タイムリープの実行

 10月13日(1回目)


 今日はブレザーを着ても寒くない。通学路を自転車で走りながら、紫陽はここ数日の出来事を思い返していた。


 安財あんざい椿綺つばきと出会ってから1週間が経つ。あの日、紫陽しはるは彼女と連絡先の交換をしていないことを別れてから思い出した。しかし、安財あんざいは何故か紫陽の住所を知っているので、心配するまでもなく翌週の週末に押しかけてきた。そこで紫陽と安財はとある約束を交わした。


 まず第一に、タイムリープが事実であることを証明する。すなわち、紫陽は安財から与えられたボタンを押してしまう。何かを成し遂げるでもなく、本当に過去に戻ることが可能である事実を実体験を以て証明する。


 実行日は10月13日火曜日。1-4限を受講し、その後当日の朝に戻る。


 1. 物理的な移動が遂行され、それは同時に時間的な移動も伴っていること。

 2. 遡った先の未来は、基本的に遡る前と同じ振る舞いをすること。


 この2点に焦点を当てて実験を行う。学校の授業であれば、茉莉まつりを含む大勢の生徒がいる。教師もいる。家であれば両親も、だ。一方で安財本人はいない。過去に戻る演出が安財の演技ではなく、その他大勢も自らを騙すために仕組まれた存在でないと証明するのに十分だ。


 むしろ学校・家族ぐるみで演技してまで紫陽のことを騙しているのなら、それはそれでタイムリープより面白い状況である。


 いずれにせよ試す他なかった。


    ◆

 

 教室をくぐる。小学校1年生から続けてきた当たり前の行為にすら、不思議な感覚を覚える。


「紫陽ちゃんおはよーーーっ!!!!」


 開幕バカでかい声で挨拶したのは、疑うまでもなく茉莉だ。教室の前中心辺りにいる彼女がこちらへ駆け寄ってくる。


「私の昨日送った動画見た!?」

「や、まだ」

「えー!? 早く見て! めっちゃ面白いから!」


 茉莉は最近やけにテンションが高い。いや、クラス全体が浮ついているように感じる。まあ、それは至極当然のことで……。


「お馬さんの顔って、あんなにプニプニ動くんだよ。生でみたら絶対面白い! 牧場で絶対やろうね」

「どうして柔らかいんだろうな。何で出来てるんだ」

「どうでもいいよそんなの! 可愛いからなんでもいいの! てか、紫陽ちゃん楽しみじゃないの? 修学旅行」


 修学旅行が、1週間後に迫っているのだ。そりゃあ、何となく、みな楽しい気分になってしまうだろう。


 紫陽だって例外ではない。「楽しみじゃない」訳がない。茉莉と同じ班だ。学校という集団に、プライベートのような高揚が介入してくるのは、ただ休日に遊ぶのと違った特別感がある。


 しかし、今日だけは例外である。浮ついた気分になるような日ではなかった。タイムリープの結果を試す。これから起こる未知の出来事への期待が、紫陽の中で修学旅行を遥かに上回っていた。


 こんなに楽しいこと、茉莉にもすぐに共有してあげたいくらいだった。しかし残念なことに安財の許可が得られていない。言及したことで因果律に歪みが生じたら困る。タイムリープなんて当然経験がないわけで、どの程度の行動が未来に影響を与えるかの相場なんて、知りようがない。


「紫陽ちゃん聞いてるー!?」


 意識が現実に戻ってきた時、茉莉の顔は比喩でなく、本当に目と鼻の先まで近づいていた。


 「ああ、楽しみだ」とだけ紫陽は挨拶をする。「いけずー」と茉莉は席に戻った。


    ◆


 自分史上稀に見るほど授業に集中していたかもしれない。


 タイムリープ後が今日10月13日であることを証明するため、今日に特異的な出来事を紫陽はひたすら記憶していった。


 例えば、1限の数学教師は「確率」を「確"卒"」と誤ったまま板書を進行していた。開始30分で、男子がそれを指摘した。


 2限は英語。文法問題の答えを前に書かせるため、教師がランダムで生徒を指定していった。途中、空欄箇所が2つの問題で、クラスにて"いい感じらしい"男女が偶然にも当てられて、クラス内は大盛況となった。紫陽は心底くだらないと思った。

 

 3限は家庭科。おばあちゃん先生の授業進行はゆっくりで、わかりやすいイベントは生じなかった。強いていうならクラスの8割が寝ていたが、それが常套なのであまり気にならなかった。


 3限と4限の間の休み時間。茉莉はお手洗いに行った。戻ってきてから、男子数人に絡まれたのを軽くあしらって、それから別の女の子数人と順に会話した。今日の私はつまらないと判断されたらしい、なんてことを紫陽は思った。紫陽は茉莉と喋った全員の名前を覚えた。


 4限は日本史。強烈に眠たいので寝てしまった。よって何が起きたか紫陽は知らない。


 目覚まし代わりのチャイムがなって、4限の終了を知らせる。紫陽は、バッグからタイムリープのための小型装置を取り出す。薄い円盤型で、真ん中に浅い物理デバイス(ボタン)がついた、おもちゃみたいなもの。


 押す刹那、少しためらいが生じた。けれどそれは未知への好奇心と、安財への信頼で容易に突破できてしまうものだった。


「ご飯食べよー」


 笑顔の茉莉がこちらに向かってくる。そのタイミングが、紫陽のボタンを押したタイミングと重なった。


 ――世界の境界がぼやけて行く。耳元を新幹線が数台通り抜けたような衝撃音を受けて、


 1回目の10月13日が終了した。


     ◆


 10月13日(2回目)


 悪い目覚めだった。ただしそれが紫陽にとっての常套である。スマートフォンの日付は、10月13日。この段階で正直成功していると判断して差し支えない。タイムリープといった超常現象を経験した感想は、特に湧いてこなかった。


 母親に急かされて、目玉焼きとトーストを無理やり麦茶で流し込む。横目でみた星占いは、みずがめ座が最下位。前の10月13日がどうだったのか記憶していない。1回目で朝の景色を焼き付けておかなかったことを後悔する。


 薄雲広がる空の下を自転車で駆けて、出発時は肌寒かったけれど自転車を止める頃には汗が鬱陶しい。嫌な匂いの混じった靴箱を抜けて、電灯の弱い教室へと入り込む。


「紫陽ちゃんおはよーーーっ!!!!」


 開幕バカでかい声で挨拶したのは、疑うまでもなく茉莉だ。教室の前中心辺りにいる彼女がこちらへ駆け寄ってくる。


――全く、同じ。


「私の昨日送った動画見た!?」

「いや、まだ見ていない」


 紫陽は、極力前回と同じ返事をすることに努める。


「えー!? 早く見て! めっちゃ面白いから!」

「今日帰ったら見てみるよ」

「お馬さんの顔って、あんなにプニプニ動くんだよ。生でみたら絶対面白い! 牧場で絶対やろうね」

「どうして柔らかいんだろうな。何で出来てるんだ」

「どうでもいいよそんなの! 可愛いからなんでもいいの! てか、紫陽ちゃん楽しみじゃないの? 修学旅行」


 ……この後のことを紫陽は考えた。1回目は思考するのに精一杯で、茉莉の話など全く耳に入っていなかった。けれど今考えれば、会話は茉莉の疑問で終わっている。答えない理由がない。


「えー! もしかして嫌だったりする……? 班が嫌とか? なんて! ……ねえ何か答えてよー。――私すっごく楽しみなんだよね。牧場とかお土産ショップもいいけどさ、やっぱ温泉! お風呂だよ! 紫陽ちゃんお風呂好き?」


 こんなに、話しかけてくれていたのか。紫陽はひどく申し訳ない気持ちになった。1回目と同じ状況を再現したいなら、無視し続けなければならない。紫陽の良心は、極めて早い段階で顔を出した。


「お風呂……楽しみだな。旅行は各日の間でゆっくりしているときが私は好きだ」

「そうだよねー! わかりすぎ。紫陽ちゃんなんか動いているの嫌そうだもん」

「ちなみに、班が嫌とかはない。牧場やお土産ショップも当然期待している。よって、私は修学旅行が楽しみだ」

「と、突然の全フォロー……!」

「あ、あと」

「?」


 紫陽は、前触れなく茉莉に顔を近づけた。目と鼻の先・・・・・に。


「えっ」

「……」


 しばらく見つめてから紫陽は席に戻った。たしか1回目もこれくらい近づけただろう。ある程度、再現できたように思う。


 茉莉はしばらく入口で立ち尽くしていた。


     ◆


 10月13日は、思ったより完全再現とはならなかった。1限の数学教師は「カクリツ」とカタカナ表記したから誤字は起きなかった。2限の英語で"いい感じらしい"男女が偶然にも当てられて、クラス内が大盛況となったのは再現された。紫陽は心底くだらないと思った。


 3限の家庭科は8割が寝ていた。おそらく因果律を変えてもこの授業だけは皆が寝るだろうと思った。


 3限と4限の休憩時間、茉莉は紫陽の方に来た。


「ねえねえ紫陽ちゃん、修学旅行何持ってく?」


 紫陽は違和感を覚えた。本来なら茉莉はお手洗いに行っているはずだが……。


「茉莉、トイレは大丈夫か?」

「えっ?」


 茉莉はわかりやすく目を開いている。


「いや行きたいんじゃないかと思って」

「何で分かるの!?」

「それは……」


 紫陽は大いに困った。しかし弁明を考える間に茉莉はトイレへと駆け込んだ。


 ――おおよそ、同じ日というのはタイムリープで再現されている。しかし一方で、割と些細な行動が出来事を変化させうる。


 もし、今日の出来事が終着先の未来を変更してしまったとしたら……。


『今度、いつ会える?』


 紫陽は無性に不安を覚えて、安財へメッセージを送った。

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