第5話 知ってく、方向で 〔輝咲〕

 学生食堂の片隅で唐揚げ丼を食べていたら、隣の席に誰かが座った。

「どうしたの、ボケっとして」

 圭だった。わたしの顔を見て、眉をひそめている。

 ボケっと、か。そっか、そう見えるのか。

「いやー、ちょっと、圭の意見、聞きたいんだけどさ……」

「うん、何」

「深いキスってさ、それはもう、ほぼセックスだよね?」

「ねえ、真っ昼間の学食でして大丈夫な話? それ」

 困惑しながら圭が言うが、大丈夫、大丈夫、とジェスチャーで伝え、「どう思う?」と重ねる。

「まぁ……そうかも」

 少し頬を染めて、斜め下に目を逸らしながら、圭が小声で答える。

 照れてるのかな、かわいいやつめ。

 というか、そうか。やっぱりそうか。じゃあ、きっと、そういうことなんだ。

 そこへ、進んでいいってことだ。

「ちなみに、圭って、翔太しょうたとそういうことしたのって、いつなの?」

「え、それ、ほんとに知りたい?」

 圭が心底嫌そうな顔をするので、それ以上は聞かないことにする。

 参考になるかな、と思ったんだけれども。

「ちょっと、急ぎすぎなのかな……やっぱ……」

「輝咲、まったく話が見えて来ないんだけど」

 圭は「いただきます」、と小さく手を合わせ、隣で日替わり定食を食べ始める。

 うん、これはアレだ、要するに「聞いてやるから分かりやすく話せ」ってことだな。ありがたい。

「一昨日、外練休んで、口説いてたお姉さんのことなんだけどさ」

「うん。あー、例の」

 圭にはあの日みっちり搾られたので、その際に、鈴音さんのこともある程度までは伝えている。

「そう、例の。昨日さ、帰り際に、その人とキスしたんだ」

「へー。……え? 早くない?」

「うん。だから、もっと深いキスはまた今度ね、って、なったんだけど」

「ああ、そうなんだ。それで」

「そう。今度する……のかもしれなくてさ」

 ほとんど、セックスみたいな、そういうこと。

「それでボケっとしてるのね。でも、なんかその割には元気なくない?」

「さすが、するどいね」

 わたしは、小さくため息をつく。

「ちょっと気になることがあってさ……」

「うん」

「その……さ、昨日キスした時の、お姉さんの反応が……、なんていうかな……経験済み、な感じがしたんだよね……」

「美人のお姉さんなんでしょ? そりゃ、あるでしょキスの経験くらい」

「いや、違くて……」

 わたしは唐揚げを頬張りながら、箸をカチカチと鳴らす。

「たぶん、女性と、キスしたことあるんじゃないかな、って……思って」

「へぇ。なんでそう思うの?」

「いや、ほんと、なんとなく、なんだけど……」

 わたしは、その感じをどう言葉にしていいかわからず。順を追って、一つひとつ、説明してみようと思った。

「例えばさ、もしわたしがいま突然、圭にキスしようとしたら、どうする?」

「え? 張っ倒す。される前に」

 即答だった。怖い。

 というか、質問内容とその相手を間違えた気がする。

「……まぁ、さ。戸惑うわけよ、ふつうは。特に、同性だとさ。そこに一枚、越えるべき壁があるわけ」

「なるほど?」

「でも、お姉さんからは、そこについての戸惑いみたいなものは、感じられなかったんだ、全然」

 言いながら、昨日のことを思い起こす。

 ほんとはもう、顔を引き寄せた時に、そのまましてしまいそうだったんだけど、嫌なら無理にしちゃだめだと思って、がんばって、寸止めして。お姉さんの表情を伺ったら……すごく、切なそうで。わたしを、そういう相手としてちゃんと見てくれていることが、伝わってきて。

 だからわたしは、たまらずそのままキスしちゃったわけなんだけれども。

 あー、だめだ。あの時の鈴音さんの表情、思い出したら顔が緩む。

「いいことじゃないの。スッと受け入れてもらえたってことでしょ?」

「うん、だから、逆になんか……そういう経験、すでにあるのかなーって、思って」

 例えば、もしそういう行為自体はなかったとしても、他の誰かを好きになる経験を通して、自分の性癖を自覚してる、とか。

「経験済みだったら、何か困るの?」

「困るというか……嫌じゃん。なんかそういう、『前の人』みたいなのの、影、感じるの」

「あー、まぁ、それは確かにね」

 圭も思い当たる節があるのか、明後日の方を向いて、深く頷く。

「受け入れてもらったことは、ほんとうに嬉しかったんだけどさ。なんか、そういえばわたし、お姉さんについて、そんなことも知らないんだ、と思って。いろいろ考え出したら、モヤモヤしちゃって。ほんとにこんな感じで、関係だけ進めちゃっていいのかな、って」

「なるほどね」

 納得したように頷いて、圭は、日替わり定食を食べ進める。もぐもぐと咀嚼しながら、何か考えてくれているようだった。

 そうなのだ。

 はっきり言って、昨日の鈴音さんは悶絶するほど可愛かったし、触れ合えて嬉しかったし、キスはびっくりするほど気持ちよかった。昨日のことを思い出すと、とても幸せで、満たされた気持ちになった。

 でも、考えているうちに、そこはかとない不安も湧いてきた。

 だいたいいつも、わたしは急ぎすぎて失敗するんだ。さすがにもう20年近くこの「わたし」を生きてるんだから、だんだん分かってもくる。

 調子よくいってる時ほど、思いもよらない落とし穴に落ちる。大事なことを見落としてたり、知らぬ間に大事な人を傷つけてたり。

 別に、そうしたいと思ってるわけじゃ、ないのに。

「で、輝咲は、その人とどうなりたいの?」

「え?」

 再び、圭が口を開く。

「とりあえず、ほぼセックスみたいな濃厚なキスが、できればOK?」

「圭、ここ真っ昼間の学食なん…」

「いいから。どうなの?」

「あ、はい。いや、そう、ではない、かな……」

 うん。それは、違う気する。

「もちろん、お姉さんとそういうこと、したいけど……。それだけじゃなくて、いっしょにいると、楽しくて、ワクワクするから。できればたくさん、いっしょの時間を過ごしたい」

 圭は、話を聞きながら、日替わり定食の味噌汁をゆっくりと飲み干す。

 そして、ことり、とお椀をトレイに置いて、わたしを見る。

「じゃあ、あんまり焦ること、ないんじゃない?」

「え?」

「話聞く限り、昨日までが一足飛びすぎたのかもしれないし。要するに、まだよく知らないんでしょ? その人のこと」

「うん、……そうかも」

「じゃあ、まずは時間かけて、いろいろとそのお姉さんのこと、知ってみたら? セックスなんてそれからで十分でしょ。それが、私の意見」

 圭の言葉が、スッとわたしに入ってきて、すとん、と落ちる。それはたぶん圭の言葉に、わたしの幸せを願う気持ちが、込められていたからだと思う。圭は、わたしがお姉さんと幸せな関係を結べるようにするにはどうしたらいいかってことを、真剣に、考えてくれたんだろう。

 わたしは少し俯いて、まだ少し唐揚げとご飯の残る丼鉢を眺めた。

 ああ、うれしいな、と思った。

 圭がそんな風に、わたしのこれからについて親身に考えてくれたことが、何よりもうれしかった。

「ありがとう、圭」

「どういたしまして」

 圭は、こともなげに答えた。

 それから、圭と話していて、気づいたことがある。モヤモヤの一部に絡まっていて、見えなくなってしまっていて。うまく、言葉にすることが、できなかったこと。

「たぶんわたし、あのお姉さんとの関係、ちゃんと育てたい、って、思ってるのかも。お姉さんのこと、好きだから」

 それを聞いて、圭は微笑んだ。満足そうに。

「そうね。なら、ちゃんと手順は踏んだ方がいいと思う、きっと」

 その表情を見て、圭がわたしにいちばん気づかせたかったことはそこなんだな、と分かった。 

 圭はこういうコミュニケーションが、抜群に上手い。バスケの試合後のコメントなんかもそうだけれど、圭は基本的に、相手に大切なことを伝えなければならない時、その人が自分自身で気づけるように話を運ぶのだ。

 ……ちゃんと手順を踏む、か。

 確かに、昨日までほとんど勢いだけで、グイグイ踏み込んできた。きっと、このままズルズルと、なし崩し的に関係を進めるってことも、出来るんだとは、思う。

 でも、わたしはまだ、鈴音さんのことをあんまり知らない。だから、もっと知りたい。ちゃんと知った上で、その、人となりを、丸ごと大事にしたい。

「わたし、まずはお姉さんに、そのこと、ちゃんと伝えてみることにするよ。お姉さんのこと、もっと知りたい、ってこと。そのうえで、ぜんぶ大事にしたい、ってこと」

「そうね、私もそれがいいと思う」

 圭が力強く、同意してくれる。

 そうだ、まだ、これからだ。何も終わっていないし、もしかしたら、まだ、何も始まってすらいないのかもしれない。

 わたしは、ポケットからスマホを取り出した。

〈鈴音さん、今週の土日どっちか、あいてる?〉


 返信があったのは、3限の講義中だった。

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