第7話 追憶の赤 ④

 翔琉は目を輝かせ、身を乗り出した。

「ねえ、今度は僕がやってみてもいい? トランプ貸して、竜也おじちゃん」

 竜也は不貞腐れた顔で、トランプを翔琉かけるに投げ渡した。

「おう、やれるもんならやってみろ。お前ごときに俺の目は誤魔化せんぞ」

 翔琉はトランプを受け取ると、ぎこちなく山を整え、竜也の前に差し出した。

「まずは、このトランプの山から、好きなカードを一枚引いて。僕に見えないように、みんなで確認して」

 竜也は「はいはい」といった投げやりな態度で、山の中から適当に一枚を引き抜いた。

 なな子と慶子に見えるようにカードを向ける。

 慶子だけは、孫の初マジックに目を細めて喜んでいた。

「はいはい。確認しましたよ~。覚えましたよ~」

 本来のマジックなら、ここでカードを山に戻させるのだが、翔琉の「時間遡行トリック」にはその必要はない。持たせたままでいい。

 翔琉は緊張で喉を鳴らした。

 まずは、間違える手順だ。

「あなたの引いたカードは……ハートの1です!」

 自信満々に宣言する翔琉。

 なな子と慶子は「もう答え?」と顔を見合わせた。何の演出も、シャッフルさえしていない。

 竜也はニヤリと笑うと、持っていたカードを表にして、バンッとちゃぶ台に叩きつけた。

「はーい残念! クラブの5でしたー! そんな当てずっぽうで正解できるわけねーだろ。大人を舐めるなよ、出直してきな! ざまーみろ!」

 鬼の首を取ったように罵声を浴びせる竜也。

 翔琉はその罵詈雑言を柳のように受け流し、ターゲットである「クラブの5」という情報を脳に刻み込んだ。

 そして、静かにまぶたを閉じた。


 パチパチパチ バック!


 世界が歪む。

 竜也の罵声が逆再生され、カードがちゃぶ台から竜也の手の中に戻る。

 時間は、慶子が「覚えましたよ~」と言った直後に戻った。


 翔琉は目を開けた。

 目の前には、まだカードの裏面を見せている竜也がいる。その顔には「どうせ当てられないだろう」という油断がありありと浮かんでいる。

 翔琉は竜也の目を真っ直ぐに見据え、不敵に笑った。

 さあ、ショータイムだ。

「あなたの引いたカードは……クラブの5です!」


 時が止まった。

 竜也の表情が凍りつく。

「「「おーーーー!!!」」」

 一拍置いて、三人の驚嘆の声が重なった。

 なな子も慶子も、目を見開いて翔琉を見つめている。

 竜也は震える手で、ゆっくりと自分の手元のカードを確認した。

 紛れもない、クラブの5だ。

「せ、せ、正解……。ありえん……」

 竜也はカードをちゃぶ台に落とした。

「どんなタネを使いやがった? まぐれなのか? そうだろ? 偶然だよな? なあ!」

 必死に食い下がる竜也。

 慶子は手を叩いて喜んだ。

「ひゃー。凄いわ翔琉ちゃん。あなたいつの間にそんな凄いマジックできるようになったの? おばあちゃん鼻が高いわ」

 なな子もまた、驚きを隠せない様子だった。

「シャッフルもしてないし、カードに触れてすらいない……。どういうこと? 翔琉君、あなた本当に凄いわ」

 三者三様の驚きの表情。

 翔琉の胸に、熱い優越感が満ちていく。

 これだ。この感覚だ。

 努力も工夫もいらない。ただ時間を戻すだけで、僕はスターになれる。


 だが、プライドを傷つけられた大人は、黙っていなかった。

「おい翔琉! もう一回だ! もう一回やってみろ! 絶対にまぐれだったはずだ! もう一回正解したら認めてやるよ!」

 竜也が新しいカードを引き抜く。

 翔琉は余裕の笑みで頷いた。何度でもやってやる。


 「あなたの引いたカードは……ダイヤの2!」(ハズレ)

 竜也「ブッブー! ダイヤの7でしたー!」

 パチパチパチ バック。

 翔琉「……ダイヤの7!」

 竜也「なっ!?」


 「あなたの引いたカードは……ハートのキング!」(ハズレ)

 竜也「へっ! クローバーの12(クイーン)だ!」

 パチパチパチ バック。

 翔琉「……クローバーのクイーン!」

 竜也「うおおお!?」


 「はいはい、それを引きましたか……ジョーカーー!!」(ハズレ)

 竜也「バカめ! ハートの3だ! 調子に乗るな!」

 パチパチパチ バック。

 翔琉「……ハートの3!」

 竜也「ひぃぃぃ……」


 連続正解。百発百中。

 竜也の顔から血の気が引いていく。

 慶子は「すごいすごい」と単純に喜んでいるが、なな子の目は真剣そのものだった。

「ねえ、タネを教えてよ。どうやってるの?」

 翔琉は首を振った。

「企業秘密だよ」

 教えられるわけがない。これはタネなんて可愛いものじゃない。世界の理(ことわり)を無視した反則技なのだから。


 竜也は冷や汗を拭いながら、ある結論に達した。

 こいつはマジックをしているんじゃない。

「翔琉! お前はもしかして……人の心を読める超能力を持っているのか?」

 その言葉に、なな子が息を呑んだ。

「だったらよぉ、トランプみたいな決まった絵柄じゃなくて、俺が今から紙に何か文字を書く。それを当ててみろよ。……どうだ? できそうか?」

 竜也の挑戦状。

 翔琉にとっては、トランプだろうが文字だろうが同じことだ。「答えを見てから戻る」だけなのだから。

「いいよ。できるかもね」

 翔琉が不敵に答えると、慶子が新聞の折り込みチラシを持ってきてくれた。裏が白い広告だ。

 竜也はペンを受け取ると、翔琉に背を向け、体を丸めて何かを書き始めた。

 数秒後、チラシを小さく、何度も折りたたみ、内容が絶対に見えない状態にしてから、ちゃぶ台の上に置いた。

「どうだ? 俺が何を書いたかわかるか? 当ててみろ」

 翔琉はチラシをじっと見つめ、演技たっぷりに眉間に皺を寄せた。

 そして、いつものように「間違える」手順を踏む。

「……飛行機!」

 竜也の顔が、瞬時に緩んだ。安堵の色が広がる。

「ぶっ! はっはっは! 残念でしたー! 飛行機なんて書いてませーん!」

 竜也は勝ち誇ったようにチラシを開き、翔琉たちの目の前に突き出した。

「ほら見ろ! 正解は『スウィーティー』だよ! やっぱり俺の勘違いだったようだな。超能力なんてあるわけねーよな。ビビらせやがって」

 チラシには、殴り書きで『スウィーティー』と書かれていた。

 柑橘類の果物だが、当時まだそれほど一般的ではなく、ましてや小学三年生の翔琉が知る由もない単語だ。竜也の意地悪なひっかけ問題だった。

  翔琉は、竜也の事だから一度目の間違えに、また罵倒してくるだろうと身構えていたが、違った。竜也は安堵していた。

 翔琉はその理由がわからずに、考えることをせず、初めて聞いた単語を覚えてから、無防備にも再度能力を使ってしまった。

 (ス……ウィ……ー……ティ……ー。よし、覚えた)

 翔琉は三回、まばたきをした。


 パチパチパチ バック!


 時間が巻き戻る。

 竜也の安堵した顔が消え、緊張した面持ちに戻る。

 目の前には、まだ開かれていない小さく折りたたまれたチラシ。

 竜也が言う。「どうだ? 俺が何を書いたかわかるか? 当ててみろ」


 翔琉は、まるで最初から心の中が見えているかのように、涼しい顔で答えた。

「……スウィーティー!」


 竜也の顎が外れんばかりに開いた。

 時が凍りついたようだった。

 なな子が、弾かれたように身を乗り出した。まさか、という顔でチラシをひったくる。

 震える手で紙を広げる。

 そこには、翔琉の言葉通り『スウィーティー』の文字。

「う、うそ……」

 なな子の声が震えている。

 慶子も言葉を失い、目を見開いていた。

 翔琉以外の三人で顔を見合わせ、その場に戦慄が走った。

 翔琉はふんぞり返った。どうだ、参ったか。

 もっと驚け。もっと僕を称賛しろ。


 しかし、空気は翔琉の期待したものとは違っていた。

 竜也の顔色は蒼白になり、まるで化け物を見るような目で翔琉を見ていた。

「お、お前……なんだよそれ……気味がわりぃな……」

 称賛ではない。恐怖と拒絶。

「あ、ああ、俺、急に用事思い出したわ。帰るわ」

 竜也は逃げるように立ち上がり、挨拶もそこそこに玄関へと消えていった。

 残されたのは、重苦しい沈黙だった。

 翔琉は戸惑った。あれ? なんで? もっと「すげー!」ってなるんじゃないの?

 慶子は困ったように笑い、「お茶を淹れ直してくるわね」と台所へ逃げ込んでしまった。


 居間に残ったのは、翔琉となな子の二人きり。

 なな子は、じっと翔琉を見据えていた。その目は、探偵のように鋭く、そして冷徹だった。

「いい? 翔琉君」

 低く静かな声。

「最後にもう一度だけ。もう一度だけ、さっきのを見せて」

「え……?」

「今度は私がチラシの裏に文字を書くから。それを当ててちょうだい」

 その挑戦的な態度に、翔琉のプライドが刺激された。

 竜也おじちゃんは逃げたけど、なな子には僕の凄さを認めさせてやる。

「ああ、いいよ。何度でも当ててやるさ」

 なな子は台所へ行き、慶子から新しいチラシとペンを受け取ると、廊下へ出た。

 襖(ふすま)を完全に閉め切り、翔琉から絶対に見えない死角を作る。

 カリカリカリ……とペンを走らせる音が聞こえる。

 しばらくして、なな子が戻ってきた。

 その手には、親指ほどのサイズまで小さく硬く折りたたまれた紙片が握られていた。

 彼女はそれをちゃぶ台の中央に置いた。

 その目は、決して翔琉から逸らさない。

「さぁ言って。私はこの紙に何と書いたのかを!」


 翔琉はニヤリと笑った。

 いつも通りだ。まずは間違える。そして答えを見る。戻る。正解を言う。

 簡単な作業だ。

 翔琉は適当な単語を口にした。

「……焼きそば!」

 なな子の表情は動かなかった。眉一つ動かさず、冷ややかに告げた。

「違うわ」

 翔琉は心の中で舌を出した。知ってるよ。これから正解を見るんだから。

 翔琉はちゃぶ台の上の紙片に手を伸ばした。

「ハズレかー。じゃあ答え合わせだ。何て書いたんだよ?」

 翔琉の指が紙に触れようとした、その瞬間。


 バシッ!


 なな子の手が、翔琉の手より早く動き、紙片をひったくった。

「え?」

 翔琉が呆気にとられる目の前で、なな子はその紙片を口元へ運んだ。

 そして、あろうことか、そのまま口の中に放り込んだ。

「んぐっ……」

 喉を鳴らし、ごくりと飲み込む音。

 翔琉の思考が停止した。

 え? 食べた? 紙を?

「ゴクンッ。……はい、時間切れ」

 なな子は口を拭い、勝ち誇ったように、しかしどこか悲しげに言った。

「やっぱり。今まで翔琉君が当てたのは、全て何かのタネがあったか、偶然だったのね」

「は、はぁ!? なんだよそれ! 答え見せろよ! 見なきゃわかんねーだろ!」

「見せられないわよ。もうお腹の中だもの。本当に透視できるなら、紙を開かなくてもわかるはずでしょう?」

 なな子の正論が突き刺さる。

 翔琉はパニックになった。

 見れない? 答えが見れない? それじゃあ戻っても意味がない!

 いや、戻ればいいんだ。なな子が紙を食べる前まで!

 翔琉は焦ってまばたきを繰り返した。


 パチパチパチ バック!


 視界が歪む。

 だが、戻った先は、なな子がまさに紙を口に放り込み、「んぐっ」と飲み込もうとしている瞬間だった。

 (ま、間に合わない!?)

 さっきの問答で時間を使いすぎた。

 「焼きそば!」と答えてから、手を伸ばし、遮られ、呆気にとられている間に、十秒以上が経過してしまっていたのだ。

 目の前で、再びなな子が喉を鳴らす。ゴクンッ。

 翔琉は呆然と立ち尽くした。

 もう一度戻っても、同じ結果だ。限界点(セーブポイント)が更新されてしまっている。

 紙は、永遠に闇の中へ消えてしまった。


「……私、もう帰るわ。それじゃあね」

 なな子は冷たく言い放つと、ランドセルを背負い直して立ち上がった。

 翔琉の目にその背中は、「嘘つき」と語っているように見えた。

 翔琉は何も言えなかった。

 引き留めようにも、正解を知らない自分には、彼女を納得させる術がない。

 玄関のドアが閉まる音が、やけに重く響いた。


 居間には、翔琉だけが取り残された。

 手元に残ったのは、何の役にも立たないトランプと、敗北感だけ。

 翔琉は唇を噛み締めた。

 悔しい。恥ずかしい。

 能力を使えば何でもできると思っていた。大人も、友達も、思い通りに操れると。

 だが現実は、たった一枚の紙切れと、一人の少女の機転によって、あっけなくひっくり返された。

 能力には限界がある。

 そして、人の心までは操れない。

 

 翔琉はちゃぶ台に突っ伏した。

 窓の外から、少し冷たくなった秋風が吹き込んできた。

 昨日の「大人への第一歩」だと思っていた高揚感は、今はもう跡形もなく消え去り、代わりに苦い後味が胸に残った。

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