第2章 五十回忌 十二話 式典5
「―――であるからして、皆、一人ひとりの魂は不滅でありながら常に変化し続けている。そして、その変化を通して我々の魂は紙一枚ほどの成長を積み重ねて、御仏に少しずつ近づいていくのかもしれません。そんな私たちを御仏はいつもご覧になられております。これは本当に大変に有難いことであり、どんな魂も上へあがれば浄化され、救われるということなのです。そのようなことが、本日の経には記されていたということです。えー、短くはありましたが、以上で、アタシからの話は終わりにしたいと思います」
「み、短くねえ……!」
「本当に長かった……」
「お尻痛ぁい」
一衛たちが苦行を終えた修行者の面持ちで、それぞれの感想を吐き出した。
アイマンはもちろん夢の世界にいたが、来場者の半分も眠っていた。
無理もない。
「えー、米倉住職、有難いお説法、ありがとうございました。それではー、故人との最後のお別れに花入れの儀を執り行います。皆さま、中央に二列でお並びください。」
天田の進行を聞いて、ガタガタと音を立てながら皆が立ち上がり、蓋を開けられた棺桶の前に列を作っていく。
アコースティックギターの音が鳴る。
いつの間にか誰かがギターを抱えて、祭壇の脇に座っていた。
ギターが曲を奏で始める。どこかで聞いたことがあるクラシックの葬送曲だ。
「皆さま、籠にある花を一つずつお手に取ってお進みください。棺にそれぞれのお気持ちと共に花を添えて頂き、初実さまへの手向けとさせていただきます」
一衛たちも列に並ぶ。
「誰がギターを弾いてるんです?」
「マスターだな」一衛の質問に犬山が答える。
「マスターって秋津さんですよね、ギター弾けるんだ。しかも上手い」
「秋津主任は、ヘルマッドサイエンティスツだから!」茶屋が目を輝かせて言う。
「へ、ヘル? なに?」突拍子もない言葉に、一衛は思わず訊き返した。
「ヘルマッドサイエンティスツです。秋津さんはメタルバンドやってるんですよ、ボーカル兼リードギターです」アイマンが補足説明をしてくれた。
「超カッコイイの! 今活動休止中だけど」どうやら茶屋はファンらしい。
「へえー」
列の横に置かれた籠から花をひとつ手に取り、進む。少し先で眼帯の前隊長が棺に花を添えているのが見える。
そういえば、彼の名前を聞いてなかった。
「あの人、先代の隊長ですよね」
「ああ、そうだな。俺は直接絡みはねえが、破天荒だったって話はよく聞くぜ」
「船長が引退したのって十年前だから、チャーヤも詳しくは知らないけど豪快な感じだよね」
「船長って呼ばれてるんですか?」
「茶屋さんだけですよ、船長って呼んでるの。確か
多分、茶屋は眼帯が海賊っぽいって理由だけでそう呼んでいるのだ、と容易に想像がついた。
「黒野さんっていうんだ」
「お前、先代と絡みでもあんのか?」
「いえ、前に笹村さんと病院でちょっとだけ会ったんですよ」
黒野は花を添えると手を合わせてから、列から捌けていった。
徐々に列が進み、棺の中のカラフルな花々に囲まれた藤崎初実が見えてくる。
以前、研究所で見た時より美人に見える。死化粧が施されているからだろう。
一衛は手にしていた薄紫色の花を、彼女の肩の辺りにそっと添える。
「本当に永い間、お疲れさまでした」
茶屋のその言葉に、魂が肉体に縛られているなんて事があればそういう事になるのか、と一衛は思った。
列の最後尾にいた翼果が棺の前に立つ。
「かあさんもYOMOTSUのみんなにお礼言ってね」そう言って例の蓮に似た花を初実の手に握らせた。
今にも目を開けて「みんな、ありがとう!」と手を振り出すんじゃないかと想像しながら、翼果は初実の頬を優しく撫でた。
学校の校門辺りに会場から出てきた人たちが溜まっていた。この後、全員で出棺についてく事になっているからだ。
ギターの音が聞こえ始め、玄関から秋津がギターを弾きながら出てくる。
秋津に先導されるように、翼果と米倉、そして数人に担がれた初実の棺が続いて出てきた。担ぎ手の中に笹村と天田がいる。
「四十九年も経って、ようやくあの世へ旅立ちか」
いつの間にか校門前の集団に混じっていた渡辺が、こちらに向かってくる棺を見ながら呟いた。
「彼女の魂はとっくの昔に旅立っているだろ」渡辺のすぐ後ろから穂高の声がした。
「そこは科学者らしく、脳が停止した時点で彼女は消滅したって言わないと」
「知った風なことを言うね。脳なんてただのCPUさ。脳みそに心があるなんて抜かすのは三流科学者だ」
「流石、一流科学者は違いますね、直美さん」
「馬鹿言え。魂の在処が分からない私なんざ、二流科学者だよ」
日頃から『科学はいつも証明されたものの外に本質がある。あらゆる可能性を排除しない事が科学のスタート地点であり、それを証明するのが科学者の存在理由だ』と語る穂高だ。彼女が魂の存在を否定しない事は意外ではない。
穂高は渡辺の隣に並び、棺が来るのを見守る。
「随分遅かったじゃないか」
「有難い米倉の長時間説法の時にはもういましたよ」
「そうか。あの素晴らしいヨッカちゃんのスピーチを野暮用で聞き逃すとはな」
「病院に行くのは野暮用とは言わないでしょ」
校門を棺が通り過ぎ、その後ろを皆がぞろぞろとついて歩き始める。
「そんな見え透いた嘘を私が信じるとでも?」
「まあ、そうですよね。でもただの定期報告みたいなもんです」
二人も行列にもなっていない群れに加わり歩き始めた。
「YOMOTSUの上層の誰か知らんが、タイミングが悪いな」
本当にタイミングが悪い。いや、警戒心が過剰なくらい高い月島のことだ。今日という日を知らなかった訳がない。比良坂がもぬけの殻になるタイミングを狙ったという方が正しいだろう。
そう思いながら「タイミングが悪い奴なんですよ、本当に」と答えた。
風が鳴らす草木の音以外無い、静かなフィールド内を、響き渡るギターの音と共に集団が歩いてゆく。
「おい、今の道で曲がらねえのか?」
犬山が通り過ぎた道を見送りながら言う。その道は翼果の家に続く道だ。
「ちょっとぉ、おやびん。埋葬先が変更になったの、見てないのぉ?」
茶屋がチッチッチッ、と指を振る。
「あーん? 墓の場所が変わったってことか?」
「いえ、墓は作らずにフィールドの外に運び出すってことらしいですよ」
一衛が答える。
「はあ? そんなことすりゃ、遺体が跡形もなく消えちまうじゃねえか」
犬山の言う通り、フィールド適応者である藤崎初実の遺体は、外界では分子分解を起こし、消える。しかしそれが翼果の要望ということだった。
「きっと、初実さんを故郷に返してあげるってことなんでしょうね」
アイマンの言う通りなのだろう。だから翼果は挨拶で、心の中に母はいつも居る、と言ったのだ。
研究所付近で、棺の行進が一度止まる。
「では、翼果さん、アタシが責任を持ってしっかり送り届けて参ります」
「うん、母さんをよろしくね」
フィールド適合者である翼果は、これ以上は進めない。
皆が翼果に会釈して通り過ぎていく。
最後尾を歩いていた穂高が、翼果の元に残ろうとして渡辺に引きずられて通り過ぎた。
翼果ひとりを残して、皆が遠ざかっていく。
独りにして欲しいと頼んだのは翼果だ。
人の気配が無くなり、動物たちの声が戻ってくる。
皆の後ろから距離を取ってついてきていたタワシが、翼果に寄り添うように隣に並んだ。
棺が路上に降ろされる。
初実の棺を皆がUの字で取り囲むようにして見守っていた。
間が空いているのは翼果の視界を遮らないようにする為だ。
こちらから翼果の姿はゴマ粒くらいにしか見えていないが、視力がずば抜けている彼女には良く見えている。
米倉の指示で、天田と笹村が二人で棺の蓋を開く。
棺の前で米倉が正座し、合掌した。
青い光の粒子が棺の中から現れ、空へと上がって消えていく。
初実の遺体と供えられた花が、青く輝きながら粒子になって消えていく。最初は僅かな数の粒子がチラチラと舞っているくらいだったが、粒子の数は徐々に増えていき、やがて、キラキラと輝く光の帯ようになって空へと立ち昇る。
「これ……、何……?」
想像もしていなかった現象を目の当たりにして、一衛が誰に訊くでもなく言った。
「有機生命体が互いのフィールドを越えて分子分解を起こすとき、なんらかのエネルギーが生じて分子が青く発光するんです。知ってはいましたが、僕も見るのは初めてです」一衛の疑問にアイマンが答えた。
「なんらかって何だよ」犬山が訊き返す。
「何が原因か解っていないってことです」アイマンが光の粒子から目を離さずに言った。
「そうか。でもまあ……」
「綺麗……」茶屋が、意図せず犬山の言葉の続きを補完するように呟いた。
人が天に召されるのを、現実として目撃しているような不思議な気持ちになる。
こんな風に人の魂も天に昇っていき、空に溶けるように消えていくのだろうか、魂というものが存在するならばの話だが。
一衛はそんな事を思いながら、この非現実的な光景を眺めていた。
青い光の筋が空に上がっていくのを、翼果が目を細めて見ていた。
走馬灯のように母との想い出が蘇る。
コーヒーの代用品を作ったが二人でマズくて吐き出したり、翼果が楽しみにしていた果物をかあさんが勝手に食べて大喧嘩したり、川で溺れて流される母を助けたこともあった。土砂降りの雨の中、二人で歌いながら踊ったこともあったな。
翼果はフフッ、と思い出し笑いをしながら「しょうもない事ばっかりだ」と呟いた。
そして、母がいつも遠い目で外界の空を見ていたことも……。
胸の奥から何かが込み上げてくるのを感じる。
なんだろう。
込み上げてくるものと連動するように目頭が熱くなった。
「今度はどう? 黒苦汁」
椅子に逆に跨って座って、背もたれの上に両腕と頭を載せた翼果が、興味なさそうに初実に言った。
「黒苦汁じゃないよ、コーヒーよ! コォヒィイ!」
初実は語気を荒げながら言い返した。
大量の茶色い木の実を一週間水に漬け込んだ汁を、カップに注ぐ。それを一口飲んで首を傾げた。
「うーん、なんか薄いのよねえ」
母は、もう何年も本物のコーヒーとやらを追い求めている。一度味見に参加した翼果は、その苦さから二度と口にすまい、と誓っていた。
「なかなか完成しないね」
「うーん、いい所まできてるとは思うんだけどなぁ」
「なんか足りない味があるとか?」
「味っていうか、コクかな」
「コクって何?」
「難しいこと訊くね、翼果ちゃん」翼果の質問に、カップを置いて口をへの字に曲げた。
「自分で言ったのに難しいの?」
「そうだねえ、なんていうか、重さ? 余韻? 後に残る感じっていうか……」
「ふぅん……。しつこい感じ?」
「しつこいとは違って、心地よい残り方よ」
「重くて、心地よい残り方かぁ」そう言って翼果は何か探すように窓の外を見る。
「キビミズの実だと甘過ぎるんだよなぁ……、でもなぁ……」
初美は目を瞑って腕組みしながらブツブツと独り言を呟く。
ガチャッ、と裏口のドアが開く音がして初実が目を開ける。ついさっきまで翼果がいた椅子に姿がない。外に出て行ったらしい。
「まぁーったく、ドアも閉めずに」
開けっ放しのドアを見て、初実は呆れた声を出す。
しかし、一分もしないうちに翼果が戻ってくる。
バタンッと勢いよくドアを閉めた翼果の手には、草が握られていた。
「かあさん、この葉っぱ、潰してその黒苦汁に入れてみてよ」
「コーヒーね、コーヒー!」翼果の言葉を訂正しながら、受け取った草を見る。よく道端で見かける草だった。
「これ、その辺でよく見る草じゃない」
「いいからいいから」
娘に言われるがまま、半信半疑でその草を、手でもみ潰して試作のコーヒーに入れる。
カップから香る匂いを嗅ぐ。少し青臭さがあるが気になる程ではない。
しかし、その辺の雑草を入れたものを飲む気がして、口をつけることを躊躇う。
翼果が期待するような目で見ている。
これは、飲まないわけにはいかないな、と覚悟して一口飲んでみる。
驚いた。これは初実がよく知るコーヒーの味だ。
「どう?」
「すごいよ翼果! ちゃんとコーヒーの味だよ!」
「もしかしたらって思ったんだよね。この草はね……、えっ……」
喜んだ母に嬉しくなって得意気にそう言った翼果が、初実の顔を見て固まった。
彼女の目から涙が溢れていたからだ。
涙を流す母を見るのは二度目だった。一度目は翼果が死にかけた時だ。
翼果の様子に、自分で泣いている事に気づいていなかったのか、「あれ? やだもう」と言いながら涙を拭った。
「かあさん、悲しいの?」翼果が心配そうな声で訊く。
「アハハ、違うよ、嬉しくてね」
「でも泣いてるよ」
「そうだね、でも本当に悲しくないの。涙はね、悲しい時だけじゃなくて、すっごく嬉しい時も出るんだよ」涙目なのにお日様のような笑顔で、初実はそう言った。
目頭の熱が暖かい涙になって、翼果の頬を伝った。
生まれて初めての、感情からくる涙だった。そして同時に母の心の一部を理解できた気がした。
あの時は、何年もかけて作っていたコーヒーの完成が、母にとって、余程嬉しい事だったのだろう、と思っていた。
でもきっと、それだけじゃない。
翼果の様子に心配したのか、タワシが顔を近づけてフンフン、と匂いを嗅いでくる。
「うん? 大丈夫だよ。これは悲しいわけじゃないんだ」
耳の後ろを撫でてやると、タワシは気持ちよさそうに眼を閉じた。
「この涙にはね、色んな想いが入ってるんだ。自分の中で想いが満タンになったから溢れてきただけだよ」
一瞬、ふわり、とコーヒーの香りがする。気のせいかとも思ったが、タワシが辺りをキョロキョロと見回していた。
これは最後に母が会いに来たのかもしれないな、翼果はそう思った。
「故郷に帰れた? 母さん」
高く舞う光の粒子となった母を仰ぎ見る。空には白い真昼の月が浮かんでいた。
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