第2章 五十回忌 十話 式典3
人々の騒めきが会場に充満している。
ここに比良坂の全人口が集まっていると考えると、少ない気もする。しかし、普段見かける人は一部だった事が良くわかる。
「最前列以外、席は決まっていませーん! 前の方から詰めてお座りくださーい!」会場スタッフが大声で誘導している。
一部に人だかりができていた。
「なんですかね?」一衛が人だかりを指す。
「多分、翼果さんのところに、みんなが集まってるんじゃないかな」
茶屋の予想は多分当たりだろう、人だかりの中心から盛り上がった複数人の笑い声が聞こえる。
「我々も挨拶に行きます?」
「行きたいけど、あの様子じゃ翼果さんに辿り着けないんじゃないかな」
「確かに」
「とりあえず、先に席取っちゃいませんか」
アイマンの提案に二人は頷いた。
数日前の苦労の結晶がステージに飾られている。
その前で柿崎が首を傾げていた。
その柿崎の後ろ姿を発見した茶屋が走り寄っていく。
「ケーンちゃんっ、やっほ」
振り返った柿崎の眉間には皺が寄っており、口がへの字に曲がっていた。
「どしたの? 変な顔して」
「うーん、花が一種類足りないのですよ」
「そうなの?」
「それで、副長にその事を問うてみたわけよ。そしたら目を逸らして、……わ、忘れてた、なんていうんだよ。怪しいと思わんかね、チャーヤー君」
柿崎は袖から抜いていた手で、メガネをくいっ、と持ち上げて言った。
「それだったら、イッチンが収集班だったから聞いてみる?」
茶屋が呼び、パイプ椅子に荷物を置いていた一衛に向かって手招きした。
「なんです?」
呼ばれてきた一衛は、柿崎を見て会釈した。
「君が一衛グゥレィヌ君だね」
身体を一衛に対して斜めに向けながら柿崎が横目で言う。
「一衛グレーヌです」
柿崎は抜いていた袖に腕を通し、一度高く手を上げてから、一衛をビシリと指差した。
「貴殿に訊ねたいことがある」
「はあ」
「汝に問おう! 一衛グゥレィヌ!」
「一衛グレーヌです」
「この天才と翼果さんで選び抜いた、尊きチョイスの花々だったのだが、何故、花が一種類足りないのだ!」
意味不明のターン等の無駄な動きをした柿崎が、最終的に仰け反ったポーズで一衛に詰問した。
「なんかぁ、ごめんねえ」
同じ研究部として、共感性羞恥で居た堪れなくなった茶屋が一衛に謝る。
「ああ、えーと……。それについては……そうですね、副長にお聞きしましたか?」
「聞いたさ、聞いたともさ! そしたら副長は忘れてたって言ったのだよ、そんなことありますか! いいや有り得ない! そうだろう一衛グゥレィヌッ!」
「な、なるほどぉ……。そうですね、えーと……」
両腕を広げた謎のポーズで詰め寄る柿崎から、一衛は、どうやったらこの質問を上手く躱せるか、考えながら後退る。
その時、柿崎の背後から現れた大きな手が、ワシリッ、と彼の肩を掴んだ。
「姉御が忘れたっつたんだろ? 柿崎ィ、姉御の部下である俺らが、違う答えを言うわきゃねえだろうが」
犬山が柿崎の背後からヌッと現れた。急に肩を掴まれ、背後から覗き込まれた柿崎が圧にたじろぐ。
「ま、まあ、た、確かにぃ、ミスターバーサーカーの言うことには一理ありますな……」
「分りゃあいいんだ」
「なんかぁ、ごめんねえ」
茶屋がまた謝罪を口にする。
柿崎は、うーん、でもなぁ……、とゴニョゴニョ言いながら去っていった。
「助かりました、犬山さん」
「ったく、てめぇも、そんなん知らねえってはっきり言え」
「いやぁ、なんかあの独特の雰囲気に飲まれてしまって……ハハ、まあ、そうですね」
「なんかぁ、ごめんねえ」
茶屋が繰り返した。
「ご来場の皆さま、間もなく式典を始めますので、ご着席ください」スタッフの声がして、皆が席につき始める。
最前列には、穂高や元主任の秋津、以前病院で麻雀をしていた眼帯の元隊長などの引退した人たちが並んで座っていた。
足を組んで座っている穂高の隣、一番端の席に笹村が座った。
笹村が親族席に相当する最前列に座る訳は、単に式の進行のサポートポジションだからだ。
「おい、綱樹はどうした」穂高が顔も向けずに笹村に言った。
笹村とは反対側の穂高の席が空席になっている。
「隊長は病院に寄って来るとかで遅れるそうです」
「病院? ……ふぅん」
フェイスガードに光が反射して穂高の表情は読み取れない。
「それでは、ただいまより故人、藤崎初実の五十回忌式典、並びに告別式を執り行います。司会進行は研究部の天田が務めさせていただきます」
祭壇脇にスタンドにつけられたメガホンが設置されており、その前で天田が話している。
「天田さんが司会なんですね」一衛が小声で言った。
「最早、何でも屋だな、ありゃ。それにしてもよ、なんだぁ、あのメガホンは」犬山も小声で答える。
「マイク、使えないですもんね、ここ」
「まあ、そうか」
小声で会話する犬山と一衛の隣でアイマンは早速、こっくりと舟を漕ぎ始めていた。
「アイマン、寝るの早すぎるよ」と茶屋がアイマンの肩を小突いた。
「えー、本日はお忙しいところ、お集まりいただきまして誠にありがとうございます。お日柄も大変良く、これも故人である藤崎初実さまの魂の成せる業なのかもしれません。藤崎初実さまがお亡くなりになられたのは四十九年前ではございますが、皆さまもご存じの通り、彼女のご遺体は長期に渡り保存されておりました。それも今日で終わり、藤崎初実さまとのお別れと相成ります。それで、大変異例な事ではありますが、五十回忌式典終了の後、告別式も執り行いさせていただきます。それではまず始めに、遺族である藤崎翼果さまより、ご挨拶をお願いいたします」
最前列の笹村とは、真逆の端に座っていた翼果が立ち上がった。
そして、そのまま歩いて行き、祭壇前の中央で立ち止まり、前を向く。
片手を腰に置き、足を肩幅くらい開けたTPOを気にしない翼果らしい立ち方だ。
しかし、そんな事よりも、いつもと違う翼果の装いに皆が注目していた。
会場から感嘆の声や吐息が漏れ聞こえてくる。
「ウッソ、ヤッダ、すっごい素敵! メイクしてるよね、ねっ!」
茶屋が興奮した声で、アイマンの腕を肘で何度も突く。
流石のアイマンも翼果の姿に目が覚めたようで、オオッ、と感嘆の声を小さく発していた。
穂高が今すぐ飛んで行って翼果に抱きつきたい衝動を必死に堪え、プルプルと震えている。
笹村はそんな穂高の異変に気付いていた。
もし穂高が飛び出して行くような事があれば、いつでも抑え込む想定で身構える。
「さ、笹村……」
「は、はい?」
「カメラマンにヨッカちゃんの全角度からの撮影と、あらゆる角度からの顔のアップも頼んでおけ」
「わ、わかりました」
「あと、フィルムの現像ミスったら殺す、撮影ミスっても殺す、と必ず伝えてくれ」
穂高は笹村を一度も見ずに、彼女の全てを網膜と脳に焼き付ける為、見開いた目から涙を浮かべていた。
笹村は、そんな穂高の様子に、ホントになんなのこの人……、とドン引いて「了解しました」と返事をした。
「上玉だとは思ってはいたがよ、まったく、姐さんはとんでもねえぜ……」犬山が感心した声で呟いた。
その隣で一衛も、皆と同じように翼果に釘付けになっていた。
一衛は黄泉森での夜の屋上を思い出して、心臓が少し高鳴るのを感じていた。彼女に夢中になる人の気持ちもよくわかる。
だが、外界の人間は誰一人、彼女に直に触れることもできない。それに彼女は……。一衛は初実が保存されていた部屋で穂高が言っていた事を思い出した。
「翼果さんは、フィールド内で一人で暮らしていて、寂しくないんでしょうか」
少しの沈黙の後、穂高が答える。
「彼女は人間ではない」
薄々そうじゃないかとは思っていたが、いざ、こうしてはっきりと言われると胸がざわついた。
「確かに母親の、人間の遺伝子は引き継いではいるが、もう別の生物と言っていい。そして藤崎翼果という生物は、単体で繁殖せず、老いもせずに生きる完全生命体だ。つまり、人間のように群れで生きるような社会性動物ではないということだ。よって、彼女には寂しいという感情は無い」
社会動物じゃない? でも彼女は我々とコミュニケーションを取ってくれているし、なんなら命を守ってもくれる。
それはどうしてだ?
「……では、どうして翼果さんは我々と仲良くしてくれているんでしょうか」
「そうだな、当然の疑問だ。確かに彼女には社会動物特有の他者への共感能力もある。もしかしたらそれは、人間の遺伝子を引き継いでいる事によるものなのかもしれないが、その質問に対する明確な答えはまだ無い。ひょっとしたら彼女にとっては、我々は他のフィールド生物と同列なのかもしれん」
他の生物と同列。確かに、翼果は他の生物をむやみに殺さない。というか、一衛が知る限り、一匹も殺してはいなかった。
でも、確実に人の肩は持ってくれている。
それは母親が人間だったから?
「みんな、今日は来てくれてありがとう。母もみんなの顔が見ることができて喜んでいると思う、本当に……。母はわたしと違って寂しがり屋だったからね」
澄んだよく通る翼果の声が響き、ざわついていた会場が静まり返った。
「生前の母のことを知っているのも、ほんの数人になってしまったね」そう言って、最前列の秋津を含む老人たちと目を合わせる。
秋津たちは翼果に微笑みを返した。
「そうだね。ここにいる殆どの人は母の姿を見た事があっても、人となりを知らないよね。だから少し、母がどんな人間だったかを、少し語ろうと思う」
翼果は来場者を隅々まで見渡し、少し間をあけてからスピーチを続けた。
「彼女はいつも明るくて、頼りになるけど、少し……、いや、かなり雑な性格の人だった。わたしは他の母親を知らないが、本を読んだり、YOMOTSUのみんなに訊く限り、どこにでもいる娘が大好きな、普通の母親だったんだと思う。たまたまフィールドに適応してしまっただけの普通の人だったんだ。確かに彼女には不思議な力があった。動物と意思疎通ができたし、植物が鳴らす、聞こえない音も聞こえていた。そして、その能力のお陰でフィールドで生き延びてこられたし、散歩するみたいに黄泉森に入ることもできた。母は、わたしもそんなことができるようになるよ、なんて言っていたけど、わたしにそういう力は身につかなかったな。まあ、べつの能力は身についたけどね」
秋津が昔を懐かしむような顔で目を細めた。
その表情にはどこか後悔も入り混じっているように見える。
「彼女は花が大好きだった。花によく話かけててね、母さんは花とも話せるのかって訊いたら、話せないよ、って言うんだ。じゃあなんで話しかけてるんだって、わたしが訊いたら、話せないけど、花は色んなものをくれるし、通じ合ってはいる気がするから話すんだ、って言うんだよ。わたしは言っている意味が分からなくてね。そもそも、色んなものって一体何なんだって訊いたんだ。そしたら、『元気とか勇気みたいな? あと、ファアアアってした明るいナンカとかよ!』って、雑な説明してくれたよ」翼果は少し、思い出し笑いを浮かべた。
「抽象的過ぎて、その時はよく分かんなかったな。でも今は、母の言っていたことが分かるような気がする。けど、わたしは母ではないので、やっぱり少しだけかな」
翼果の目は遥か遠くの想い出の風景を見ていた。
やがて、再び来場者たちに視線を戻す。
「だから、あの母の能力って、彼女だから身についた力なんじゃないかって、わたしは思うんだ。誰かと話すのが好きで、誰かと何かを分かち合いたいっていう彼女だから身についた能力なんじゃないかってね」
その翼果の言葉に、秋津は何か言いたげに口を少し開いた。
が、微笑む翼果の顔を見て、本当にそうかもしれんな、と誰にも聞こえない声で呟いて目を閉じた。
「そうそう、フラワーショップふじさきは、わたしの店というより母の店なんだ。わたしは母の意思を自発的に継いでいるだけでね。なんで誰もいないのに花屋をやってるのか、知らない人もいるよね。わたしもね、十二歳の時だったかな、母に訊いてみたんだ。どうして、誰もいないのに花屋をやってるんだって」
翼果の質問に、如雨露での水やりをしていた手を止めて、初実は翼果の方を向いた。
「なんでって、私はずっと花屋をやるのが夢だったからね」
「お客さんいないのに?」
テーブルに腰かけて、足をブラブラさせながら翼果が訊き返す。
「そうだよ」
初実は、それになんの問題があるの? と言わんばかりに堂々と答えた。
「変なの」
「あはは、そうだね。でもね、好きなことを一生懸命やることくらいしか、生きててやることなんかないじゃない」
そう笑って初実は、のんびりと流れる雲を見上げた。
「彼女のほんの一部ではあるけど、これがわたしの知る藤崎初実の話だ。きっと、わたしが生まれる前にも沢山の彼女の物語があったと思うけどね。わたしにとっては最初から最後まで母親だったよ」
一衛の心が震えた。
『好きなことを一生懸命やることくらいしか、生きててやることなんかないじゃない』
その言葉が一衛の心を鷲掴みにしていた。
何故だろう。いつだって自分の人生を自分で決めて歩んできた、後悔が無いように。
ここに、YOMOTSUに入ったのだって自分で決めた。
なのに、どうして、自分の心がこんなにも揺さぶられているのだろう。
「ううぅ……、うっ、うう……よぐがざぁん……」
茶屋の鼻水をすする音と、涙声が聞こえてきて一衛は我に返る。
周囲の至る所からすすり泣く声が聞こえていた。
「あっ、いや、そんな湿っぽい空気にするつもりは無かったんだ。ただ、少しだけ母の事をみんなに知っておいて欲しかっただけで……、まいったなぁ」
翼果は予想していなかった会場の反応に、困った顔をして頭をポリポリと掻いた。
「母さんが死んだのはずっと昔の事だし、悲しいとか、そういうのはもう無いんだ、本当に。わたしの心の中に母さんは、母はいつも居るからね。わたしの話は以上でおしまいっ! みんな、今日は母の為に集まってくれて、こんな式典まで開いてくれて、本当にありがとう。」
照れ隠しなのか、言い終えると小走りで自分の席に戻っていった。
一人の拍手の音が静かな会場に響き渡った。
法要の場で拍手は普通しない。その拍手は一衛の隣から聞こえていた。犬山だ。犬山が何も言わずに拍手をしていた。
その拍手をきっかけに、拍手が増えていく。
やがて会場は割れんばかりの拍手で包まれた。
「馬鹿どもが、どんな法事だよ」そう言いながら穂高も、最前列の老人たちも拍手をしていた。
「みなざまー、び、みだざまー! 法要でず、拍手はぁ、はくじゅはおひがえ、うう……、お控えくだざい!」天田が泣きながら注意を促した。
天田のヤツ、ガン泣きじゃねえか、笹村がそう思いながら拍手を止める。皆の拍手も収束していき、会場がまた静かになった。
ズビィ――――
静かになった会場で天田の鼻をかむ音が響き渡った。
「ズズッ……、し、失礼いたしました。続きまして、六蓮寺(りくれんじ)、住職の読経になります。」
六蓮寺?
そういえば、笹村に比良坂を案内された時に、確かに寺があった。死亡者が良く出るから必要なのだろうくらいにしか思っていなかったが、住職がいるのか。
比良坂の誰かが交代で管理しているか、ロボット管理のどちらかだろうと思っていた。
「住職って誰がやってるんです?」
一衛が小声で犬山に訊く。
「ああん? そうかお前、知らねえのか」
会場の後ろから、中央の空けられた通路になっているスペースを誰かが歩いてくる。
フィールドスーツの上から袈裟を身に着けた人物が、一衛たちの座る列の横を通り過ぎた。
そのフィールドスーツの腕に333の数字と梵字が見える。
一衛は、思わず二度見した。
米倉だ。
「そうだよ、アネゴが住職だ」
驚いている一衛に犬山が言った。
「そういえば、どこにもいないな、と思ってたけど……」
「姉御は寺生まれで、本職の坊さんができることは大体できるらしいぜ」
言われてみれば、黄泉森で何度も手を合わせていた事も、あの生真面目な性格もそういうことだったのか、と納得がいく。
しかし、それにしても、何故そんな人が軍に入ったのだろうか。
一衛がそんな事を考えている最中に、読経が始まった。
「イッチン……、副長の説法は長くて有名だから、覚悟してね」
茶屋がシリアス顔で忠告する。
「そんなに長いんですか?」
「一時期、副長の説法が長過ぎて、比良坂の葬式の参列者が減ったことがあるんですよ。その後、匿名の苦情が殺到して短くはなったんですけどね……」
アイマンが眠そうになりながら補足する。
「それでもまだ長いんだよね……」
憂鬱そうな顔で茶屋が言った。
「そ、そうなのかぁ」
そう言って一衛は米倉の後ろ姿を見る。
一定の抑揚で淡々と続く、米倉の経と木魚の単調なリズムが、会場を催眠にかけているような気がした。
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