・1-2 第2話 「相棒」

「フンフン、フ~ン」


 赤茶けた短髪の中年男性、放浪者は、上機嫌に鼻歌をしながら、小型の四輪駆動車の運転席側の扉を開く。


 すると、助手席の上からジロリ、とこちらを見やる存在があった。

 一匹の黒猫。

 孤独な一人旅に同行している、実にふてぶてしい毛玉だ。


 飼っているわけではない。

 とある人物から預かってくれるように頼まれて、仕方なく同行させているだけだ。


 その黒猫はすぐに興味を失ったように目を閉じ、また元の様にその場で丸くなって眠り始める。


「相変わらず、愛想のない奴」


 放浪者は憎々しそうに舌打ちをして黒猫を睨みつけると、席に乗り込み、ドアを閉じ、ブレーキとクラッチを踏み込みながらエンジンをスタートさせた。

 始動する直列四気筒エンジン。

 それが奏でる小気味よい音色に、また、鼻歌がれ始める。


 アクセルを踏み込みながらクラッチを戻し、ギアをつないで発進。

 高鳴るエンジンの音色に合わせ、二速、三速、と、ギアチェンジをくり返し、時速四十キロメートルほどを目安として進む。

 荒廃した世界の道は悪く、あまり無理な運転をすると、簡単に事故を起こしてしまう。


 走行が安定し、操作に余裕が出て来ると、放浪者は備え付けのオーディオ機器に手を延ばし、古びたフラッシュメモリからデータを呼び起こして音楽を再生する。

 流れ出すのは洋楽。

 百年以上も前のポップス。

 当時は真新しかったかもしれないが、今となってはクラッシックだ。

 だが、どこか懐かしく、軽快なメロディは、自然と雰囲気を明るくし、荒廃の中で滅入った気分を切り替えさせてくれる。


 好きな音楽と、直列四気筒エンジンのシルキーな音色。

 その二重奏と共に、悪路を踏み越え、進んでいく。


 彼の愛車、旅の相棒となるのは、ジ〇ニーという、某地球連邦軍の量産型モ〇ルスーツのような名前で呼ばれていた、荒野を走り回り、そして、無事に帰って来るのに必要な高い信頼性と、走破性を兼ね備え、長く販売された名車だ。

 製造されてから、長い、長い年月が経っている。

 それなのに、エンジンは快調に回り、本格的な非舗装路の走行性能を持った車両の中では最小クラスとされる四輪駆動車を気持ちよく走らせる。

 きちんと整備をし、交換するべき部品を交換しているおかげだ。


 一般的な乗用車と、こういったオフロード車を隔てる要素は、いくつかある。


 まずは、全輪駆動オールホイールドライブであること。

 悪路を走らせるとき、必ずしもタイヤがうまくグリップしてくれるとは限らない。

 泥濘や、濡れてスリップしやすい路面など。

 こういった時、車両に装備された四輪のすべてが駆動すれば、どれか一本のタイヤはうまく地面とかみ合い、車両を前に、進みたい方向へ動かしてくれる。


 だが、ただそれだけでは不十分だ。

 デフロックが無ければ物足りない。


 自動車というのはカーブを曲がる時、左右のタイヤの回転数に差が出る。

 外側にあるタイヤは内側にあるタイヤよりも長い距離を移動しなければならないのだから、余計に転がってくれなければ、スムーズに走ることは難しい。

 だからデファレンシャルギア、デフといって、エンジンの動力の伝達具合をうまく配分し、左右のタイヤに回転数の差を設ける機構が、どんな車にも備わっている。

 しかしこの機能は、タイヤが空転した時には悪さをした。

 しっかり地面とかみ合っている方ではなく、空転している側のタイヤにだけ動力を伝達してしまうためだ。


 こういった事態を避け、悪路から脱出するためには、一時的にデフをロックする機構が必要になる。

 スイッチを入れることですべての車輪に動力が均等に伝達されるようになるため、空転を抑え、グリップしているタイヤを動かしてくれる。

 これがあるのとないのとでは、深刻な悪路から脱出する成功率に雲泥うんでいの差がある。


 純正のジ〇ニーには、構造をより単純シンプルにするためと、オンロード走行時の燃費を向上させるため、パートタイム4WDという機構を採用し、LSDを使用したトラクションコントロールで空転するタイヤにブレーキをかけ、しっかりと地面をかんでいるタイヤに駆動力を伝達する仕組みを採用している。

 このため、本来はデフロックを装備していない。

 しかし、世界が滅んでしまった後では、まともなオンロードを高速走行する機会はほとんどないため、放浪者は自らの愛車を改造しデフロックを取り付けた。

 オンロード・オフロード両用としての性能より、オフロードの走破性を重視したカスタムだ。


 こういった機械の仕組みだけでなく、車両の構造そのものにも違いがあった。

 一般的な乗用車はユニボディといって、キャビンを始めとするボディを構成する鋼鈑にも車体を支える部材としての機能を持たせているが、ジ〇ニーのような本格的なオフロード車両では、ラダーフレームを採用している場合が多い。


 ユニボディの方がラダーフレームよりも後発の技術で、ボディ全体で車両の強度を発揮するので外観を作るためだけの余計な部材の割合が減り、軽量で、衝突時にもより安全な自動車とすることができるから、市販されていた乗用車の多くがこの構造を採用している。

 しかし、不整地を走行し、頻繁にダメージを受ける可能性のあるオフロード車にとっては、この形式は不利だった。

 ボディ全体で車両としての強度を発揮しているため、例えば、木や岩にぶつかって損傷を受ければ、その部分だけでなくその他、車の全体にダメージが波及し、最悪、走行不能となってしまうからだ。

 その上、こうなった場合に、ユニボディの車両は修理ができなかった。

 衝突のダメージがあちこちに伝わってしまうため、構造に歪みが生じ、損傷した箇所だけを直したのではその影響が残ってしまう。

 だから大抵の場合、ユニボディ構造の自動車は、衝突事故を起こすと廃車にするしかない。


 誰からも支援を受けられない荒野を走り抜けるためには、これでは困る。


 ラダーフレームは、頑強な桁材と横材を組み合わせたシャーシを作り、その上にボディを乗せる、という形をとっていた。

 これは車の強度をシャーシだけで担うためそれだけ頑丈に作らなければならず、重量がかさんでしまうが、不整地ではメリットがあった。

 ボディと分離した構造になっているため、何かに衝突して損傷を負っても車両の走行自体には支障が出にくいばかりか、壊れた部分だけを修理すればまた元通りに走れるようになるのだ。


 極端な例を出せば。

 車両が転倒してひっくり返り、キャビンがぺしゃんこに潰れたとしても、エンジンと足回り、シャーシが無事であれば、潰れたボディ部分を取り除くだけでまた走り出すことができる。


 荒廃し、文明が崩壊した終末世界を自由に旅し、生きて帰ってくるためには、こういう、損傷に強いタフな車両が必要だった。


 もちろん、ジ〇ニー以外にも、数多くのオフロード車両が存在している。

 有名なジ〇プを始めとして、様々なSUV、果ては軍用車両まで。


 他にも選択肢があるのに、敢えて小型で、エンジンも必ずしもパワフルとは呼べないこの車を相棒に選んだのには、もちろん理由がある。


 ひとつには、部品の入手のしやすさ。

 戦前世界で長期間フルモデルチェンジを受けることなく販売され続けたこの車両は値段も手ごろであったことから広く普及しており、台数があるから、どこかが故障しても廃墟の中から交換品を見つけ、修理することが比較的容易にできる。

 こういった特性から、戦後世界でも互換性のあるパーツが細々と生産されており、そういう面でも有利だった。


 ふたつには、その小ささそのものにある。

 大型の車両であればその分荷物をたくさん積めるし、車内が広々としていて居住性が良いのだが、その代わりに入って行ける場所が限られてくる。

 小さければ破壊された市街地の中でも通過が可能な経路を発見しやすくなるし、男一人が旅を続けるのには、ある程度のサイズと、ルーフに増設された荷物スペースがあれば十分だ。


 みっつめに、燃費が良いこと。

 これは、エンジンパワーが潤沢ではないのと裏返しだ。


 走破性の良さに、パワーは決定的な要素ではない。

 もちろんあればあるに越したことはないが、要点は、車の重量に対して必要十分の馬力とトルクを発揮できることだ。

 小柄な車体に見合った抑えられた排気量のエンジンは、悪路を通過するのに足りるパワーを発揮するだけでなく、こういったオフロード車の中ではもっとも良好な燃費をもたらしてくれる。

 これは、長距離を旅しなければならない放浪者にとっては必要不可欠な性能だった。

 限られた燃料でより遠くまで移動することができるためだ。

 いつでもどこでも燃料を確保できるとは限らないのだから、節約できるというのは大きな強みになる。


 放浪者の相棒は、増設されたフロントライトで行く先を明るく照らし出し、時速四十キロメートルほどで進んでいく。

 さすがに速度はあまり出せない。

 路面状態が悪く、いつ目の前に障害物があらわれるか分からなかったし、なにより、わだちと足跡を見失いたくはなかった。


 時に潰れた廃屋を踏み越え、時に灰の降り積もったかつての田園を走り抜け、大河に戦後になってかけられた、錆びた舟をつなぎ合わせた舟橋を渡り。

 ジ〇ニーは直列四気筒エンジンの音を夜の闇に染み込ませながら進んで行った。

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