっている。
人々はスマホを握りしめたまま忙しなく行き交い、どこか生き急いでいるようだ。
私は制服姿の先輩魔法少女と並んで通りを歩いていた。
先輩はタバコの箱を指先で弄びながら、退屈そうに前だけを見ている。
細身の体に黒ベースのコスチューム。
テレビで見る“キラキラした魔法少女”とは違う、影のある雰囲気だった。
「いい? 新人のあんたは勝手な行動をしないこと。何か発見したら随時報告」
「は、はい」
「あと、スマホ向けられたら笑っときなさい。今のご時世、変に睨むと炎上するから」
「えっ…あ、はい…」
「それじゃ、パトロール頑張ってね」
先輩はそう言い残して人混みに消え、気づけば私一人になっていた。
通りすがりの親子連れの子どもが、こちらに笑顔で手を振る。
私も笑顔で手を振り返した。
そのときだった。
「きゃああああっ……!」
細い路地の奥から、女の子の悲鳴。
ドラマみたいな叫びなのに、掠れ具合と震えは作り物じゃない。
体が勝手に走り出していた。
路地の入口を覗くと、薄暗い中に二つの影。
壁に押し付けられているのは、まだ小学生くらいの女の子。
その前に立っているのは、五十代くらいの、少し禿げかかった男。
汚れたTシャツ。膝が擦り切れたヨレヨレの濃いジーパン。
脂で束になった乱れた髪に伸び放題の無精髭。
一目で冴えない中年男だと分かる。
でも血走った目だけが、異様にギラついていた。
「すみませんっ…!」
男が振り向く。
「…は?なんだお前」
近づいた瞬間、酒と汗とタバコが混ざったような生臭さが鼻を刺した。
「その子から離れてください。今ならまだ――」
「うるせえ!近づくな!」
怒鳴り声が壁に跳ね返る。
男は女の子の肩を掴んだまま、こちらを睨みつけた。
「親も亡くなってよ…俺を止めてくれるやつなんか、もう誰もいねえんだよ!」
怒鳴っているのに、その声のどこかが妙にかすれていた。
「お前らだ。お前らのせいだ!」
いつの間にか、数人の若者がスマホを構え、路地の入り口に群がっていた。
誰も近づいてはこない。レンズだけが、こちらを覗き込んでいる。
「お前らが、俺を見て見ぬふりをするから、こうなったんだろうがぁっ…!」
女の子の肩を掴む手に、さらに力が込もる。
「落ち着いてください!」
私はできるだけ穏やかな声を作った。
「今ならまだ、やり直せます。罪を償って、また――」
「やり直す?」
男が笑う。
乾いた、ひび割れた笑い。
「ああ!? もう終わりだよ!
六十前の前科持ちに、未来なんかあるわけねえだろ!」
喉の奥がきゅっと縮む。
何か言おうとしたが、言葉が出てこない。
「女の子に触れたのだって……」
男はふっと目線を落とした。
「これが初めてなんだぞ…」
その一言は小さく、どうしようもない重さを持っていた。
「…だからよ、最後にいい思いしたっていいじゃねえかよ…
お前らが今まで散々俺から搾り取ってきたんだ!今度は俺の番だろうが!」
「あなたがどうなろうと正直どうでもいいです。でも――」
自分でも驚くくらい声が出た。
「関係ない人まで巻き込まないでください!その子には、何の罪もないっ!」
その瞬間、男の肩からふっと力が抜けた。
血走っていた目の光がすっと消え、表情が落ちていく。
「まあ、そうだよな…どうせ分かんねえよな。お前みたいな“ちゃんとした側”の人間には…」
ぼそりとつぶやく声には、もう何の気力も残っていなかった。
「ああ、こんなはずじゃなかったんだけどな…もういいや」
息を吐く。
「萎えたわ。もう、全部どうでもいい」
そう言いながらポケットに手を突っ込む。
嫌な予感がして、一歩踏み出そうとした瞬間――
「ごめんな、君。こんなことに巻き込んで」
女の子の肩が、びくっと震える。
「でもなあ。俺も、一人で死ぬのは寂しいんだわ」
手の中で何かがきらりと光った。
「だから――一緒に逝ってくれ」
ナイフの刃先が、女の子の胸元へと向かう。
「やめろっ……!!」
考えるより先に、体が動いていた。
右手を前に突き出す。
視界の中心に光の線が走る。
掌の前で何かが形を取る気配。
その瞬間、世界が一瞬だけスローモーションになった。
男の目が見開かれる。
女の子の悲鳴。
路地の入口で、誰かのシャッター音が重なった気がした。
そして、音が戻る。
「…あ?」
男の胸元に、ぽっかりと穴が空いていた。
赤いものが、そこからどろりとこぼれ落ちていく。
信じられないという顔のまま、男は力を失い崩れ落ちた。
自分の手を見る。
さっきまでそこにあった光の刃は消えていて、震える指先だけが残っていた。
「っ…。」
呼吸がうまくできない。
胸が痛い。頭が真っ白になる。
「うわ、マジでか…」「やっべw撮れてる撮れてる」
路地の入口から興奮した声。
振り向くと、スマホのレンズがいくつもこちらを向いている。
「魔法少女が人殺すとこ、生で見れんのヤバくね?」「バズるぞこれ」
笑い混じりの囁きが、耳の内側にこびりつく。
「ちが…私は、この子を――」
言い訳にもならない言葉が喉まで出かかったところで、
背後からしゃくりあげるような声が聞こえた。
振り向く。
女の子が、そこにいた。
壁際に座り込み、両手で口を押さえながら、血まみれの私を見上げている。
目が合った瞬間、女の子の顔がぐしゃりと歪んだ。
「ひっ…!いや…いやあああぁぁ!!」
悲鳴。
涙と鼻水を垂らしながら、全身を震わせて泣き叫ぶ。
まるでそこにいるのが“助けてくれた人”じゃなくて、人を殺した化け物であるかのように。
喉の奥が焼けるみたいに熱くなった。
「私は…」
何かを言おうとしても、声にならない。
路地の入口ではスマホのライトが次々と点灯していた。
世界が、じわじわと遠ざかっていく。
そのとき肩をぐいっと引かれた。
「もういいわ。撤収」
振り向くと、先輩がいた。どこか冷めた目でこちらを見ている。
「立てる?フローレ」
「…わ、たし…」
「立ちなさい。ここ、カメラ多すぎる」
有無を言わせない口調。
私は血と涙とざわめきに包まれながら、よろよろと立ち上がった。
自分の足音と遠くで鳴り続けるシャッター音だけが、やけにやかましく響いていた。
「あなた、殺し方は選びなさいよ」
支部の裏口。
任務報告を終えたあと、先輩はタバコに火をつけながら言った。
煙の向こうの横顔は、妙に綺麗で冷たかった。
「私たちの仕事は、イメージ作りもあるんだから。
子どもに絶望与えてどうすんの」
「…はい」
何も言い返せない。
「まあ、今回は研修明けってことで、上もそこまできつくは言わないでしょうけど」
軽く煙を吐きながら続ける。
「でもね、フローレ。
“救うために殺しました”なんて言い訳、世間は誰も聞いちゃくれないのよ」
その言葉は、さっき女の子に向けられた悲鳴よりも鋭く感じた。
「……」
「ま、説教はこのくらい。――あ、そうだ」
先輩はスマホを一瞥して眉をひそめた。
「先程仕事が入ったわ。着いてきて」
「えっ、今からですか…」
「今からよ。現場は港湾地区。国からの正式依頼。ちょっとキツイけど…行けるわよね…?」
「はい…」
そう言って、先輩は背中を向ける。
私はもう、ついていくしかできなかった。
♦
夕方の港は、思った以上に暗かった。
潮の香りと共に油の混じった匂いが、じっとりと肌にまとわりつく。
「対象はこの倉庫。某組織の幹部。麻薬ルートの中継役」
先輩が短く指示を出す。
「捕獲、じゃなくて……“排除”ですよね」
「そう。暗殺。書類の端にちゃんと書いてあったでしょ?
私がやるから、あなたは対象の無力化をお願い」
「……はい」
喉がまた、きゅっと縮む。
倉庫の隙間から、笑い声と瓶のぶつかる音が漏れてきた。
「――着いてきなさい」
うなずいて先輩の後を追う。
足音を殺しながら、倉庫の扉を開ける。
中には男たちが数人。
テーブルの上には酒瓶と、怪しげな粉の小袋。
その奥、ソファに座っていた大柄な男がこちらを見る。
「おっと、これは…派手なのが来たな」
幹部と思しき男が指先でこちらを指す。
「嬢ちゃん、遊びに来たのかい?」
声音は妙に柔らかいが、視線は笑っていない。
こちらを見据えながら、懐に手を入れている。
「……」
右手の中に、魔力が集まる感覚。
さっき路地で感じた、あの嫌な手応えがフラッシュバックする。
(あれとは違う。これは国の依頼だ。悪を止める仕事だ)
頭の中でそう繰り返しながら力を溜めた。
――のに、そこで止まってしまう。
「……っ」
手が震える。
刃を形成するはずの魔力が、指先でまとまらない。
幹部の眉がぴくりと動く。
「なんだい、ビビってんのか」
彼の合図と共に銃口が一斉にこちらを向いた。
引き金が引かれる瞬間――
「何やってんのよっ……!!」
甲高い音と共に弾丸が弾かれた。
先輩の張った障壁が火花を散らして消える。
次の瞬間、強烈な衝撃が横から飛んできた。
「がっ……!」
殴られた。
体が横に吹っ飛び、鉄骨の柱に叩きつけられる。
肺から空気が一気に抜けた。
「なにボサッとしてんのよっ!」
先輩の怒鳴り声が飛ぶ。
その声は、路地裏で聞いたどんな悲鳴よりも荒々しかった。
「現実を知らなすぎるのよ、あんたはっ!」
先輩の周囲に、鋭く黒い塊がいくつも浮かび上がる。
それらが一斉に飛び、男たちの武器を叩き落としていく。
「アニメみたいに綺麗で夢みたいなことができると思った!?」
先輩の手が震えているのが見えた。それでも、動きは一切淀みない。
幹部の男が悲鳴を上げる。
足をすくう衝撃波が走り、テーブルごと薙ぎ払われた。
「私はね、覚悟を持ってるの!」
振り返りもしないまま叫ぶ。
「ママを薬漬けにした“悪”を、ぶっ潰す覚悟を!!」
男たちの悲鳴と先輩の声だけが響く。
「半端な覚悟でやるんだったら――」
止めを刺し、男たちが動けなくなったのを確認してから、先輩はゆっくりこちらを向いた。
視線が真っ直ぐに私を射抜く。
「二度と出勤してこないでっ…!!」
その一言は、さっき殴られた拳よりもずっと重く胸に食い込んだ。
「……っ」
声が出ない。
謝罪の言葉も言い訳も、喉に張り付いて動かなかった。
倉庫の隅には男達の死体と割れた瓶と薬の袋。
足元には、さっきまでまとまらなかった魔力の残骸が薄く漂っていた。
先輩はしばらく私を睨んでいたが、やがて視線を外しタバコの箱を取り出す。
「……帰るわよ、フローレ」
それだけ言って背を向ける。
私は柱にもたれかかったまま、うまく立ち上がることもできなかった。
♦
翌日、私は職場に行かなかった。
ベッドの上で丸くなりながら、スマホの画面を何度もつけては消す。
「ああ、もう……なんでもいいや…」
投げやりに呟き、天井を見上げる。
「私って、本当馬鹿だ…世の中のこと何も知らなかったんだな…」
魔法少女になれば、誰かに感謝されて笑顔を守れて、
それで自分も満たされる――そんな“絵”みたいな未来を、何の疑いもなく信じていた。
「私の夢は、全部嘘だったんだ…」
声に出してみると、思ったより簡単に言えてしまった。
同じ頃、支部では出勤前のミッドナイトに職員が声をかけていた。
『おはようございます。あれ、フローレさんはお休みですか?』
『…あ~そうみたいね。まあ、いつものことよ…』
ミッドナイトは目を伏せたまま答える。
『いなくても平気ですか…?』
『ええ。私一人でも…大丈夫』
黒いグローブのベルトを締め直しながら、そう言った。
夕方。
窓ガラスを「コン、コン」と叩く音がした。
風かな、と思ったが、少し間を置いてまた同じリズムで鳴る。
「……なに」
重い体を引きずってベッドから這い出る。
カーテンをそっとめくると、そこにいたのは先輩だった。
「……何やってるんですか」
思わず口にしてしまう。
「入っていい?」
「い、いいですけど……」
先輩は靴を脱ぎながら部屋を一周見回し、眉をひそめた。
「うわ、きったないわね~。見た目に合わず」
「ふ、普段はいつも綺麗にしてるんですよ」
「ふーん。……ま、いいや」
袋から缶コーヒーを取り出し、無造作に放ってよこす。
「これ飲みなさい。買ってきたから」
「あ、ありがとうございます」
先輩は勝手に窓を少し開け、タバコに火をつけた。
遠慮なんて一切ない。
「怖かった?」
「べ、別に怖くなんか――」
「…あんな感じだとは思わなかったでしょう?」
問いかけられて、言葉が喉で止まる。
しばらく黙っていたが、気づけば視界がじわりと滲んでいた。
「……はい」
ぽろ、ぽろと涙が頬を伝う。
「あんな、世界があるなんて…知りませんでした…」
声が震える。
「私は、馬鹿でした。綺麗な理想だけ見て……」
両手で顔を覆いながら続ける。
「そのせいで、誰かを傷つけて。ドジで、ノロマで、クズな……昔の私のままです。
私は、役立たずです…」
言い終えると、部屋の中には風の音とタバコの燃える小さな音だけが残った。
先輩は、何も言わずに聞いていた。
少ししてから、静かな声が落ちる。
「怖いよね…」
「……え?」
「私もね、昔はそうだったんだ」
意外な言葉に、思わず顔を上げる。
「そのコスチュームのモチーフ、『プリティ☆ルミナス』の衣装でしょ?」
先輩が、私の服を顎で指す。
「そ、そうです……」
子どもの頃憧れていた人気魔法少女アニメのモデル。
私がこの世界を目指した理由でもある。
「私もね、あの魔法少女に憧れたのもあって、この仕事を始めたの」
少しだけ懐かしそうに笑う。
「でもね、覚悟はしていたんだけど、汚い仕事ばかりで嫌になっちゃって。一年間、ボーッとしてたわ。任務もほとんどこなさないで」
タバコの煙が、ふっと揺れる。
「同期は有名になって、メディアでも活躍してるってのに
私は落ちぶれて、家賃も払えなくなって、『もう死ぬしかない』って本気で思ってた」
「……」
「それでね。久しぶりに外に出たら、ポストに手紙が三通入ってたの」
先輩は指を三本立ててみせる。
「そこに、数少ない私の“ファン”がいた。
どの事件でどう戦ったか、細かいところまで覚えててくれてね」
目を細める横顔は、いつもより少し柔らかく見えた。
「その時、思ったの。
ああ、私はたったこれっぽっちだけど、人を救えたんだな…って」
窓から入ってきた風が、少し冷たい空気を運び込む。
私の涙を、ゆっくりと乾かしていった。
「……あんたは、まだ始まったばかりよ」
先輩は、タバコの火を窓の外でトントンと落とす。
まっすぐな目で言葉をぶつけてくる。
「あんたの理想はゴミなんかじゃない。むしろ、それこそが大切なんだから。芯をしっかり保つこと。明日からは、ちゃんと来なさい。いい?」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
「……はい……!」
涙声のまま返事をすると、先輩はふっと口元を緩めた。
「そして、私の仕事を少しでも楽にすること」
「それ、先輩の都合じゃないですか」
思わずツッコむと、先輩は「そうよ」とあっさり認めて笑った。
♦︎
その日以降、私は震えそうになる足をだましだまし動かし、なんとか現場に出続けた。
――そんなある日のことだ。
大きな火災の事件があった。
湾岸エリアの高層ビル群がまとめて燃え上がり、私も含め何人もの魔法少女が現場に派遣された。
消火と救助に追われて、何度も走って、叫んで、助け出した。
だけど、最終的に状況を一気に収束させたのは、ほとんど全部――
氷の魔法少女、フロスティーヌだった。
彼女が冷気で炎を押さえ込み、氷で道を作り、人を救い出す。
テレビの中と同じ笑顔で、すべてを綺麗に終わらせた。
私と先輩も何人も助けたはずなのに、ニュースのテロップに私たちの名前が出ることはなかった。
火災が落ち着いた現場近くの広場には、多くの群衆が集まっていた。
その中央には、フロスティーヌ。
「フロスティーヌ様、こっち向いてくださ~い!」
「写真撮っていいですか!サインもお願いします!」
子どもたちも大人たちも、我先にと彼女の周りに群がっていた。
私と先輩は、少し離れたテントの陰からその光景を眺めていた。
完全に蚊帳の外という距離。
「……派手ねえ、あの子は」
先輩がぼそりと呟く。
「私が全部やったみたいな顔しちゃって…」
「まあ実際、ほとんどあっちが片付けましたし……」
そう言いながら、自分の胸の中がざらついているのを自覚していた。
通りすがりの若い男達が、ちらりとこちらを見る。
一瞬、目が合う。
「……あれじゃね?例の動画の…」
小さな声でそう囁き、あからさまに視線をそらした。
胸の奥がぎゅっと縮む。
(やっぱり、私は――)
そのときだった。
「――あの!」
甲高い声が、騒ぎの中から飛んできた。
小さな女の子が人混みをかき分けて走ってくる。
あの路地裏で震えていた女の子だった。
「お姉ちゃんっ!」
女の子は、私の目の前で足を止めると、
両手で抱えていた紙袋をごそごそと漁った。
「これ……!」
差し出してきたのは一枚の画用紙。
クレヨンで描かれた拙いイラスト。
そこには私のコスチュームを着た小さな魔法少女が、
ぎこちない笑顔で立っていた。
「この前……助けてくれたから…」
女の子は少し恥ずかしそうにうつむく。
胸が詰まって、うまく言葉が出ない。
「……ありがとう」
やっとそれだけ絞り出すと、隣で見ていた先輩が小さく笑った。
「よかったわね」
「はい……」
視界がにじむ。
女の子が、不思議そうに首をかしげる。
「お姉ちゃん。なんで泣いてるの?」
その素朴な問いに私は答えられなかった。
ただ涙を拭いながら少女を抱きしめ、もう一度だけ「ありがとう」と繰り返す。
紙の中の「私」は、少し歪んで見えた。
でも――
あの日、ベッドの上で口にした
「私の夢は、全部嘘だった」という言葉だけは、少しだけ遠くへ押しやられていた。
魔法少女OL。 ものとーん @monotoon1358
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