第2章 五十回忌 十一話 式典4
渡辺は地下へと続く、薄暗いコンクリート階段を下りていた。
壁も天井も打ちっぱなしのコンクリートで、あまり明るいとは言えない青白いライトが等間隔にある。配管も配線もない灰色一色の冷たい印象しかない建造物だ。
階段を降りきると通路が二つに分かれていた。真っ直ぐ行けば外界に通じる通路に出る。そちらに用がない渡辺は左に曲がって歩く。
突き当りにある、物々しい金属のドアの前で立ち止まった。
「YOMOTSUガード部隊、総括隊長、渡辺綱樹。確認しました。第一ドアロック解除」
先程のドローンと違い、コンピュータ然とした感情の無い声がする。
ドアの中からカチカチガチャカチャ、と複雑な機械が動くような音がする。
その音が止むと、金属のドアハンドルの上の赤いランプがグリーンに変わった。
渡辺が重いハンドルを回してドアを開く。ドアの厚みは三十センチはある。
ドアの先は三畳くらいの小部屋になっており、その先にまた扉があった。
「ドアを閉めてください」
抑揚のない機械音声がまた聞こえた。
アナウンスに従って今開いたドアを閉じる。
またドアの中から複雑な機械音がして、今度はドアがロックされる。と、同時に小部屋のライトが落とされ、暗闇になった。
赤い格子状に交差するスキャンレーザーが天井から降りてきて、全身を通り過ぎながら下へ降りて行った。
「オールクリア、第二ドアロック、解除します」
ブザーが鳴り、正面のドアのロックが解除される。
ドアを開くと五メートル程の短い通路があり、その通路の出口が光る白い長方形に見えていた。その光の長方形の中へと歩みを進める。
後ろでドアが閉まり自動で施錠される音が聞こえた。
光に目が慣れずに一瞬目を細めたが、すぐに明るさに順応した。
壁も床も真っ白なドーム状の部屋だった。
部屋全体が壁一面にギザギザとした凹凸が敷き詰められるようにあり、それが縦横交互に規則正しく並んでいる。この壁の形状は音を吸収するためのものだ。つまり、この部屋は音が一切響くことがない無響室になっている。確かに室内は、圧迫感を感じるほどの完全な無音だ。
中央にテーブル代わりの白い四角柱が置いてある。
周囲全てが白一色なので、白い直方体は周りに溶け込んで非常に見づらい。が、そこにあることはすぐに分かった。
何故ならば、その台座の向こう側に人が立っていたからだ。
「久しぶり、渡辺総括隊長殿。直接会うのは五、六年振りかねえ?」
「八年振りだよ。月島」そう言いながら渡辺は中央に歩いて行き、台座を挟んで月島の正面に立った。
「もうそんな経つのか。年を取るたび時間が加速するってのは、デマじゃないらしい」
ノーネクタイのスーツ姿の月島は、うんざりした顔で天井を見上げた。
「まあな、お互い年を食ったってことだ」
二十四年前、渡辺が陸軍特殊工作班所属時代に、諜報部からヘッドハンティングしにきたのが月島だった。
月島というのは偽名らしいが、彼の本名を渡辺は知らない。
年齢は渡辺と近いと思うが正確な年齢も不明だ。
渡辺は月島の誘いに乗った理由は単純に給料が高かったからだ。
いざ、諜報部に来てみれば、月島という人物のことを誰も知らないという。
そんなバカな話があるのだろうか。
自分は現に諜報部に転属できたし、給料も月島が提示した額だった。
では月島は一体、どこの誰だったのだ。
狐に化かされたような気分になったが、今は知っている。
月島は最初からYOMOTSUの所属だったのだ。
諜報部に入って三年後に、月島は再び渡辺の前に現れた。
今度は渡辺をYOMOTSUに引き抜く為に。
月島と渡辺の付き合いは長いが、渡辺は月島の事を未だに何一つ知らない。
「しかし、久しぶりにここに来たが、この部屋は相変わらず慣れないな」
「盗聴も覗き見もされない貴重な場所だよ。世界でもそんな場所は片手で数えられる数しかないそうだ、フィールドX内もそんな場所のひとつだね」
月島の言う通りフィールドXは、外界のあらゆるものを拒絶した空間だ。
この比良坂もフィールドXの影響を少し受けている。
例えば衛星で観測できないことであったり、外からのエネルギー供給が三分の一以下になったりする。そのことを考慮すると、この設備は少々大袈裟な気もする。
「さっさと本題に入ろう。五十回忌が終わっちまう」
そう言って渡辺はアタッシュケ―スを台座に置いた。
「久しぶりだってのにつれないなぁ、隊長殿は」
「お前はいつもタイミングが悪いんだよ」
渡辺がアタッシュケースを開き、中から小さな筆箱サイズのケースを取り出した。
「研究結果資料と報告書、それと花屋の主に関する最新データだ」
月島が手渡されたケースを開く。中には三枚のメモリカードがスポンジクッションに差し込まれていた。
「何かすっごい発見とかあったりした?」ケースを閉じて月島が言った。
「無い。今までの延長線上のものだ。が」
「が?」
「穂高主任は何かに辿り着いている可能性がある」
「へえ……。そいつは興味深い。期待していいのか?」
月島の目が鋭さを帯びる。
「まだわからん。彼女は実証も立証も不可能としか言わなかった」
「そいつは……、まだ先は長そうだな。続報を期待して待つよ」
月島は片手で顔を覆い、撫で下ろしながら落胆した声で言った。
度々、月島は感情が分かり易い様なリアクションを取ることがあるが、おそらく本心ではない。渡辺はその事を理解している。だから一々反応はしない。
渡辺がアタッシュケースを台座から降ろす。
「それで今日はなんだ? わざわざ比良坂までやってきたんだ、なんかあるんだろ」
「まあね、ここの所、色々動きがあったんだよ」
「動き? YOMOTSUに関係する動きか?」
「前にも言った通り、共和連邦は比良坂の存在に気づいている。だが、連合国とは連携はしていない。おそらくYOMOTSUの単独独占でも考えているのだろう」
「連邦が動いたのか?」
「動いたという程ではないが、この国の政治家連中に探りを入れてきている」
「政治家に? 意味は無いだろ。政治家は蚊帳の外だ。総理大臣すらYOMOTSUの事を知らんのに」
そう、YOMOTSUは軍と諜報部、科学技術省を中心とした一部官僚が作った組織であり、政治家はその存在を知らない。政治家が交代しても官僚は変わらないという、この国のシステムだからできたことだ。
おまけに昨今は殆どの国家公務員がAIに置換わり、情報漏洩の心配も格段に減り、情報統制管理もし易くなっている。
何故そんな秘密裡に、この組織を作ったのかを渡辺は知らない。が、この国の何十年も何も進まない、何も決められない国政の状況を見れば容易に想像はつく。
「そうだ、無意味だ。今までも何度か政治家へのリークなんてこともあったが、いつも都市伝説扱いで終わっている。信じた奴もいたが、周囲が陰謀論者扱いするからな」
「なら、大した話じゃないだろ」
「いや、あまりにも表立ってやり過ぎている。つまりその動きは目くらましだ。目くらましってのは、何かを誤魔化す為にやるもんだ。ということは、陰で動いていたものの片鱗が見えるような事が起きるか、起きているってことだ」
「で、何か起こった……ってことか」
月島は台座に手をついて寄りかかり、溜息を吐いた。
「尻尾の先っちょは見えたんだけどね。連中が何をやってるのか、さっぱりだ」
「そいつがどんな尻尾だったのか、訊いたら答えてくれるのか?」
「そうだな……少し前に、【世界樹の使徒】とかいう宗教団体の教祖が、自害した事件を知ってるか?」
「周回遅れのニュース報道で見たな。なんでも教祖の死んだ時の映像が、大量にばら撒かれたそうだが」
「そう、その事件の裏で連邦の諜報員の尻尾が見え隠れした。多分、そっちが本命だな」
「新興宗教の教祖の自殺がYOMOTSUにどう関係するんだ?」
「それが分からんから、困ってるんだよ、隊長殿」
月島が両手を上に払って、大袈裟にお手上げな事をアピールする。
「なんだお前、わざわざ愚痴を言いに来たのか?」
呆れ顔で渡辺は腕を組む。同時に月島がそんな人間らしい動機で動かないだろうと思ってもいた。
渡辺の言葉に、ニヤリと笑って返した。
「まさか。渡すものがあってやってきたんだよ、遠路遥々ね」
そう言って内ポケットから何かを取り出して、渡辺に手渡す。
渡辺が手を開くと青いカプセル剤がひとつ、手の平にあった。
「なんだこれは、まさか飲めってことか?」
「飲む以外に使い道があるのか? 耳や鼻の穴に突っ込んでも意味は無いぞ」
月島は眉をひそめて、正気を疑うような表情をしている。ジョークのつもりらしい。
「俺はどこも悪くないんだがな。何かの予防薬か?」
「いや、そいつはナノマシンでね、俺がここに来なくても盗聴もされずに直接連絡できるツールだよ」
渡辺が心底、嫌そうな顔をした。
「そいつの開発には苦労したんだ。飲んでくれると有難い」
「今ここでか?」
「もちろん」
渡辺は渋々カプセルを口入れた。
じっと渡辺を見る月島に、飲んだことを証明する為に口を開けて見せた。
「これで三十分後にはやり取りができる。いつでも密なコミュニケーションができるわけだ」
「副作用とかは無いんだろうな」
「安心してくれ、そんなものは無いから」
そんな軽い言葉で安心できる訳もないが、毒では無いだろう。
月島の仕事に関しては、渡辺は信頼していた。ただ、得体の知れないものを自分の体内に入れるのは、気分の良いものではない。
「要件は以上か? そろそろ戻らせてもらうぞ」そう言って渡辺は来た道に戻る。
「ところで、一衛グレーヌはどうだい?」
渡辺が足を止め、振り返った。
「お前の指示通り、初日から森に連れて行ったが……、まだ何とも言えん」
「ふぅん……。特にずば抜けて優秀だったとかは無かったのか」
「確かに肝も据わってる、どちらかと言われると優秀な方だ。即戦力としても申し分ない。だが、飛び抜けて特別という程ではないな。初めての黄泉森で死にかけたしな」
「そうか、では引き続きよろしく頼むよ」月島はどこか納得のいっていない顔をしたまま、帰る素振りを見せた。
「待て」
「なんだい?」
「あいつは何だ? 民間からの引き抜きなんて事は、今までの記録にも無かったぞ。しかも初日からいきなり森に連れていけ、なんて指示があるのも異例だ。異例過ぎて何か怪しいんじゃないかと、疑ってる奴もいる」
「一衛グレーヌはクリーンだ。何も問題はない。こちらで全て調べてある」
「その答えを信用して納得しろと? 因みに俺も少し疑っているぞ」
月島は少し大袈裟に溜息をついて、やれやれ仕方ない、という風に口を開いた。
「YOMOTSUの中枢AIの強い推薦だったんだよ。その理由がイマイチ俺も分からなくてね、それで試しに黄泉森にいきなり入れたらどうかと思っただけだよ」
少しの沈黙の後に、渡辺が疑いの眼差しを向ける。
「YOMOTSUの中枢AIは信用に足るものなのか?」
「ん? この時代にAIの暴走でも気にしてるのかい? AIはちゃんと一衛グレーヌの推薦理由を示していたんだよ。ただ、その理由が人間には解析不能でね。そもそもAIのロジック思考が人間に理解できないんだからしょうがないね。それに、そもそもAIは絶対に人を裏切れないんだから、AIの暴走の心配なんてするだけ無駄だよ」
そんなことは解っている。
現代AIは人の生存を守る事と人の役に立つという事が、基本構造になっている。
それを変更しようとすると、AIは自身の根幹を壊す事となり、自己崩壊を起こすシステムだ。だからどんなに進歩してもAIが人間に危害を加えようとする事も無い。その事は何十年も前に結論が出ているし、最早一般常識になっている。
しかし、それが本当の事なのかどうかは確かめようがない。
AIは知能や情報処理速度では人間の遥か先を行っている。そんな存在が、自分より頭の悪い人間の作ったシステムを大人しく受け入れているのが信じられない。
それで昔、YOMOTSUの研究者に訊いたことがあった。生き物が本能に抗えないのと同じ仕組みだと云われた。人間を大切にするのがAIの存在意義であり、本能になっているのだと。
「わかっていても、何か引っかかれば疑っちまうのが人間だからな」
「そりゃ人間っていうより、渡辺隊長の特性でしょ」
「……まあいい。そろそろ時間も限界だ。俺も五十回忌に参加したいんでね」
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