無重力タイムリープ

 10月3日(1回目)


「以上が、わたくしからできる説明の全てとなります」


 週末の昼下がり。紫陽の部屋。座った目の彼女が、落ち着いた様子で言った。


 「――茉莉まつりに悲劇が訪れる」。そんな聞き捨てならない文句を引っ提げて、彼女――安財あんざい椿綺つばき紫陽しはるに押しかけた。そして押しかけた末に行う営業は、「タイムリープの宣伝」。


 人間、ここまで嘘みたいな話が連続すると賢いもので、一旦それが全て事実だと受け入れた上で解釈を始める。その上でその全体に論理の穴がないかを探す。


 紫陽しはるにとっていま、タイムリープが現実かどうかなんて関係ない。その証明は実行することでいくらでも確認できる。むしろ、彼女がタイムリープに付帯させた他の主張を順に整理していくこととなる。


「説明してくれてありがとう」

「どういたしまして」


 ここまでのやり取りで、まず安財あんざい自身はおそらく変わった人間でないだろうことを紫陽は推測し得た。


「安財は、私と同じ高校生か?」

「ええ。そうです。高校2年生」

「同い年か。高校は?」

「南高です」

「そうか。遠いな。私と茉莉は東高だからな」

「そうなのですね」


 茉莉の未来を知っているくせに、個人情報は全て初耳のような反応を見せる。それともフリをしているだけか。


「どうして、茉莉に悲劇が訪れることを?」

「かつての未来で、見ましたので」

「なるほど……」


 "かつての未来"なんて表現をする辺り。


「安財はタイムリープしてこの日に戻ってきたんだな」

「はい」

「どうして、この日なんだ?」

「あなたに会うためです」


 安財は全ての回答を淀みなくハキハキと伝える。彼女の性分か、タイムリープを繰り返したことに由来する慣れかは分からない。


「私?」

「はい。求乃くの紫陽しはるさん、あなた」

「何故?」

「あなたに、茉莉さんを救っていただきたいから」

「……」


 結論まで聞けば、そりゃそうだろう、となる。与えられた状況がそう教えてくれている。タイムリープした人間が助けを求めているのだから、協力することになるのはある程度読めていたはずだ。


 まだ空は曇っている。お出かけするような休日でないことは確か。


「目的はわかった。ここからしばらく、タイムリープが存在する前提で話を進めるが」

「はい」

「茉莉と安財の関係は?」

「大学の友人です」

「となると、悲劇が起こったのは、茉莉の大学時代?」

「おっしゃるとおりです」

「了解。……そのときの私は」


 聞きかけて紫陽は口を噤んだ。本当に聞くべき質問か悩んだ。自分の未来のことは確かに気になる。しかし気になる中でも、答えを知るとつまらなくなってしまう分類に入る。


 だから聞くのはやめた。その未来で紫陽自身が助けることができていないのは、きっと進学先の地理的都合や、お互いの事情に依存するのだろう、と、勝手に判断した。


 ただ、どうしても気になって仕方ないことが1つあった。それは本題から逸れる話題であることに違いなかったが、紫陽は聞かずにいられない。


「すまない。私のことはどうでも良い。ただ」

「ただ?」

「その、安財と茉莉は、どういう関係性なんだ?」

「はい?」

「いやだからその……」

「先ほど、友人と申しましたが」

「……まあ、そうだよな」


 目があった安財の頬が、軽く綻びたようにみえる。


「ああ、そうですわね。……一線超えたとか、そんなことはありませんわ」

「そうか」


 なんだか紫陽は穴があったら入りたい気持ちになった。


「他に聞きたいことは?」

「……ない」


 肩と腰が痛くなってきた紫陽は、1度床に寝そべる。そうしてまた口を開いた。


「で、その悲劇っていうのが避けられない訳ね」

「そうです」

「何度ループしても、同じような結末を迎えてしまうわけだ」

「はい」


 ここまでは容易に理解できる。映画で見たことのある話だ。いや、きっと映画以外でもあるんだろうと思う。図書館で呼んだ怖い話にもあったような? とにかく、現実のタイムリープはともかく、紫陽が紙面ないし画面の向こうで見た世界のタイムリープは、みな特定の悲劇を避けられず、同じ時を繰り返す苦痛を味わっていた。


 で、安財も茉莉についてそのような事態に直面していたと。


「だから、"無重力タイムリープ"をしなきゃいけないんだ」

「素晴らしい理解力です、紫陽しはるさん」


 ――無重力タイムリープ。強烈な因果律いんがりつから逃れられるタイムリープの方法。このタイムリープは、以下の巨大因果律論に由来する。


 因果律には、惑星やものと同じく、万有引力が働いていると仮定する。そのとき、"死"や"別れ"といった人生のイベント大きく左右しうる因果律は、その内容から非常に強烈であると考えられる。強烈な因果律が巨大や因果律となり、周囲の世界線を異常なまでの重力で惹きつける。だから多少の現実性よりも、特定の人間が死ぬことの優先された世界が繰り返される。


 ならば、引力に勝るほどの推力をもって別の世界線に向かえばよい。これが『無重力タイムリープ』の根幹をなす考え方である。ロケットが地球から離れられるように、莫大な推力を活かした行動・出来事は強烈な因果律からの脱出を実現し得る。


 ――安財が部屋に来て初めに述べたのはそれらの説明であった。そしてこの技術を実行するために、紫陽に協力してほしいと申し出たのだ。


「面白い話……ではあるよな」


 無重力タイムリープの概念を振り返って、紫陽はそう呟く。なるほど、何度も何度も助けようともがくことは、所詮地球上でジャンプしているに過ぎないと。ならば、導かれる因果律を全て無視するような異常な振る舞いが、結果として推力を発生させ、別の因果律への着陸を誘導する。


 非常に興味深い。安財の説明した内容は、紫陽の好奇心を貫いた。


「ちなみに、異常な振る舞いっていうのは具体的に?」

「まだ、使ったことがありませんから、想像の範囲ですが」

「気になる気になる!」


 気づけば紫陽は寝転ぶのを辞めていた。


「全裸になって街を逆立ちで散策したり、通りすがりの人々全員に多大な危害を加えたり……など、そういうことでしょうか」


 紫陽は絶句した。


    ◆


「そろそろお暇させていただきます」


 気づけば空は暗くなっていた。夜が早まってきているとはいえ、随分長い間一緒に居たように思う。


「最後にお茶だけでも飲んでいくとよい。どうせなくなりかけだ」

「では、お言葉に甘えて」


 安財が自ら入れようとしたので、紫陽はボトルに手を伸ばした。


「入れるよ」

「申し訳ありませんわ。お客なのに」


 安財は頑なに手を離さないので、紫陽はあっさりと諦める。まあそこまで譲り合うほどのものでもない。


「……」


 ちらり、と彼女を見ると、安財は雑貨屋で買った求乃家のボトルとにらめっこしている。


「……」

「うーんっ」

「おーい」

「んっ……これはっ」

「大丈夫か?」

「あ、えっと、お気になさらず」

「貸して」


 今度は安財から無理やりボトルを奪いとる。


「こうやって入れる」

「……ありがとうございます」

「難しいよな、家ごとに違うから」


 彼女は日常道具の扱いに不慣れみたいだ。モジモジしている様をみて、紫陽は愛らしいと思ってしまった。


     ◆


「では今度こそ」


 紫陽は玄関先まで安財を送る。彼女が礼をしたタイミングで母が声をあげた。


「あらー、ご飯食べていかなくて良い?」

「両親が待ってますので、また機会あれば」

「そーう。良い子ね~。――あっ、そしたらお菓子だけでも持ち帰りなさい!」

「いやそんなっ」

「ママ。たくさん渡されても、彼女が困る」

「あらそーう? 今日何で来たの? 徒歩?自転車?タクシー呼んであげよっか?」

「いえ……」


 突然、災害を予知させるような轟音が鳴り響く。


「わたくし、ヘリで帰りますので」


 法の扱いがどうか分からないヘリは求乃家の前に停車し、安財はそれに乗り込んだ。去り際に彼女が発した言葉は、全てが風圧でかき消されて何にも聞こえない。


 紫陽は母と2人、しばらく開口したまま空を眺め続けていた。


    ◆


 深夜。


 安財から受け取ったタイムリープの機械を眺めてみる。ボタンを押すだけで任意の時間に戻ることができるらしい。まだ使ってはいない。いつの時代の技術か、たいそう小型だ。


 1人になって色々を考えてみると、気になることがまたたくさん増えた。紫陽は自分なりにこれらを解決する必要があると思った。でなければ、きたる日にタイムリープを有効活用することができない。



 しかし、悲劇は案外早く訪れる。

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