第一話 都市と伝説 その②

 カナタたちが八尺様と出会った話は、次の日には瞬く間に学校中に広かった。というより、タイガとガクが言い触らして回ったのだ。

 八尺様を目の前にして腰を抜かしていた姿はどこへやら、まるで過去の武勇伝を語るヤンキーのように、友達に言って回ったのだ。


 実際、他の誰もが経験したことのないものだ。鼻高々になるのもわかる。

 だが、カナタは、至近距離で見た八尺様のあの眼が気になって、昨日の夜はほとんど眠れていなかった。カナタは初めて授業中に居眠りをしてしまった。


「それって、八尺様に魅入られてしもたのかも」


 休み時間、友達が言った。


「み、魅入られた?」


「そや。八尺様はな、気に入った子供の男の子だけを襲うんやと。つまり……お前や!」


「やめてよ! いけずだな!」


 おどけて言う友人に、苦言を呈すカナタ。不安はますます募っていく。向こうで武勇伝を披露するタイガとガクが羨ましい。


 カナタだけが気に入られてしまったとなれば、なにか対策を講じないといけない。友人はおどけて言ってはいたが、インターネットで調べてみると、八尺様に魅入られた人間は最終的に死んでしまう旨が書かれていた。


 死んでしまうなんてごめんだ。カナタはネットに書いてある通りに対八尺様の準備をしたいが、塩はともかく護符なんてものはない。

 購入してもいいが、いかんせん値段が高い。とても中学生のお小遣いで買える値段ではなかった。親に説明しようにも、信じてもらえはしないだろう。


 散々考えた末、今カナタは、例の魔女ババアの家の前にいた。


 八尺様は妖怪だ。妖怪は普通の人間にどうにかなるものではない。だからカナタは、普通ではない「魔女」に藁にもすがる思いで助けを求めることにしたのだ。

 「魔女」である彼女ならば、なんとかできるかもしれないと思った。


 チャイムを押して待つ。すると、インターホンから少女の声がしてきた。


『どちら様ですか?』


 機械越しなので自信はなかったが、おそらく魔女ババア――あの時の少女のものだった。こうして機械越しに対話すると、普通の人間と変わらない。


「お願いします! 助けてください!」


 カナタはカメラに向かって頭を下げた。奥まった住宅地とはいえ昼間。多少の人通りはあったが、気にしている場合ではなかった。自分の命がかかっているのだ。


『なんですか? 変な遊びですか?』


「違います! 妖怪に殺されそうなんです!」


『はあ、最近の子にしては、アナログな設定ですね』


 魔女ババアは取り合ってくれない。完全に嘘の話で、他愛のないイタズラだと思っているのだろう。


「本当です! 八尺様に襲われそうなんです! 助けてください!」


 カナタは自分の考えうる、最大の誠心誠意を言葉に込めて頭を下げる。このままイタズラだと思われてインターホンを切られたらおしまいだ。もう打つ手がない。

 お願いします、お願いします、と何度も頭を下げていたカナタを、魔女ババアが制止した。


『……八尺様、って言いました?』


 魔女ババアが興味を持ったのは、八尺様という言葉だった。カナタは希望を見出だした。


「昨日襲われたんです、本当です! それで、オレが……オレだけが八尺様に魅入られたみたいで……あいつがいつ殺しに来るか! なにか、なにか対策だけでも! 教えてください!」


 とにかく必死だった。カナタはインターホンに向かって、祈るように捲し立てる。


『……わかりました。中へどうぞ』


 意外にも、魔女ババアはカナタを通してくれるようだ。カナタは門をくぐり、玄関まで進む。道中、立派な中庭が目に入ったが、今のカナタには楽しむ余裕などない。


 玄関のチャイムを鳴らす前に、扉が開く。中から顔を出したのは、白髪の少女――魔女ババアだった。


 カナタは魔女ババアに案内されるまま、客室へと向かった。意外にも内装は近代的かつ小綺麗で、通された客室も、西洋風の机と椅子のある部屋だった。

 お茶を出されたカナタは、そこで初めて喉がカラカラだったことに気が付く。カナタは、お茶を一気にあおった。


「私はエミリーと言います。あなたは?」


 カナタがお茶を飲み干すのを待ってから、彼女は口を開いた。名前はエミリーというそうだ。


「オレは、カナタ……あの、まじょ――エミリーさんは、八尺様のこと、なにか知ってるの?」


「噂程度には。さっき魅入られたって言ってましたけど、実際に出会ったんですか?」


 カナタはエミリーに促され、事のあらましを語った。一通り話を聞くと、彼女はほうと短くため息をついた。


「昨日殺されなくてラッキーでしたね」


「こ、ころっ!?」


「まあ今日が本番ってことでよさそうだし、丁度いいかもしれませんね」


 エミリーは立ち上がって、カナタを見つめた。目の下にあるくまと、その眼力が強く、やはりカナタは彼女が苦手だと思った。

 エミリーは手早くお茶と茶菓子の片付けを始める。


「今日は家に帰れませんね。山奥に別宅があるので、そこで一晩明かしましょう」


「か、帰れないの!?」


 カナタが悲壮な声をあげると、エミリーはくるりと振り替えってカナタを見た。


「自宅を墓場にしたいなら、どうぞ、帰ってもいいですよ」


「あ、はい。今日は帰りません……」


 どうやら助けてくれる気はあるようだが、態度が冷たい。カナタは泣く泣く適当な理由をつけて、親に今日は帰れないと連絡をした。


 そしてカナタは、準備があるので家の外で待っていてほしいと言われ、玄関先から立派な中庭を眺めていた。

 風流な日本庭園を見事に再現した逸品だ。大きな池を基調として、庭石や四季折々の草木で飾ったいかにも金持ちの贅沢品といった風情だ。

 カナタにわびさびの心などは理解できなかったが、ここの整美を行っている人物は、とてもおおらかな人なのだろうと、ぼんやり思っていた。それくらい、この中庭は厳格でかつ、その中に優しさが見えた。なんとなくだが、エミリーではないだろう。


 しばらくすると、エミリーがやって来た。その後ろにひとり、見知らぬ青年もいた。

 まだ若いが大人に負けないくらい背の高い青年は、人懐っこい柔和な笑みを浮かべていた。


「君がカナタ? 俺は天満啓明てんま たかあき。君は俺が守るよ。よろしくね」


「あ、よ、よろしく」


 あまりにも爽やかなオーラに当てられ、カナタは一瞬呆けてしまった。陰の気を纏っていたエミリーとのギャップが大きかったこともある。


 ふたりに連れられ、カナタが向かったのはとある山奥だった。思わず本格的な山登りとなり、カナタの時間と体力を削る。

 バスの乗り継ぎで行けたのは途中までであり、ほとんどの時間はハイキングコースなような緩やかな山道を登っていた。

 緩やかと言えども、山登り。日はすっかり落ちていた。


 ようやくたどり着いた別宅は、全く人の寄り付かない寂れた場所にあった。本館と別館に分かれた、これまた大きな家だ。こちらは洋式の家屋であり、森の中に佇む洋館と言った風情だ。


 当然のように備え付けられた門を抜け、カナタが通されたのは、六畳ほどの小さな部屋だった。

 どうやら客室のようで、部屋の中には小さなテーブルと椅子に洒落たクローゼットが置かれていた。

 二階であるここからは、深い森の様子をつぶさに眺めることができる。夜でなければ、もっと爽やかな風景を楽しむことができるだろうが、今はほとんど闇の中である。


 エミリーと啓明はすぐにガラスの窓に新聞紙で目張りして、部屋の四隅に塩を盛る。これは八尺様から守るための結界であるようで、カナタにも一枚のお札を持たせた。


「いいですか。今日はここから出てこないでください。誰がどんな言葉をかけても、絶対に扉や窓を開けてはいけません。私もけいさまも、あなたを呼ぶことは決してありません。わかりましたか?」


 エミリーが強くカナタに言い付けてから、部屋を出て行ったのが、二十分前。部屋にある壁時計をチラチラ見るが、全く時が進まない。

 埃の被った傘のおかげで、部屋に落ちる光はほの暗い。今では珍しくなった形の電灯だ。その古い電灯のおかげで、より部屋の中が恐ろしく感じる。


 携帯の電波は通じるものの、何かする気は起きなかった。逆に、何かして気をまぎらわせた方がいいのだろうが、昨日の八尺様の恐ろしい風貌が脳裏に焼き付いてしまっていて、それどころではない。


 目が合ってしまった。視線だけで人を殺せそうな、あの目。背骨が氷柱に変わってしまったかのような、体の芯から凍えるような、恐怖。

 震えがカナタにまとわりついて離れない。


 ふと、窓の外で物音がした。誰かが窓を叩いたような音だ。

 ここは二階で、ベランダもない。窓をノックなどできるはずがない。


 カナタの顔から、血の気がサーッと引いた。

 やつだ。そう思った瞬間、窓ガラスが勢いよく叩かれた。ガラスと木の格子が歪む音がする。


「き、来た……!」


 間違いなく八尺様の仕業だ。カナタを殺しにここまでやって来たのだ。

 激しく窓を叩かれるが、結界が機能しているようだ。どんなに強く叩かれても、割れる気配はない。


 カナタはただ、お札を強く握って部屋の隅で縮こまる。嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように、ただただ耐え忍ぶことしかできない。


「カナタ様? 大丈夫ですか? 平気ですか?」


 と、そこへ、出入口の方からエミリーの声がした。


「カナタ? 無事?」


 同時に啓明も、優しく声をかけてくれた。カナタは一気に気が緩んだ。ひとりではないことが、こんなに心強いとは。


「だ、大丈夫です! 結界が守ってくれているみたいで……」


「もう大丈夫ですよ。こちらに来てください」


 再びエミリーの声が、カナタに呼び掛ける。


 ――この恐怖も終わる。

 安堵したカナタが、部屋のドアに手を伸ばすが、ふと、先ほどエミリーが言った言葉を思い出した。


 ――今日はここから出てこないでください。誰がどんな言葉をかけても、絶対に扉や窓を開けてはいけません。私も啓さまも、あなたを呼ぶことは決してありません。


 そうだ。エミリーは、さっきそう言っていた。どんな言葉をかけられても――それは、八尺様が言葉巧みに嘘をつくということではないだろうか? カナタは安堵から一転、全身に冷や汗が吹き出した。


 もしこれが、八尺様の罠なら。

 もし八尺様が、他人の声を模倣できるのなら。


 カナタは、恐る恐る扉に向かって口を開いた。


「あんた……だれ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る