第一話 都市と伝説 その③
「あんた……だれ?」
一瞬、窓を叩く音や、カナタを心配してかけられる声が止んだ。
次の瞬間、ノックは激しくなった。
「ひい! や、やっぱり罠だったんだ……!」
カナタには変わらず、エミリーと啓明の声で優しい言葉がかけられる。だがそれは、壊れたラジオのように、同じような言葉を繰り返しているだけだ。途端にそれが、無機質なロボットのように感じられ、カナタはさらに恐ろしくなった。
窓にかかる負荷はさらに大きくなり、ついに八尺様は突破口を見付けたようだ。
カナタの見ている前で、両開きの窓が少しずつ開いていく。
「こ、抉じ開けようとしてるのか……!?」
本来は結界に阻まれて触れることすら厳しいそれがしかし、八尺様によって少しずつ開かれていく。
3センチほど空いた隙間から、八尺様の目がカナタを睨む。
「ひっ」
恐怖で後退るカナタ。八尺様はそれを見て、さらに結界を抉じ開けようと腕に力を込める。
ついに片腕が通るほど、窓が開いた。その隙間から、八尺様の腕がカナタに伸びる。
カナタは、自分に向けられた、長い腕を見詰めることしかできない。
「な……なんだよ。オレがなにしたってんだよ。バケモノに殺されるほど悪い子だったか……? なんでオレが……オレが、こんな目に……」
カナタにはもはや逃げる気力さえなかった。ただ自分に八尺様の鋭い爪が突き立てられるのを待つばかりだ。
現実から目を背けるように、ぎゅっと目を瞑って体を丸める。
カナタの心の中に渦巻くのは、ただただ絶望だけだった。今目の前で起こっている悪夢を悪夢だと願いつつも、それが現実であることに諦めの感情が沸き上がる。
カナタに残された道は受け入れることだけ。
――果たしてそうだろうか?
「――そうだよ、なんでオレが……オレがこんな目に合ってんだ?」
カナタはゆっくりと、その目を見開いた。
八尺様の魔の手は、すぐそこまで伸びてきていた。しかし、今のカナタは、まるでそれが見えていないかのようだった。
「そりゃあオレだって、遊び半分で危ないことしてたって自覚はあるさ。だけど、こんな殺されそうに……怖い思いをして、部屋の隅でみっともなくガタガタ震えながら、自分の運命を受け入れる準備をしなくっちゃならないほどだったのか?」
ただの子供の遊びだったはずだ。当然、それで許されるべきではない行為もある。だが、カナタはそこまで悪いことをしでかしたのか?
カナタの瞳に、光が戻る。
「違う! オレを襲うこの恐怖は……『正当な罰』なんかじゃあない! 『理不尽』だッ! 世の中に溢れ、そして誰もが屈していく理不尽だ! そしてお前は! その理不尽そのものなんだッ!!」
カナタは八尺様に向かって、手にしたお札を突き付けた。一瞬、八尺様は怯んだように見えた。
「お前は『理不尽』なんだッ! お化けってのは、いつもそうだよな……人に理不尽を押し付けて……一方的に押し付けて! オレが怖がる姿を心の中でほくそ笑んでるッ! ふざけた根性……不条理の塊!」
カナタの中にある恐怖は今や霧散していた。いや、変わったのだ。彼の中にあった恐怖は、今や怒りに変化していた。
こんなモノを怖がっていた、自分の弱い心……そして、それを為した理不尽に。
「ふざけるなよ! こんちくしょう! 理不尽がなんだ……妖怪がなんだ! オレは絶対に屈しないッ! お前みたいな理不尽にッ! 負けてなんかやるもんかッ!!」
とうとう八尺様は結界を突破し、カナタに掴みかからんとした。鋭利な爪が自身の肉体に食い込み、無残に引き裂かれる姿を幻視しようとも、カナタは一歩も退かずに八尺様を睨み上げる。
彼の勇気が、そして理不尽に対する怒りが、彼の心と体を前向きにした。
あわやというところで、突然壁を突き破り、何かが飛来。棒状の「何か」は、八尺様に命中し、そのまま部屋から叩き出す。
遅れて、ひとりの青年が、カナタの前に下り立った。
「遅れてごめん。怪我はない?」
啓明だった。
カナタはようやく助かったことを実感し、その場にへたりこんでしまう。
「カガセオ」
啓明の元に、先ほど八尺様を突き飛ばした「何か」が返って来た。「何か」は巨大な破魔矢であった。紅白模様が特徴的な、矢の機能は失われながらも、魔を討つとされる「破魔」の矢。
諸説あるが、矢尻が尖っていないのは、あくまで破魔――つまり邪気・邪道などの妖気を破り浄化するために用いるからである。
そんな破魔矢に触れた八尺様は、屋敷から離れた地面の上で腹を抑えて唸っていた。奇襲による一撃が堪えたようで、すぐに攻撃に移らず啓明の様子を伺っている。
「君は早く逃げるんだ」
啓明は破魔矢カガセオを携え、八尺様の元に降り立つ。カナタが破壊された壁から下を覗き込もうとするが、エミリーに肩を掴まれて止められる。
「カナタ様。今のうちに逃げましょう」
「で、でも……」
「あの八尺様は相当強力な個体のようです。まさか結界を破壊するほどとは……啓さまも、どれほど戦えるかわかりません」
エミリーに促され、カナタは彼女の後を追って屋敷から離れる。気持ちでは戦いたい。だが、自分にその力はないのだ。行っても殺されてしまうだけ。
そして今、ここに戦える人物はひとりしかいない。
天満啓明だ。
「どうしてこんなことをするんだ」
唸る八尺様を前に啓明は一歩も退かず、戦闘の最中とは思えないほど優しい声で語りかける。まるで父親が子供のいたずらを窘めるかのようなその声色。聞けばほとんどの人が、素直に罪を自白してしまいそうだ。
「さっきは緊急だったんだ……ごめん。でも、君はあのままだと確実にカナタを殺していた。どうして、彼を?」
なおも問いかけるものの、八尺様は低い声で「ぼぼぼ」と呟くだけだ。話が通じているようには見えない。
実際、八尺様の目は油断なく啓明の隙を窺っていた。脚に力を込め、爪をぎちぎちと鳴らし、前傾姿勢を保っている。
「やるしかないか」
啓明は悔しそうに歯噛みし、カガセオを握る手に力を込める。生来、彼は気性が穏やかだ。人々が大好きだし、特定の何かを忌み嫌うことはない。当然、誰かを傷付けることなど望まない。
それが怪異であっても、例外ではない。
だが、
「いたずらに罪のない人々を傷付けるのなら――戦わざるを得ない」
啓明は交戦の意志を途絶えさせない八尺様に向かって、再びカガセオを投げ付ける。槍投げのように投擲されたそれは、真っ直ぐに、圧倒的な破壊力を纏って八尺様へと向かう。
同時に、啓明も駆け出していた。
突然放たれたカガセオをかわした八尺様は、自身の視点が回転していることに気が付いた。啓明が、八尺様を背負い投げで放り投げたのだ。
地面に押さえつけられた八尺様は当然、脱出しようとする。が、しかし、何故か自分より一回りも二回りも小さい人間をはね除けられない。
「カガセオ!」
啓明の号令で、再びカガセオが啓明の手元に戻ってくる。それも、啓明が投げた時のような破壊力を保ったまま。その矛先は、八尺様に向けられている。
八尺様の抵抗を、必死に抑える啓明。
だが、その攻撃は彼女には当たらなかった。と言うより、八尺様が忽然と消えたのだ。
「逃げ――いや!」
突然、啓明の胸元が大きく裂ける。まるで大型の獣に爪で切り裂かれたような深い傷が、ざっくりと刻まれる。
ある程度距離を取っており、一旦振り返ったカナタにも、何が起こっているのかわからなかった。遠くから状況を見ていても、八尺様が突然消えたようにしか見えなかった。
「なに……一体……!? お兄ちゃんは、大丈夫なの!?」
「……とにかく、安全なところまで。逃げます」
エミリーでさえ、啓明の安否について答えは出ない。今、一番真っ先に啓明の元に向かいたいのはエミリーだ。
だが、彼女は自分の使命を全うしている。それは、啓明を信じているから。
「なん……だ!?」
実際に目の前で起こった出来事だが、何があったのか、啓明でさえ理解できていなかった。押さえつけていた八尺様が消え失せ、代わりと言わんばかりの攻撃を受けていた。
姿を消したとか、瞬間移動しただとか、そんなものではなかった。
とにかく、その場にいるのは危険と判断した啓明は、カガセオを手に急いで立ち去ろうとした。だが、そんな啓明の進路を、巨木のような障害物が塞いだ。
思わず啓明が上を見ると――いた。八尺様だ。どういうわけか、超巨大な八尺様が、啓明を見下ろしていたのだ。
その大きさは十階建てのビルにも負けないほど。突然現れた巨木のような柱は、八尺様の腕だったのだ。
今度はその腕が、啓明を捉えんと迫り来る。
「くっ……!」
啓明はカガセオを八尺様の顔面に向かって放つ。だが八尺様はまたもや、幻のように消えてしまった。カガセオは暗い空へと溶けてゆく。
代わりに八尺様の巨木のような両腕が、啓明に迫る。
「こ、これはまさか……大きさ! 自分の体の大きさが! 部位さえも! 自由自在なのか!?」
啓明は、八尺様のその奇天烈な挙動の意味するところを察し、背筋が凍るような思いを味わった。
八尺様はその体躯の大きさを、自由自在に操れるのだ。しかもそれは全体の大きさだけでなく、腕や頭だけなど、部位ごとにも大きさを変えられる。
消えたように見えたのも、視認できないほど小さくなっていたからだ。小さくなることも、元の大きさよりはるかに大きくなることも、八尺様には自在なのだ。
体の大きさは、そのままパワーとなる。啓明の何倍もの大きさに変化できる八尺様は、それだけで脅威だ。
ゾウに勝てるアリはいない。啓明は生まれて初めて、人に踏み潰される虫けらの気分を味わった。
「だが、大きさだけが勝敗の分かれ目じゃない」
しかし啓明は怯まなかった。諦めなかった。敵がどんなに強大でも、立ち向かうことだけは止めてはならないことを、知っていた。
啓明は巨大な腕を掻い潜り、八尺様の懐に飛び込む。普通、巨大な物体を目の前にした生物が取る選択肢はふたつ。
動かずやり過ごすか、距離を取ることだ。
だが啓明はどちらも選ばなかった。自分からさらに近付いたのだ。足に力を込め、地面を踏みしめ、渾身で八尺様に肉薄する。
あまりに近付かれたため、八尺様は元のサイズに戻るしかない。巨大な腕のままでは近接戦闘は不利。
八尺様が通常の大きさに戻った瞬間、彼女は目を疑う光景に一瞬固まってしまった。
何故なら、今まさに目前まで向かって来ていた啓明が、今度は背を向けて逃げ出しているのだ。
「ぼ――」
八尺様はすぐに追撃の態勢を取った。啓明の意図はわからなかったが、背を向けた獲物を逃がす手はない。またすぐに巨大化して、啓明の無防備な背後を狙う――つもりだった。
啓明は巨大化した瞬間を見計らったかのように、振り向き様にカガセオを放ったのだ。
カガセオは八尺様の顔面に直撃。たまらず彼女は、元のサイズに縮小してしまう。
これは、「見計らったかのよう」ではない。実際に「見計らった」のだ。
「悪いが大きくなった瞬間を狙わせてもらった――拡大縮小は自在でも、そのタイミングには必ず隙ができる。例えば……大きくなった直後には、小さくはなれない」
八尺様は、巨大化した隙を狙われたのだ。自在に大きさを変え、攻防一体の戦闘ができるとは言え……その能力の使用タイミングにはどうしても「ラグ」が出る。変化した瞬間を意図的に作り出され、そして狙われればひとたまりもない。
「……これがカガセオの力だ。カガセオは不浄を祓う。君には相当堪えるはずだ」
八尺様は、顔面に流れ込む陽気に、焼けるような傷みを感じた。カガセオは破魔矢――浄化の力を宿す。
対して怪異は、その性質が陰気。強い陽気に当てられれば、炎に熱された水のように、タダでは済まないのだ。
八尺様は、生涯感じたことない傷みを味わった。そして、生涯戦ったことのない相手だ。自身の能力の隙を瞬時に突き、ここまで自分を追い詰めた初めての相手。
八尺様は自身の全身に、殺意が漲るのを感じていた。
それを感じて、啓明はカガセオを握っていない左手を前に出す。
「待ってくれ。別に俺は君を傷付けたいわけじゃない。これ以上は止めてほしい。お互い、ここから先はタダでは済まないと思う。下手をすればどちらかが……死ぬ」
それは、停戦――制止の呼び掛けだった。
「俺は君がカナタや人間たちを襲わないのなら、戦う理由はないんだ。それさえ止めてくれれば……」
啓明は相手が怪異だろうと、戦うのは避けたかった。傷付け、傷付けられることにこそ、心を痛める。それに、お互い、想像以上の能力だったのだ。
このまま交戦を続ければ、必ずどちらかが死に至る。それだけは、なんとしても避けたかった。
――だが、八尺様は逆の気持ちであった。
このまま引き下がれない。ここまでしておいて、引き分けなど、つまらない――と、思っていた。八尺様の口が、三日月のように歪む。
啓明は、それで、八尺様の思いを悟った。
避けられない。どちらかが死ぬまで、この戦いは、終わらない。
啓明は目を閉じて、姿勢を正した。大きく深呼吸をする。
「――わかった。君は……俺を喰えば、満足する?」
啓明は何を思ったのか、両手を広げて八尺様の前に無防備に立ち塞がった。
「君は俺が出会ってきた怪異たちと違って、話が通じるタイプなのはわかった。他の怪異たちより、よっぽどね。だから……これは約束。俺を喰えば……これ以上他の誰かを襲わない?」
カガセオをその場に置き、啓明はゆっくりと八尺様に歩み寄る。異常な光景。
八尺様は警戒していたが、やがて啓明に近付き――その身に歯を突き立てた。
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