第2章 五十回忌 九話 式典2

 草花が侵食し崩壊が進む舗装道路を、フィールドスーツの群れが行列をなして歩いている。

 フィールドXの中に、これだけの人数が入っているのは異例な事だ。

 等間隔でガードが配置され、その行列を見守っていた。

 その列に連なる一人になっていた一衛は、この光景を見ながら子供の頃の遠足を思い出した。

「まるでクロオオアリがフェロモンの道で、行列つくってるみたいだね」

 茶屋が生物研究に携わる研究員らしい視点で言う。

「蟻ってあんまりイメージ良くないですよ。ヌーの群れとかの方が良くないですか」

 アイマンが欠伸をしながらそう返す。

「えーっ! ヌーの群れはもっと数が多くてダイナミックなんだから、こんな少ない行列じゃないよ!」

 茶屋が言い返す。

「でも、蟻ほど統率とれてもないですよ、ほら」

 そう言ったアイマンの視線の先で、道端で植物観察しようとして、ガードに先に進むのを促されている研究員の姿があった。

「ムムッ、じゃあこの列は何なの?」

 良い反論が思いつかず、茶屋はアイマンに模範解答を要求した。

「え、うーん……なんでしょうね」

 特に答えの無いアイマンが腕組みして考え込む。

「子供の遠足とかどうですか」

 なんてどうでもいい言い合いなんだ、と呆れながら一衛は解答を提案した。

「おおー、流石イッチン、なんかしっくりきた!」

「なんか、やっぱりイメージが……しかし、蟻よりマシでしょうか」

 アイマンがゴニョゴニョ言っている。

「それはともかく、予想通りセンター、激混みでしたね」

 そう一衛の言う通り、この人数がフィールドスーツに着替えるので、朝のセンターはごった返していた。

「ねー! 早めに出て正解だったね」

「まあでも、高齢者たちがスーツの着方忘れてて、着替えを手伝う為に早く出たみたいになっちゃいましたけどね」

 アイマンが思い出して遠い目をした。

「それにしても、YOMOTSUってこの数のフィールドスーツを用意できるんですね」

 そう言って一衛は自分たちの前後に連なる人々を見渡した。

「一週間前くらいに、開発部から大量に送られてきたみたいですよ」

 アイマンが眠そうな声で答える。

「開発部ってのがあるんですか」

「そうそう、フィールドスーツの開発とメンテとか、実験機器なんかの開発してるとこー。どこにあるかも知らないけどね、ふあぁあ」

 茶屋が欠伸をする。

「……比良坂の中にないんですか?」

 いつもの茶屋の軽い物言いにスルーしかけたが、気になって訊き返した。

「フィールドX周辺のどこかにあるらしいですけどね。開発部は極秘物ばかりを抱えたYOMOTSUの心臓部ですからね、その場所は完全非公開なんですよ」

 アイマンが説明してくれた。

「なるほど。それはそうなんでしょうが、YOMOTSUって極秘ばっかりですね」

「でもチャーヤたち、っていうか比良坂の住人はそれで困ることないからぁ、どっちでもいいのよねー」

「確かに。というか我々の存在が既に極秘ですからね」

「そうだね! グフフ、トップシークレットチャーヤかぁ。悪くないかもしんない」

 何が悪くない、なのか理解できないが、妙に企んだような顔でニヤついている。


 それにしても天気が良い。一目で空気が澄んでいるのが分かるような陽気だ。許されるならフィールドスーツを脱いで深呼吸したいくらいだ。

 その青い空の中を、キラリと光る小さな物体が飛来してくる。

 そして、その物体が一衛の目の前に着地した。

 金属光沢のピンク色をしたバッタだった。すごい色だ。

 コガネムシやタマムシみたいにギラギラしたバッタなんて初めて見る。

 突然、一陣の風が吹いた気がした。

 それは音もなく後ろから現れ、何一つ無駄がない動きで、気が付くと一衛の前にしゃがみ込んでいた。

 突然現れたその人物は、フィールドスーツを着ており、スーツのタイプから研究者なのがわかる。

 一衛には気配すら感じられなかった。

 まるで風と共に突然目の前に現れたようだ。

 生ける伝説――――。

 そんな言葉が頭をよぎる。

 な、何者なんだ……!

 一衛の額から一筋の汗が流れた。

 その達人の手にはカップケースが握られており、そのカップが逆さまにアスファルトの上に被せられていた。カップの中で、メタリックなバッタが頭を何度もぶつけながら飛び跳ねている。

「おや? 一衛の兄ちゃんかい?」

 達人から聞き覚えのある声が聞こえた。

「マスター?」

 町中華BARアキツハウスアメリカンのマスターだった。

 よく考えれば、マスターも当然YOMOTSUの人間なのだから、ただのBARのマスターでは無く、研究者かガードな訳だ。スーツを見る限り、引退した研究者だったらしい。

「すまないね、驚かせちゃったかな? どうしてもこいつを捕まえたくてね」

 マスターはそう言いながら、手慣れた様子で、カップに入ったバッタを逃がさないように蓋をした。

「秋津主任!」

 茶屋が真後ろで声を上げた。

「茶屋君と吉田君か。元、主任だよ」

「お久しぶりです。秋津さん」

 アイマンが会釈する。

「マスター、そんな偉い方だったとは」

「偉かないよ、ただの引退したジジイさ」

 捕まえたバッタを下から見ながら秋津は答えた。

「ブロンズハネナガバッタ(※24)ですか? あっ、この色、色素異常個体ですね。珍しい」アイマンが後ろからカップを覗き込んで言った。

「わかるかね、吉田君、このピンクの構造色が美しいだろ」

「見たい見たい見ーたーいー! チャーヤにも見せてください! 元秋津主任!」

 茶屋が子供のようにバウンドしながらやってくる。

 そして『元』をつける場所が間違っている。それでは今は秋津さんじゃないみたいじゃないか、

 そう一衛は思ったが、もはやバッタに夢中で誰も気にしている様子は無かった。

 それにしても元主任ということは、穂高さんの前任者なのか。

「ムッ……!」

 唐突にギラリと秋津の目が光り、残像を伴いながら前方へ走り去っていく。

 数十メートル先でトカゲに向かって飛びついている秋津の姿が見える。

 近くのガードが駆けつけて何やら秋津に注意をし、秋津がペコペコ頭を下げていた。

「マスターっておいくつなんですか?」一衛が訊く。

「えーと、秋津さんは、確か八十後半だったかと……」アイマンが答えた。

「ワオ、元気だなぁ」




 笹村が目を凝らすと、道の向こうに豆粒サイズの人が現れ始めた。

 ようやく人の群れの先頭が見えてきたようだ。

 パイプ椅子の脇に立てかけてあった、式典会場への方向を示した手持ち看板を、天田が手に取る。

 やがて次々とやってくる人々に、おはよーございます、と心のこもらない挨拶を二人で連呼する。稀に挨拶を返す人もいるが、大半は会話に夢中だったり、無言の会釈で通り過ぎて行った。

「あれー? 天田っちとササヤンだー」

 聞き慣れた茶屋の声が耳に飛び込んできた。

「おはようございます。天田さん、笹村さん」

「お疲れ様です、笹村さん。それと天田さん、一衛グレーヌです」

 天田が顔を上げると茶屋とアイマン、そして一衛が横並びで目の前にいた。

「存じてますよ、一衛さん。天田です、今後ともよろしくお願いします」

「いえ、こちらこそよろしくです」

 一衛は天田を何度か比良坂で見かけていたし、この間の定期ミーティングで穂高に呼ばれていたこともあって、名前と顔を知ってはいた。

 一方の天田は、異例尽くしの新人としての一衛の噂も聞いてはいたし、顔も確認していた。お互い面識はあったが、直接話すのは初めてだった。

「ういっす、珍しくアイマンが起きてんじゃん」

「笹山さん、僕だっていつも寝てるわけじゃないですよ」

 そのアイマンの発言に、その場の全員が驚愕の表情を浮かべた。

「アイマン、お前まさか、眠っているという自覚が無いんじゃ……」

「病院行こ、アイマン、病院行った方がいいよ」

「アイマンさん……。マジですか」

 三人が口々にアイマンを心配した。

「う、うるさいですよ! 皆さん!」

 そんなやりとりを見つつ天田が口を開く。

「皆さん、仲が良いですね。一衛さんもあっという間に馴染んでいるというか」

 四人は顔を見合わせる。

「うん、まあ、共に死線を潜り抜けると、なあ」

 笹村の言葉に、他三人が頷く。

「しかし、そうですね。皆さんが気さくに受け入れてくださったので、自分は馴染めています」一衛が真面目に答えた。

「それも翼果さんあってのことですけどね。彼女があの死地で、暖かい雰囲気を作ってくださってるというか」

 アイマンがそう言うと、天田が食い気味に反応した。

「やはりそうですか! 翼果さんは本当に素晴らしい方ですよね! なんて言えばいいんですかね、彼女の持つ包容力というのか、なんというか一言でいうと、そう! 暖かい! そしてあの透き通るような瞳! あの美しい瞳に秘められた優しさが愛おしい! いや、言い過ぎました、自然と惹きつけられるといいますか、まさに彼女こそフィールドXに降り立った天使なのでは! なんかもう! 彼女の尊さに抱かれたい! いっそそのまま眠りた……はっ!」

 とんでもなく早口で、一息に捲し立てる様に喋る天田に、全員がポカンとした顔になっていた。


「何があったんです?」アイマンが小声で笹村に訊く。

「ああ、五年振りなのに翼果さんが、自分の事を覚えてたことが死ぬほど嬉しかったらしい」笹村が小声で返す。

「あー、そう……なんですね」微妙な顔でアイマンは納得した。

「え、なんか天田っち、キモい」茶屋が真顔でボソッと言う。

 そんな皆の様子に、天田は急に込み上げる羞恥心で目を逸らし「もう、は、はやく会場に行ってくだしあい!」と噛みながら会場方面を指差した。

「はーい、あとでねー」

 茶屋が返事をして三人は会場に向かって歩き始める。

「あ、そうだった。隊長から伝言で、病院に行って遅れるから、自分が来なくても式典は予定通り始めてください、とのことです」アイマンが振り返り、言った。

「了解」笹村が手を上げながら返事をする。

「病院って、折れた腕のリハビリ関係ですかね」

「そうじゃね?」

 天田の質問に、笹村が特に気にする様子も無く答えた。

 



 渡辺は、もぬけの殻になった比良坂の中で一人、車を走らせていた。

 オートドライブを解除して、たまには自分で運転するのも悪くない。

 特に人っ子一人いない所での運転は最高だ。物陰から飛び出してくる老人の心配をする必要もない。しかし、スピード制限のリミッターがあるこの車では飛ばすことなどできはしないが。

 それにしても、比良坂に誰もいないという状況は、創設以来、一度も無かったのじゃないだろうか。正確には入院病棟に患者が数人いるので、完全に誰もいないわけではないが、少なくとも渡辺がYOMOTSUに入ってからは初めてのことだった。


 誰もいない街の中を、監視警備ドローンが飛んでいるのは少しシュールだな、と渡辺は思った。

 居住区域を抜け、しばらく車を走らせると金網のゲートが見えてくる。

 金網には、何枚も立ち入り禁止と記された看板が取り付けられていた。

 ここに来る度、こんなに立ち入り禁止看板が必要だろうか、と思う。

 金網ゲートに常駐しているドローンが運転席の真横まで飛んでくる。

 渡辺が窓を開け、ドローンのカメラに顔を向けると、ゲートが自動で開いた。


 金網の向こう側には見渡す限りの何も無い大地が広がっている。

 建物も無く、樹の一本も生えておらず、雑草すらきれいに刈り取られている。

 何もかも丸見えで遮蔽物は一切ない。

 そんな何も無い場所であるにも関わらず、居住区域とは比べ物もならない数のドローンが飛んでいた。この区域には渡辺しか入ることを許されていない。

 この先には比良坂と外界を繋ぐ唯一の地下道の入口がある。

 この区域に一本しかない直線道路で車を走らせながら、渡辺は過去に行ったことがある、外国の果てしなく続く廃線区画道路を思い出した。

「のどかなカントリーミュージックをかけてくれ」

 渡辺が車にそう言うと、リクエスト通りの音楽が流れ始めた。

 アコースティックギターとバンジョーの演奏に合わせて女性ボーカルが軽やかに歌っている。

「いいね」

 無数に飛び回るドローンが無粋だが、音楽はこの風景にぴったりだ。


 五キロも走らないくらいの所で、アスファルト道路に停止線が現れた。

 すぐにブレーキを踏んだが、車は停止線を少しだけはみ出た位置で停車する。

 たちまち数十機のドローンが集まり、車を取り囲む。

 渡辺がゆっくりと車を降りて両手を上げた。

 ドローンに取り付けられた銃器がこちらに向けられている。

 渡辺はドローンをぐるりと見渡し、まるで肉に群がる蠅のようだな、と思った。

「すまん、ちょっと停止線越えちまった。でもちょっとだけだから勘弁してくれ」

 取り囲むドローンうちの一機が、渡辺の正面まで音もなく飛んできて、空中でピタリと静止した。無機質なカメラレンズが渡辺に向けられている。

 ほんの2、3秒で渡辺の解析を終える。

 ドローンから、女性アナウンサーのような滑舌の良い柔らかい声が聞こえてきた。

「おはようございます、渡辺綱樹隊長。今日は如何いたしましたか?」

「ちょっと約束があってね、エントランスゲートに向かってる」

 ドローンの声が自然過ぎて、まるで誰かがドローンを操作して声を出しているように錯覚するが、声の主はただの監視警備AIだ。

 ドローンが喋り出すのとほぼ同時に、集まっていた他のドローンは二、三機を残して元の持ち場に戻っていった。

「分かりました。お気をつけていってらっしゃいませ」

「しかし、ここから2キロも歩くのは遠すぎると思うんだが……」

「申し訳ありません。乗り物での移動はここまでになっております」

「分かってるよ、言ってみただけだ」

 渡辺は車からアタッシュケースを取り出してドアを閉める。

 真っ直ぐに果てしなく続くかに見える一本道を見て、渡辺はため息をついた。

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