ヒューマンスクリプト(啓明の書) 〜破幕 彼岸の無限光〜

o2ooo

第一話 都市と伝説 その①

 京都には、こういった古い門構えの家は珍しくない。塀に囲まれた広い敷地に、母屋に入るための門構え。

 玄関前の中庭を抜けた先にある母屋は京都らしい二階建ての京町家だ。

まず目に入るのは、通りに面した紅殻格子。その奥に、虫籠窓や一文字瓦が静かに並ぶ。古き良き日本の木造建築だ。

 門にある表札にある名前は「天満」。


 この高級家屋の門の前に、三人の少年たちが集まっていた。

 恰幅のよいタイガ。

 背の低いガク。

 そして標準体型のカナタ。

 彼らは中学校でも仲が良く、いつもつるんでいるため「しりとり三兄弟」と呼ばれている。


 彼らの目的はもちろん、目の前にある京町家。ここに住んでいる人物についての、ある噂を調査しにやって来たのだ。


「こ、ここが魔女の家」


 カナタが思わず息を呑んだ。門構え自体はいたって普通の家と変わらない。しかしこの家にまつわる噂が、異様な雰囲気を醸し出す。


「ここは一見普通の家……ですが、何年経っても見た目が変わらない、けったいな女の子が暮らしたはるとか」


 ガクがメガネの位置を手で直しながら言った。

 「魔女の家」。そう呼ばれる所以は、ここで暮らす住人である、少女の姿が何年も変わらないことからだった。

 見た目は十代だが何百年も生きているだとか、噂が噂を呼び、今ではここは魑魅魍魎の暮らす魔女の家だのと呼ばれてしまっている。


「そいつをブレホンで撮ってやろうって話だったやろ! ビビっとんのか、カナタ」


 タイガがお腹を揺らして言う。その手首には携帯電話――ブレスレットフォーン。本当にここに暮らす魔女やその仲間がいるのか? 魔女の見た目はどうなのか? それを証拠として手に入れるために、下校後すぐやって来ていた。


 周りは閑静な住宅街。同じような一軒家が軒を連ねる風流な地区である。人通りもあまりなく、調査にはもってこいなのだ。


「び、ビビってなんか! よしゃ、チャイムを押すぞ」


「頼むで」


「しっかりな」


「押すなよ! くそお、じゃんけんで負けなければ……」


 カナタたちの計画は、こうだ。門のチャイムを鳴らし、魔女を呼び出す。もちろん、対面する気はない。チャイムを鳴らしたら即退散する。

 大昔に流行ったピンポンダッシュというやつだ。

 そして、顔を出した魔女を激写する――そういう作戦だった。


 全く知らない人様の家に押し掛け、あまつさえ押し逃げする……仮にここが魔女の家だと言われてなくても、緊張するというもの。

 カナタたちは全員団子のように固まりながら、恐る恐るチャイムに手を伸ばす。

 緊張の瞬間、


「なにか御用ですか?」


 彼らは突然、背後からかけられた声に、びっくりして跳び跳ねる。可愛らしい女の子の声であったが、緊張状態のカナタたちにとっては、それがなんであろうと関係ない。

 警察に悪事が見付かった泥棒のように、慌てて声のした方を見る。


 そこにいたのは、ひとりの少女。だが、彼女の髪はまるで老人のように真っ白であった。身に纏っている服も割烹着で、手には買い物袋を下げている。見た目は十代ほどだと言うのに、どこか枯れた印象を受ける少女だ。


 しかしカナタたちにとって重要な点は、そこではなかった。


「ま、ま、ま、……魔女」


 カナタたちは、揃ってその少女の顔を見て度肝を抜かれた。逆光になっていて、その表情が恐ろしく見えたというのもある。

 が、しかし、少女の顔にはくっきりとくまが浮かび上がっており、まるで鬼か悪魔かと思うほどの風貌だったのだ。

 整った顔立ちであったのも、一層拍車をかけた。くまがなければ、キリッとした顔立ちで同年代に限らずモテていたであろう少女の顔には、深く疲労が刻み込まれていた。


 カナタたちは悲鳴を上げて、一目散に逃げ出す。あの目に、自分たちが殺されると思ったからだ。


「見ましたか!? あの髪!」


「女の子なのに真っ白や! ババアや!」


「ま、魔女、魔女ババアだ!」


 若い女の子に白髪。一見不釣り合いなふたつの要素だったが、彼女が何百年も生きた魔女であるなら、話は別だ。

 カナタたちは、あれが噂の魔女だと確信していた。






「――で、これがその証拠や」


 休み時間。教室でタイガが大きなお腹を鳴らして胸を張っていた。ブレホンは光を網膜に投影して画面を表示する。彼らが撮った写真には、真っ白な髪をした少女。はっきり写っているわけではない。人の顔らしきものと、白飛びした髪。まるで心霊写真だ。

 クラスメイトたちは、その奇妙な画像を見るために、携帯の前でおしくらまんじゅうをしている。


「凄かったですよ! あれは間違いなく魔女です! 何年も生きたはる風格がありましたわ! 顔は鬼のようで! 髪は、こう、白くぶわーっと!」


 タイガの隣では、ガクが画面を覗き込むクラスメイトに弁舌を奮っていた。写真はかなりブレてしまっているため、ガクの補足説明が活きる。

 必死に逃げつつも、恐怖を堪えて撮った風な写真も、説得力に一役買っていた。


「どうやって撮ったんや?」


「オレはチャイムを押して、魔女ババアがどんな姿をしているか探ろうとした……そしたらいつの間にか立ってたんだよ……後ろに!」


 クラスメイトの要望に答え、カナタが身振り手振りで当時の様相を伝える。もはや怪談だ。自分たちの身に降りかかった恐怖の体験。実際、もう一度やれと言われても、彼らはへっぴり腰になってしまうだろう。

 喉元過ぎれば――今はたくさんの友人がいる学校の教室だからこそ、カナタたちはおもしろおかしく話せている。


 「魔女ババアを撮った」。この噂はすぐに学校中に広がることとなる。カナタたちは一躍ヒーローとなった。他のクラスや学年からでさえ、魔女ババアの写真を見に来る生徒が現れた。

 そのたび、カナタたちは自分の武勇伝を語った。


 そんな折、カナタたちの元へある噂が舞い込んで来た。


「八尺様?」


 カナタたちが口を揃えて言うと、同級生たちは頷く。


「聞いたことありますね……」


「デカい女の妖怪や。なんでも、未成年の男を狙う変態妖怪やと」


「うわ、エロ!」


 「八尺様」とは、今から三十年近く前、「旧2ちゃんねる」で流行った怪談のひとつだ。

 名前の通り、八尺(約240cm)ある女性の姿の妖怪で、若い女性や老婆、中年女性など様々な姿にも化けることができるとされている。

 髪は黒で、白か黒のワンピース姿で現れることが多く、赤い帽子を被っている。その長い髪と帽子のせいで顔は見えないことが多いという。


 しかも性癖なのか、なんなのか……八尺様は成人前の男性を執拗に付け狙うという特性がある。過去インターネットではそういった特性が好まれ、話題となったこともある。


「……でも姿を変えられたら、八尺様かどうかわかんないじゃん」


「それを調べてーいう話なんや」


「えー! そんなん無茶苦茶やろ!」


「あんたら、魔女ババアを撮った撮影家やん! 今回もいけるて!」


 カナタたちはすっかり妖怪写真家のような扱いをされていた。だから、この生徒たちも、カナタたちに新しい噂の証拠を撮ってきて欲しいのだろう。


 カナタたちはこの前の一件による自信と、次も成功させてやるというプライドから、この件を受け入れることにした。


 カナタたちは学校が終わると、早速八尺様を見かけたとされる地区へと向かった。

 大通りから一本脇に逸れた住宅街。京町家が軒を連ねる京都の観光スポットにありがちな街並みだ。観光客や住人もちらほら見受けられる。

 こんな場所に妖怪が出るなど、カナタたちには信じられなかった。


 とりあえず、カナタたちは道の奥を覗いたり突き当たりまで行ってみたりして、八尺様の捜索を開始した。だが、探せど探せどニメートル以上の体躯の人物など見当たらない。

 時間だけが過ぎ去り、辺りはすっかり暗くなり始めていた。


 捜索に夢中になっていたカナタたちは、自分たちが普段行かないような小道にまで進んでいた。全く知らない場所に、黄昏時特有の薄暗さ。

 いかにも「出そう」な雰囲気に、カナタたちは内心心細くなっていた。


「……なあ、今日はもう帰らへん?」


 タイガが、その体をいつもより縮こませながら言った。カナタとガクにも異論はない。携帯を取り出し、帰路を検索する。道に迷ったとしても、こういつ時に大変便利だ。


 自分たちの自宅までの経路が表示され、安堵していたカナタたち。そんな彼らの耳に、不気味な低い音が聞こえてきた。


「ぼぼぼ……」


 人の声のようでもあるし、動物の唸り声のようでもある。しかし確実な異音だ。日常生活の中ではついぞ聞かないような音が、カナタたちを包んだ。


「なんだ……?」


 カナタは音の発生源を探して、辺りを見回す。すると、道の先に明らかに様子のおかしい人影が立っていた。


 ――立っていた、と表現するには、あまりに大きすぎる。カナタは中学になって背が伸び、最近163cmにも成長した。もう大人にもそれほど見下ろされることはない高さだ。

 だが、視線の先にいる人影は、完全にカナタを見下ろすような形でこちらを見ていた。ニメートル――いや、それ以上ある。


 暗くて見え辛かったその様相が、だんだんとわかりかけてきた。

 服装は白のワンピース。髪は腰にかかるほどの長い黒。そしてつばの大きい帽子。一見すると清楚な女性にも見える。

 だが、その背の高さから、それが普通の人間ではないとすぐにわかった。


「は、は、は、」


「八尺様!?」


 カナタたちは震え上がり、後ずさりする。特徴が完全に一致する。これが噂の妖怪、八尺様だ。


 彼女は「ぼぼぼ」と、地獄の底から響くような声を発しながら、一歩、また一歩と、カナタたちに歩み寄って来る。


「に、逃げるぞ!」


 いち早く正気を取り戻したカナタが、ふたりに声をかける。三人は同時に、弾かれたように八尺様とは逆方向に向かって駆け出す。

 それでも前回成功させたプライドがある。カナタは撮影するため、一瞬後ろを向いた。

 八尺様はカナタたちを追いかけており、その長い手をこちらに向かって伸ばしていた。


 カナタは短い悲鳴を上げて、すぐに前に向き直る。撮影なんてしていたら、すぐに捕まってしまう。

 魔女ババアの時とは全く違う。カナタの倍近くある身体の不気味な女が、こちらに向かって来ている。本能的な恐怖。カナタたちは、逃げるので精一杯であった。

 写真など撮っている暇はない。捕まれば終わるという、恐怖だけがあった。


 だか相手は中学生男子などよりもはるかに大きい体躯をしている。八尺様はカナタたちの目の前に回り込んできた。


 近くで見ると、よりなお大きい。振り乱れた長い黒髪からは、やはり顔は見えず、白いワンピースから伸びる不自然に細い腕は、身に纏っているワンピースのように純白で、身体の中が透けて見えそうだ。


「た、たすけ……」


 カナタたちは、すっかり腰を抜かしてその場から動けずにいた。タイガは大きな身体をできる限り縮こませて震えが上がり、ガクは目を閉じで手を合わせてこの時だけは信じる神に祈った。

 彼らは全員、逃げることもできず、抵抗もできず、ただこちらに伸びてくる細い腕を眺めるしかない。


「ぼ、ぼ、ぼ……」


 伸ばした手はカナタの目の前で止まる。そしてその持ち主は、低い声でなにかを呟く。カナタは自分に、覆い被さるように垂れてくる髪を伝って上を見た。暗くて顔の輪郭などはわからなかったが、ギラギラと光る片目とばっちり視線が合った。

 視線が合った瞬間、目尻が上がったように見えたのは……錯覚ではないだろう。


 八尺様はなにもせず、黄昏の暗闇の中へと解けていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る