『無重力タイムリープ』ーーーー規則を逸れた異質な振る舞いは、強力な因果律から逃れる時間移動を実現する
@su-ama
求乃紫陽と相楽茉莉
10月1日(1回目)
「君、なぜ自らがお寿司の『たまご』を愛してるか、考えたことはあるか」
まだ朝礼の始まっていない教室。秋口のくせにブレザーは暑くて着てられない。
教師の来ない束の間の自由を、クラスの各自が享受していた。
「美味しいからだよ!」
「違うよ、
紫陽は至って冷静である。
「報酬系なんだ。ドーパミンの分泌だよ。いいかい。私は昨日スーパーで半額売りされていたお寿司6貫セットを買った」
「いいなぁーー!」
茉莉のその声量は3文字で話の腰を折るのに十分であった。
「……いいかい。最後まで聞いてくれ。無性に寿司が食べたかったのだ。私は。だからスーパーで買った。しかし、いざ食べようとしたときに困った」
紫陽は昨日の食卓を思い出す。えび、いか、本物かわからないマグロ、おそらく偽物のサーモン、そしてたまご2貫が並んでいる。この景色は言語を
「あまりにサブキャラしかいない。私は随分悩んだ。最後に、まぐろないしはサーモンを味わうべきだと思った。無性に寿司が食べたい体で、なけなしの金を払ったのだから、満足行くまで寿司を味わいたいと考えた。だから主役でないたまごから先に食べようと決意した」
「たまごは主役だよー!」と茉莉が頬をふくらませる。議題が逸れるので紫陽はそれに応対しない。
「そして私はたまごから食べた。……はっきりいって、感動したよ。『寿司を求めて仕方ない私の体』に、その瞬間、酢飯に乗った何かが入ったんだ。それは間違いなく寿司だ。だから私は感動した。これが寿司か、と。貴重な場でしか食べられないお寿司が日常生活に染みていった。心底感銘を受けた。たまごのようにほっぺが溶けていきそうだった」
真剣に語る紫陽を見て茉莉は首を傾けている。
「そこで私は初めてたまごの寿司を美味しいと感じた。回転寿司で、1度も頼んだことのないたまごを。――十中八九、後ろに控えるまぐろやサーモンへの期待が、たまごにとって最高のスパイスと化したに違いない。散財することが決まっている、ないしは両親が会計することが常である回転寿司と違って、昨晩の夕食は寿司の量が限られている。その中で極限までに膨れ上がった寿司への想いが、私にたまごを美味しいと感じさせた」
チャイムの音が鳴り響く。周囲が教科書などを取り出して、空気が1限の様相を帯びてくる。
「遊園地の待機列や、旅行の移動と同じだ。そこに向かうまでの期待が、私の苦痛を快楽に変えた。だからたまごを美味しいと感じた。そうして茉莉、君がたまごを好きなのも全く同じ理由だ。おそらく君は幼少期からスーパーの半額寿司を与えられて育ってきたに違いない。そしてその過程で……」
「おーい、いい加減座れ。求乃」
教師に指摘され、紫陽の持論展開は終わりを迎えぬまま中断させられる。
紫陽の去り際に茉莉が、「放課後回転寿司っ」と小声で言って、ウインクを添えた。
◆
紫陽はとにかく、気になってしまったことは自分なりに検証するか、論理を構築するかでないと気が済まない性分であった。この世にはあまりにも気になることが多すぎた。特に最近は茉莉がなぜお寿司のたまごを好きで仕方ないのか、について常々考えていた。気になりすぎて昼寝は15分しかできないし、おやつも1日1回までしか食べられなかった。
先程展開した持論を、茉莉がどう捉えているのか答えを知りたい。しかし今から放課後まで7時間ほど拘束されることが確定している。授業なんてものは禄に手がつかない。
休み時間に聞いても良いが、「そんなことより楽しいことしようよ」などとほざいて鬼ごっこでも始めるのがオチである。そうして2人まとめて教師に叱責される。当たり前である。もう高校2年生なのだから。
2時間目の古典でも茉莉のことをぼうっと考えていた。紫陽の性分は学問へ向いていそうに見えて、受験勉強の範囲であればページをめくるだけ答えが確認できるので、のめり込むようなことはなかった。一方で本格的な学問に乗り出すには知能が足りなかった。それは紫陽が特別学力に劣るという訳ではなく、より優秀な学生や、研究で生計を立てている偉大な大人に対する尊敬を込めた上である。
思考の海をもがくうち1日は終わっていた。あまりにも放心なため、4限体育のバレーで全てのボールを顔面レシーブした際はさすがの体育委員長も心配しているようだった。そのときも頭の中では回転寿司のことを考えていた。
◆
放課後。紫陽と茉莉は回転寿司に向かう。
まだ空は青い。自転車を漕ぐと、やんわり張り詰めた冷たい風と1年ぶりの再会をする。でもまだ手袋はいらない。
「
温かい店内で、茉莉が機械の操作。テーブル番号が出力されて、私と茉莉は番号の場所へ向かう。
しばらくは小腹を満たしつつ、今日の出来事なんかについて他愛もない話をした。紫陽の定義上茉莉は友人であるから、別に話題がくだらなくとも、無言があったとしても、一切気にならない。会話の途中で茉莉がスマホを手に取ったとしても、失礼だと感じない。
皿が数枚重なった頃、紫陽はいよいよ本題を切り出す。
「で、今日の『たまご理論』についてだが……」
茉莉は想定通り要領を得ない顔をしている。
「なんだっけ、化学でやったやつ?」
「違う。私の唱えたもの」
「えー! 紫陽ちゃんが教科書に!?」
「まだ載っていないが、いずれ載るとされている」
「それで、内容はどんなのだっけ?」
アイスコーヒーを軽く口につけて、向かいあった茉莉へ紫陽は朝と同じ話をした。
「……という話だ」
「うーん」
「駄目か?」
「紫陽ちゃん、あのね」
茉莉は、随分と真剣な目をしている。
「紫陽ちゃんは、好きな食べ物ある?」
「梅昆布」
「他は」
「パエリア。ずんだシェイク」
「どうしてそれらが好きなの?」
「美味しいからだ」
「そうだよね」
子供を諭すように微笑んで、茉莉は言った。
「私がたまごを好きなのも、美味しいからだよ」
「なっ……!」
紫陽は、ものの見事に論破されてしまった。
「しかし……っ」
「第1、考えてみてよ紫陽ちゃんっ! 紫陽ちゃんは昨日たまごを食べて、感動して、たまごが好きになったんだよね?」
「あ、ああそうだ。そう言った。私はたまごが好きになった」
理論回復の兆しが見えて、紫陽は少し声量を上げる。
「これからもたまごを食べたいと思う?」
「もちろん。当たり前だろう! 私はたまごを愛している!」
「そしたら、注文履歴を読み上げるね。『オニオンサーモン2貫、あぶりエビチーズ2貫、かすうどん、ミルクレープ、アイスコーヒー』……。」
「ぐはっ……!?」
紫陽はあまりの悔しさにその場で倒れてしまいそうだった。
「たまごないよ~? どこにも」
「ミルクレープ……ッ! ミルクレープがある!」
紫陽の声で隣のカップルがこちらを見たような気がした。構っている場合ではない。
「紫陽ちゃんの理論は、そんなのでいいの?」
「くそっ……!」
「それにね……紫陽ちゃん」
茉莉は
「私のこと、スーパーの半額お寿司で育てられたって言ったよね?」
「あ、あぁ……」
「私、赤ちゃんのときはママのおっぱい飲んでるから!!!!」
「……」
紫陽は完全敗北した。何も言い逃れができなかった。そうして店員がテーブルに来て、「お静かに願います」と頭を下げた。
◆
「ありがとうございました~」
それから2人は店を出た。 紫陽には強烈な違和感があった。
「なんだ茉莉、それは」
彼女は、会計前からやけに肉体的距離が近くて、腕を絡ませた今はもはやプライベートスペースが混ざり合っている。
「カップルごっこだよ」
「はあ!?」
「だってさだってさ、店員さんに迷惑かけちゃったじゃん」
「そうだな」
厳密には、他のお客さんにも。
「変わった高校生だなあ、って思われ続けたくないじゃん」
「全うな意見だ」
「でも、女の子同士カップルだったら、そっちに意識が囚われて」
「はい?」
「私たちの迷惑もある程度過小評価されるんじゃないかなって!」
「茉莉、君には現代にあるべき意識が3つほど足りていないようだ」
「でも紫陽ちゃんが顔赤くしているなら茉莉はそれでもいいよ~」
「……ッ。離れろ」
紫陽は無理やり彼女を引き離した。そもそも店を出て駐輪場を歩いているのだから、もうカップルに偽装する必要はない。西日はあまりにも暑かった。
だいたい茉莉はこういう性格で、とにかく楽しいことを遂行するのに命をかけている。だから紫陽は友人にし得だと思っている。
友情から得られるものは、楽しい経験であるほうがよい。であれば彼女のような性格は理想的だ。合理的に選んだ友人が、たまたま相楽茉莉だったのだ。
本当にそれだけだ。
◆
10月3日(1回目)
週末が来た。怠惰な紫陽は昼に起きた。別に予定はない。ただ一昨日から、腕がまだ温かいのを気になって仕方なかった。
「なんだよ、カップル偽装って」
また気になることが1つ増える。あんなことしなくなって、店員さんに頭を下げれば良かった話じゃないか。それでいて、昨日は普通に接してきたのだから分からない。
しかし気になっても検証する術がない。もう1度腕でも組むか? ……何のために。
モヤモヤが頭を支配して、季節の変わり目はいつも曇り空だ。
◆
「お友達よー」
2度寝とその他あらゆる行為の価値を天秤にかけていたら、下から母の呼び声がした。
スマホを開いても、メッセージなんてない。妙だ。
「どんな子?」
「すっごく可愛い子だったわ~」
大体母は聞いてもこれしか返してこない。ただ名前を呼ばなかった辺り茉莉ではなさそうに思える。
禄に梳いていない髪のまま、紫陽は扉を開ける。
「はじめまして」
ドアの向こうに居たのは、友人でも何でもない、ただの他人。
紫陽より背丈が明らかに小さくて、綺麗な服と長い髪に包まれた白い肌は、それだけで彼女が良い育ちであることを紫陽に察知させた。
「誰だい、君は」
「突然の訪問失礼いたします。わたくし、
名前だけでは何も伝わない。せめて所属か目的がないと困る。
表情だけで紫陽の意図を察したのか、
「タイムリープのことについて説明させていただきたく、お時間ございますでしょうか。――将来相楽茉莉を襲う悲劇を、回避するため」
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