第2章 五十回忌 四話 四十九年前からの献体

 フィールド内研究所のロビーには、二本の大樹がまるで柱のように植えられていた。他にも大型の植木鉢が点在するように配置され、そこに花々が植えられている。室内だというのに蝶などの飛翔昆虫が舞っていて、高い吹き抜けの上部空間を小鳥たちも飛んでいた。

 壁際には多くのはく製が飾られており、それらはもちろんフィールドXに生息する動物のものだ。そのはく製群の中に、一衛にも見覚えのある動物が散見できる。


 「チャーヤさん、これ、タワシに似てますね」

 「そうだよ、タワシと同じミヤマツノオオカミのはく製。タワシはボスだからひと回り大きくて角の形状も少し違うけどね。これは通常種なの」

 茶屋が嬉しそうに一衛に説明する。入った瞬間から、感嘆の声をあげて口を開けて歩く一衛を見て、茶屋は自慢気な笑みをこぼしていた。

 熊のはく製が、二足で立ち上がっているのが目に留まる。

 いや、サイズとフォルムから熊だと思っていたが、顔が蛾のそれだ。

 腹部も節ばった蛇腹でまるでドラゴンの腹に見える。

 前足も外骨格に毛が生えている構造をしていた。昆虫なのだろうか?

 しかし足は熊そのものだ。

 「これ、虫ですか? 熊みたいですけど」

 「それはカイコグマ(※5)。獣殻種じゅうかくしゅっていってね、フィールド特有の生物種なの。上半身が外骨格で下半身が内骨格生物でしょ。背骨はちゃんと頭まであって頭部外骨格に繋がってるんだよ。他にもいくつか獣殻種じゅうかくしゅのはく製があるよ」

 茶屋の説明に頷きながら、これには出会いたくないなと鋭い爪を見て思った。


 不意に茶屋がロビーの奥に向かって走り出す。

 中央階段脇のドアの前に辿り着くと、こっちこっち、と手を振っている。

 「ここが小型生物標本室!」

 茶屋が興奮気味に矢継ぎ早に説明し、すぐに次の場所に走っていく。

 「こっちが微生物保管室!」

 「ここが生体判別室!」

 「こっちが遺伝子解析実験室!」

 「これが実験用生体保管室!」

 かなり広い研究所のあちこちを茶屋に引っ張りまわされる。

 「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください。チャーヤさん」暴走気味の茶屋を、一旦止める。

 「なあに?」無邪気な顔を一衛に向けた。

 「チャーヤさん、自分とここに来た目的、忘れてませんか?」

 ちょっと間があってから、茶屋は首をかしげる。

 「例の遺体の話を聞きたいって言ったら、研究所で話した方が説明しやすいってチャーヤさんが言ったんですよ」

「ああ」と茶屋は手を打って気が付いたポーズを取った。



 先程までいた研究所とは違う、別棟の長い廊下を茶屋に案内されながら歩く。

「ここってかなりデカい建物ですけど、研究所用に建てたんですか?」

「ううん、元は農業大学だったところを改装して使ってるの」

「なるほど、それは色々都合も良かった感じですかね」

 廊下の途中に検問のような仕切りと人が一人、常駐していた。

「こんにちは。こちらにご記入お願いします」

 そう言って常駐の男が卓上の名刺サイズの紙を指した。

 名前と時間の記入欄があり、ボールペンで記入する。

 茶屋が記入した紙を男に差しだすと、男は切符を切る道具でその紙に穴を開けた。一衛もそれに倣う。

「この奥だよ」


 茶屋に続いて廊下の突き当りを曲がると、そこに物々しい鉄の扉があった。

 防音室にあるような鉄製のレバーを回して重い扉を開けると、厚いビニールの暖簾が入口に垂れ下がっている。

 中は四畳くらいの小さな小部屋になっていて、反対側にもビニールの暖簾と鉄のドアがあった。

「ドア閉めてください。消毒します」

 放送スピーカーから声がしたが、マイクを通した声ではない。

 隣の部屋に誰かいるようだ。

 声に従ってドアを閉めると、隣からガコガコとポンプのような何かが動くような音がし、部屋の上部にあるパイプからミスト状の消毒薬らしきものが振りまかれた。

「もういいですよ」

 それを聞いて茶屋が反対側のドアを開ける。


 窓のないちょっとした多目的ホールくらいの広さの部屋にでた。

 部屋の中は例の電球の実が複数吊り下げられていて明るい。

 部屋の中央に、透明なアクリル板で作られた長方形のケースが置いてあるのが見えた。アクリルケースには数本の太い管がついている。

 ケースの中には女性の裸体が浮遊していた。

 いや、ケースの中が透明な液体で満たされているから、そう見えることにすぐに気が付いた。


 茶屋について行きケースに近寄る。

 ケースの中の女性はまるで眠っているかのようだ。年の頃は四十代くらいだろうか。遺体保存ケースなのだろうが透明な棺桶のようにも見える。

 よく見るとあちこちに縫合痕があるが、遺体の見た目の状態を保つことに気を遣ったのか、目立たない位置に多かった。

 部屋の奥は透明なカーテンで仕切られており、向こう側に手術台のようなものが見える。おそらくそこで解剖などをしていたのだと思う。


「この人がミーティングで話していた五十回忌のご遺体で、藤崎初実ふじさきはつみさん」

「藤崎って……」

「そう、藤崎初実さんは翼果さんのお母さまで、最初のフィールド適合者なの」

 たしかに彼女の顔には翼果の面影があった。髪の色も同じ栗色で目元以外はそっくりだ。見た感じ、普通の人間と何も変わらないように見えるし、それは翼果もそうだ。

「そうか、やっぱり翼果さんってフィールドXの中で生まれたのか」


 ガチャリと消毒室の奥のドアの音がした。消毒が噴霧される音がして入り口のドアが開く。

 研究者用スーツと探索用スーツの二人組が入ってくる。

「ん? 先客か? 誰だ」

 スーツから穂高の声がする。

「チャーヤと、イ…、一衛くんです」

「なんでいる」

 明らかにうろたえた動きで茶屋が答える。

「あ、いやぁ……、一衛くんが初実さんのこと知りたいって言うので案内してましたぁー」

「あーん? お前はやること溜め込んでるだろ。こんなとこで油売ってないで仕事に戻れ」

「はーい……」

 茶屋は叱られた子供のような返事をして背中を丸めた。

「グレーヌには私から説明しておく」

 茶屋はとぼとぼとドアに歩いていき、去り際に穂高たちの後ろで一衛にごめんね、と両手を合わせるポーズをとって去って行った。


 「あー、すまんすまん、俺がちゃんと話しておくべきだった」

 もう一人のスーツから渡辺の声がした。

 「いえ、自分も隊長に訊けば良かったですよね」

 穂高はガラスケースにそっと手を置き、藤崎初実の穏やかな顔を見ながら口を開いた。

 「どこまで聞いた」

 「このご遺体が翼果さんの母親で、最初のフィールド適合者というのは聞きました」

 「そうか。その通りだが……、詳しく話すとYOMOTSUのフィールドX探索の歴史をほぼ話すことになるからな。長くなるぞ、時間はあるか?」

 一衛が渡辺を見る。渡辺は無言で頷いた。

 「大丈夫です」


 おもむろに穂高が話し始める。

 「YOMOTSUがフィールドX内での調査を始めた頃、何もかもが外界とは違うフィールドの探索は緊張の連続だった。それはそうだ、あらゆる検査をしても何も検出されないのにスーツを脱げば死ぬ。例え実際の危機が無くても、得体のしれない恐ろしさで足がすくむ。そんな状態で探索していたのだからな」

 渡辺が部屋の隅にあった椅子を人数分持ってきて座れ、と促した。

 「当時はここより数十キロ北のルートを取っていてな。そこは、もっと森への距離が近かった。二年目にしてようやく森の中に調査隊が入ったが、結果は想像通り散々だった。森に入る前ですら死傷者が頻繁に出るほどの危険地帯だというのに、森に入った途端危険度が跳ね上がったんだからな。あらゆることを想定して森に入った筈だったのに一キロも進めない。危険生物だけじゃなく、自然環境すべてが全力で我々という異物を排除しにくる。森の外と中ではまるで別世界だった。そこで調査隊は入る場所が悪いのかもしれないと判断し、比較的安全な森のエリアを探して探索範囲を広げた。そしてYOMOTSUがフィールド内での調査を始めて四年が経過した頃、比較的安全なエリアを見つけたんだ。それが今の研究所、ここの周辺なわけだが。調査隊はこのエリアで信じられないものを発見する」

「信じられないものって……」

「花屋だ。お前も知っているフラワーショップふじさきだ。廃墟と化した人がいるはずもない街で、営業する店を発見した。全員が自分の正気を疑っただろうね。だが本当に驚いたのはこの後だ。その花屋で人間がスーツもなく普通に暮らしていたんだからな。その時、藤崎初実が四十六歳、娘のヨッカちゃんは十四歳だった。大騒ぎになったのは想像に難くない。外界の全生命体が生存不可能とされているフィールドXで、藤崎初実は十九年間も生きていたことになる。しかも驚くべきことに娘を出産していたんだ」

「それは、大混乱だったでしょうね」

 初実の遺体を見ながら話をしていた穂高が、失笑したような表情を浮かべて一衛を見た。

「混乱は混乱でも歓喜の混乱だったろうな」

「歓喜? 何故です?」

「設立当時のYOMOTSU探索研究部はな、今みたいな競争に敗れた落ちこぼれ研究者と、罪人どもみたいな、行き場をなくした奴らの吹き溜まりじゃなかった。その道の先端研究者たちが本気で未知のフィールドを解き明かそうとしていたし、ガードも自分を犠牲に本気で国を守りたいという軍人連中の集まりだったんだ。そんな糸口が見つかれば歓喜で狂いもする」

「狂ったんですか?」

 一衛の言葉に、発したばかりの自らの発言を一瞬振り返った。

「大袈裟に言っただけだ。ともかく、藤崎親子を徹底的に調べたいと思ったわけだ。生きたまま解体解剖してやるぞとか考えたかもな」

「まさか」

「まあ、でも紙一重でそうはならなかった。何故なら、藤崎初実には黄泉森の知識があったからだ。YOMOTSUの目的は大きく二つだ。一つはフィールド内で人間が生きる術を発見する事、これは我々人類がフィールドに適合することを意味しており、生きた適合者を発見できたことでその可能性があることがわかった。そしてもう一つはフィールドXの解析とその正体を知ることだ。フィールドがなんなのか解れば、破壊も可能かもしれないからな。だがその為にはどうしたって黄泉森に入り、中心部まで行き、あの光の樹を調べる必要がある。しかし現状、森に入っても一キロメートルすら進めない。それで森の事を良く知る藤崎初実を、安易に死なす訳にはいかなったわけだ。それにな、藤崎初実は非常にYOMOTSUに協力的だった。YOMOTSUが提示した身体検査、及び人体実験まがいな事まで快く受けてくれた。ここまで彼女がYOMOTSUに対して協力的だったのは、彼女自身、死ぬ前に一度でいいから外界に戻りたかったからだ、と記録に残されている。それが叶うことはなかったが」

「切ない話ですね」そう言った一衛は初実の遺体を見る。

 そんな一衛を穂高は値踏みでもするような目で見ていた。

 なんだか居心地が悪い。

「そんな彼女も、娘の父親が誰だったのかを話すことはなかった。ヨッカちゃんも父親を見たことは一度も無いと言っている。果たして本当に、父親なんてものがいたかどうかも分からないがな。そのくらいヨッカちゃんは……。まあいい、話を藤崎初実に戻す。それからわずか三年後に彼女は息を引き取った」

「えっ? 何故ですか」

「死因は他機能不全。亡くなる一年前から急激に身体機能が衰え始め、四十九歳の若さで老衰で亡くなった」

「老衰で? その年で?」

「そうだ。明らかにおかしいだろ? 当然YOMOTSUはパニックになった。誰かの人体実験が原因だったんじゃないかとか、責任の擦り付け合いとかもあったと思う。しかし亡くなるという事実はどうしようもない。彼女が死にゆくのを止められないと判断した当時の担当者は、生前の彼女と契約を交わしていてな、その契約の内容が彼女の五十回忌まで、つまり四十九年間、遺体を献体としてYOMOTSUに提供するというものだった。四十九年間という期間は藤崎初実自身が決めたというが、死人に口なしだな。本当のところは分からん」

 それで五十回忌なのか、しかし献体としては長すぎる期間だ。

 娘の翼果は、遺体とはいえ母と長い間引き離されることを納得していたのだろうか。その疑問を穂高にストレートにぶつけるのは躊躇われた。

 穂高の翼果への想いは崇拝に近く感じる。

 余計なことは言わずに一衛はただ黙って頷いた。

「彼女に関する話はそんなところだ。細かい疑問はあるかもしれんが、これ以上お前に答えられることはない」そう言った穂高は、再び何か勘ぐるような視線を一衛に向けた。

 なんだろう? 嫌われてる?

 特に穂高に嫌われるようなことをした覚えはないが。

 とまどった表情を浮かべている一衛に渡辺が口を開いた。

「まあ、そういうことだ。ガードの通常任務のことはスマホに説明連絡されてるよな」

「え、は、はい」

「なんか、分からんことがあれば副長か、俺に聞いてくれ」

「了解です……」

「どうした? なんか質問でもあるのか?」

 その場で考え込むような顔をしている一衛に、渡辺が声をかけた。

「えっと、ひとつ、気になってる事があるんですが……」

「なんだ、言ってみろ」面倒臭そうに穂高が言った。

「翼果さんは、フィールド内で一人で暮らしていて、寂しくないんでしょうか」

 予想外の質問に、穂高はすぐに言葉が出ず、その場に短い沈黙が流れた。

「まあ、これは周知の事実でもあるし、隠す理由もないので言うが」そう穂高が翼果の事を話し始めた。



 その答えを聞いた一衛はその部屋を後にした。

「直美さん……」渡辺が穂高に諭すような目線を投げた。

「なんだ」

「なんだじゃないですよ、無駄に勘ぐるような行動は慎んでくださいって言ったでしょ」

「何も言ってないだろ」

「あからさまに不審な目を向けてましたよ」

「そうか、気を付けよう」

 そう、心にもなさそうな返事をした穂高は、ケースの中に浮かぶ藤崎初実に目を向け、普通の人間……か、と呟いた。

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