・1-3 第3話 「一人と一匹、終末旅行」

 南へ向かって行ったわだちと足跡。

 それは、ほんの数日前につけられたもののようであった。

 というのは、最後に雨が降ったのがそのくらい前のことであり、はっきりと形跡が残っている、ということは、それよりも後につけられたものだと判断できるからだ。


 失った記憶のヒントになるかもしれないし、ならないかもしれない、何か。

 それは、もう少しで手が届きそうなところにある。


 放浪者は夜通し走行して追いつきたかったが、深夜を回る前にいったん、車を隠せる場所を見つけて休息に入ることにした。


「急がば回れ、ってな」


 疲労した状態で無理に進み続けて、事故を起こしたら本末転倒だ。

 ジ〇ニーは多少のダメージを受けても元気に走るが、タイムロスは避けられない。

 文明崩壊の影響で人口密度が極端に低下し、一日移動を続けても誰ともすれ違わない、ということが当たり前のように起こるこの世界では、助けを求めようにも相手がいない。

 無線機は積んでいるが、都合よく連絡が取れるとは限らない。

 だから眠気を覚える前に寝床を見つける必要があった。


 なかなかちょうどいい物件があった。

 破壊され橋台から桁が落ちてしまった高架道路の下に車を隠しておける隙間があり、そこに潜り込んだ。


 サイドブレーキを引いてエンジンを停止し、一度車を降りた放浪者は、荷台からいくつかのセンサーを取り出す。

 人間の目には見えない赤外線レーザーを発信する装置で、射線上を何かがよぎると、車両本体に搭載されている警報機が作動し、異変を知らせてくれる仕組みになっている。

 年季の入った、フィルムを張って敢えて光量を落した懐中電灯で辺りを確かめ、どの方向から接近されても検知できるようにセンサーを並べていく。


 周囲に人間がいる可能性は低いが、警戒するのに越したことはなかった。

 複数人で旅をしているのなら交代で休む、というのができるが、今は一人。

 眠っている間に寝首をかかれる、というのは、想定するべき危険だ。


 警察とか、裁判所とか、そういった治安を守り、法に基づいた裁きを下してくれる組織や団体が消滅して久しい。

 盗難、傷害、殺人といった行為はすべて自力救済が原則となっており、常に自衛しなければならなかった。


 そうして準備を終えると、車に戻った放浪者は、簡単に食事を済ませる。

 ビタミンを補うため小麦粉に殻ごと挽いた蕎麦粉を混ぜて作った乾パンに、狩猟して得た鹿肉を塩漬けにして燻製くんせいにしたもの。

 それと、水道などのインフラ設備が壊滅し、戦争の影響で地下水も汚染された終末世界では貴重な、真水。


 限られた食料を節約し、少しでも満足感を得られるよう、それらをゆっくり、噛みしめながら飲み込むと、彼はそのまま座席をリクライニングさせ仮眠する姿勢に入った。


 熟睡はしない。

 センサーを設置してはいるが、一時間おきに覚醒し、危険が迫っていないかを確かめながら体を休める。


 そんな生活を続けている。


「おやすみ」


 答えてくれる者がいないと知りつつもそう呟くと、放浪者は浅い眠りに落ちて行った。


────────────────────────────────────────


「ふぐっ!? 」


 何度かの覚醒とまどろみを経て、早朝、東の空が明るくなったころ。

 不意に腹部の上に数キログラムほどの重みが乗っかって来て、それで叩き起こされた。


「……なんだ、お前か」


 まぶたを開くと、———そこには一匹の黒猫がいた。


 闇に溶け込む漆黒の体毛に、怪しく煌めくグリーンの瞳、赤い首輪。

 性別はオス。


 野良がどこからか急にあらわれたわけではなかった。

 この気ままで不愛想な面を見せている毛玉は、最初から車の中にいた。


 ただ我関せずと、放浪者が何をやっても、助手席の上で丸くなって眠りこけていただけだ。

 コイツはいつもそうなのだ。


「おい、キャッツミート。

 旅の仲間なんだからさ、もう少し穏便な起こし方ってのはできないのか? 」


 予定より幾分か早く目覚めさせられたため、そう文句をつけるのだが、どこ吹く風。

 黒猫は「そんなこと知ったことか」と言いたげにそっぽを向くと、ぴょん、と、おっさんの腹を足蹴にして助手席の下に飛びおりる。


 それから。

 前足を使い、そこに置かれていたステンレス製のボウルを、カタン、カタン、カタン、と揺らし始める。


 エサの催促さいそくだ。


「……へいへい、分かりましたよ」


 何の愛想もなく一方的な要求を突きつけて来る旅の仲間に辟易へきえきとした視線を向けると、放浪者は身体を大きくひねって荷台を漁り、[毛玉用]と書かれたブリキ缶を取り出す。

 中身は手作りされたキャットフード。

 穀物の粉と鹿肉のミンチを練り合わせ、猫でも食べやすい大きさに成形して焼いた、いわゆるカリカリであった。


 それを、中に一緒に入っていた計量スプーンで正確に測り、ボウルにザラザラと入れてやる。


「なーうっ! 」


 唐突に黒ネコが鳴き、ジロリ、と睨みつけて来る。

 これでは量が少ない、もっとよこせ、と催促さいそくしているようだ。


「我慢してくれ。

 お前の本来の飼い主に、太らせるな、って、きつーく言われてるんだから」


 しかめっ面をしながら肩をすくめ、放浪者はもうひとつあるボウルに真水を雪ぎ入れてやる。


 この黒猫は、旅の仲間ではあったが、率直に言ってあまり良い関係ではなかった。

 毎日世話をするようにと要求されるのに、ちっとも愛想を見せてはくれず、ふてぶてしく、まるで自分の方が立場は上だと主張するかのような態度だからだ。


 偉そうな毛玉が懐いているのは、その本来の飼い主だけ。


 いったい、どういう意図で、こんな旅の役には立たない厄介者を預けているのか。

 ———その狙いはなんとなく察してはいるが、飼い主の意向には逆らうこともできず、仕方が無く引き受けている。

 いろいろと事情がある。


 放浪者としては、彼女からの要請が無ければ、絶対にこんな可愛げのないやつとは旅をしていなかったところで、内心では常々「いつか非常食にしてやる」と思っていた。

 キャッツミートという名前は、そういう気持ちから勝手に名づけているだけで、戦前世界で親しまれていたとあるゲームのキャラクターから拝借しているものだ。

 本来は別の名前がちゃんとある。


 太らせるなと言われている。

 その返答を聞くと、黒猫はどうやら諦めたらしく、少し不服そうな顔をしてから大人しくエサを食べ始めた。

 まるで人間の言葉を完璧に理解しているようだ。


「ったく」


 放浪者はその様子を確かめるとエサの入った缶を後ろの荷物ペースに戻し、両腕を頭の後ろに組んでリクライニングに寝そべり直す。


 もう少し休んでから、この、一人と一匹の終末旅行を再開するつもりだった。

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