ぼくにもできそう

晴れ時々雨

第1話

 誰かが通路のはしによけておいた用具を蹴散らしてつまずく。

 積んである書類の中間の一枚を横着して二本指で取ろうとして全部崩す。

 間違った集会場でとんちんかんな挨拶をする。

 午後出勤なのに弁当を持参する。


 ある連中に給料泥棒だとか囁かれているが、溝口さんがそういう業務を兼任していることはあまり知られていない。


 僕は一度、彼の代役をしたことがある。

 ひどく居心地が悪かった。

 とても彼のように、朗らかでいられない。

 溝口さんは何とでも分け隔てなく会話ができる。

 彼が一番多く会話しているのは自在箒だが、最近一番親身になっているのは鉢に棲む金魚の夫婦だ。

 金魚が番かは本当のところわからない。けれど僕が番という言葉を使うと、溝口さんは静かに訂正した。

 溝口さんによると、赤くてひらひらした方が奥さんで、黒くて目ん玉のでかい方が旦那なのだそうだ。彼は赤を奥さんと呼び、黒を旦那と呼んだ。

 金魚家はカカァ天下のようだった。時折奥さんが旦那を追いかけ回して疲れさせている。溝口さんはその仲裁に入ることがしばしばあった。

「奥!」

 大きい声で奥さんをたしなめることもある。

 金魚に縄張りの概念があるかなんて知らないが、とにかく奥さんの気性は激しかった。

 奥さんが暴走すると、溝口さんはめっ、でしょうが!とか言いながら、綺麗に洗った割り箸で金魚鉢を撹拌した。スタミナのある奥さんは水流に身を任せつつ泳いだが、ある日耐えきれなかった旦那がとうとうお陀仏になった。

 その日はそれから埋葬と葬儀が行われた。会場は会社入り口付近の植栽。つつじの根元を掘り返し、なきがらを埋めた。僕も自分の席から黙祷を捧げた。翌日、急遽溝口さんは欠勤した。そして朝礼で僕の上の段階の従業員さんが、しばらく溝口さんはお休みになりますと宣言した。


 5日ぶりに出勤した溝口さんは、上段階の人に何かを詰め寄っていた。

 どうやら、奥さんの新しい伴侶を探したものの、見つけられなかったらしい。

 詳細はわからないので彼の人となりから想像することしかできないが、そうしてみて、少し心配になった。

 まさかと思うが、どこかの水辺で「彼の仕事」をしたのではないか。泥だらけになった姿を想像し、いたたまれなくなった僕は、新しい金魚を入れてもらえないか上段階さんにお願いしてみようかと思った。

 するとお昼休憩のとき、上段階さんの、

「わかったわかった」

 という声が聞こえ、溝口さんの顔が明るくなったのを見て一先ず安心したのだった。

 それを聞いていたのか花頭はながしらさんという年配の女性が、よかったね〜と独り言を言った。


 僕にもできそうだが、彼のようにはできない業務がある。

 溝口さんは、言葉を返す種族の言葉がなかなか聞こえない習性をもつ。だからそれ以外とはとても親しい。

 彼の周りはいつもある程度、物が散乱している。でもまったく困った様子はない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくにもできそう 晴れ時々雨 @rio11ruiagent

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る