第2章 五十回忌 三話 花屋で打合せ

 フラワーショップふじさきの前に置かれたタライの中で、饅頭状の果実が水に浮いていた。

 饅頭からは赤い染料のようなものが水に溶けだしている。

 元々赤かった饅頭の上部はほぼ色が抜けており、透明になった皮の中の白い果肉が見えていた。

 この饅頭は前回のフィールドワーク中に翼果が採収したものだ。もう一、二個欲しかったがオカアルキが現れた事でひとつしか手に入れられなかった。


 パシャリと水音を立てて、翼果が饅頭果実を手に取る。

 ナイフを片手に皿が置かれた丸テーブルの前に座った。果実を縦に置き、ヘタの部分を真っすぐに切り落とす。

 空いた穴からスプーンで果肉をかき出し始めると、店の中からバタタタ、と足音を立ててモフロフが走ってくる。

 翼果の足からよじ登って膝の上に座るとテーブルの上に顔を出した。

 かき出されて皿に盛られていく果肉に、モフロフは視線を釘付けにしてゴフーゴブフフ、と興奮した声を発している。


 果肉が全て盛られた皿を翼果が持つと、モフロフは磁石に引き寄せられる鉄ように、顔から皿についていく。地べたに皿を置くと、すぐにモフロフは果肉を掴んで食べ始めた。


 果実の皮にまだ少し残っていた果肉を、先程の桶で洗い落とす。

 軽く振って水を切ると空に掲げて見た。赤から透明にグラデーションになったガラス工芸品の風鈴ようで、とても綺麗だ。

 スプーンでその風鈴を軽く叩くと、キ―――――ン、と心地よい金属音が辺りに響き渡った。

 夢中で果肉を貪っていたモフロフが、音に驚いて周囲をキョロキョロと見回した。

「うん、いい音だ」満足そうに翼果は笑みを浮かべた。



 青い葉を茂らせた樹の上で、樹上性の青い突起のある黄色いトカゲ(※4)が枝に長い尾を巻き付けて眠っていた。遠くから聞こえてくる人の話し声にトカゲが顔を上げる。

「比良坂には茶畑が無いんですよ! これは本当に看過できない由々しき問題だと思いませんか? そこでこの天才柿崎が着目したのが椿ですよ。同じツバキ科であるならばそこから品種改良を重ねてお茶に近づけていけるのではないか! そこから始まった苦悩の日々なんですが……って、聞いてますか? 副長!」

 柿崎が熱く語るお茶談義をうるさいなぁ、と聞き流しながら米倉は黙々と歩いていた。


 今日もフィールドXは天気がいい。フィールドの気候はエリアによって変化することもあるが、黄泉森の外側は二十度~三十度くらいの温度を行き来しており、月に五日間くらいの雨期がある。それ以外は晴れていることの方が多い。そして四季が無いと言っても過言ではない。森ではエリアによって気候も環境も異なり、エリアによっては四季めいたものもあるが、フィールド全体に四季があるとは言い難い。森の中心にある光の樹がフィールド内の大気エネルギーを一定に保っているとかなんとかと、昔、研究部の誰かが云っていた。


 もうまもなくフラワーショップふじさきに着く。

 店に人の気配がない。どこかに出かけているのだろうか。

 米倉が周囲を見回すと見慣れないものがあるのが目に入った。

 上部に横棒が突き出た少し高い棒が立ててあり、横棒には拳より一回り大きい風鈴のようなものと、その横に紐で括られたスプーンがぶら下がっている。棒には板が貼り付いていて、『呼び鈴』と文字が書かれていた。

「これを鳴らせってことかな」

「叩いてみましょうよ、副長」

 米倉がそうだな、と頷いてスプーンで風鈴状のものを叩く。


 キ―――――ン


「うおっ!」

 想像よりでかい音に、柿崎が驚きの声を上げる。

 屋上から翼果とモフロフがひょっこりと顔を出した。

「今降りるよ」

 翼果はそう言うと、屋上からぴょんと飛び降りて、建物の横のベランダを経由して体操選手のように地面に着地した。翼果に遅れて降りてきたモフロフが翼果の腕にしがみ付いた。

 その様子に柿崎が、素晴らしい、と言って拍手する。

「こんにちは、翼果さん」

「やあ米倉、それと……うーん?」

「柿崎です! お忘れですか! この天才柿崎を!」

「あはは、冗談だよ、健介もよく来たね」

「モフロフも元気そうですね。この間は居ませんでしたけど」

「ああ、こないだはタワシが来ていただろ。あの子が怖くて隠れてたんだ」

 モフロフが柿崎の方をじっと見つめている。

「な、なんだね?」柿崎が後退りながら距離をとると、モフロフが柿崎のフェイスガードに跳びついた。その反動で柿崎が尻もちをつく。

「のわぁ! やめっ、離れろぉ!」柿崎がジタバタと暴れるがモフロフはしがみついたまま離れない。その様子を眺めながら翼果がニコニコしながら見て言った。

「モフロフは健介が大好きだなぁ」

「あの呼び鈴、いい音色ですね」

「そうだろ。この間のフィールドワークで持ってきたんだ。前から狙っていてね」


 嬉しそうに話す翼果を見ていると、なんだか幸せな気分になる。

 不思議な人だ。この人には邪念が無いように見えるからだろうか。

 実際に翼果に邪念が無いかどうかは分からないが、彼女が自分の利益の為に我々に何かを求める行動をとったり、発言するのを見たことは無い。


 米倉が翼果に初めて会った十二年前、翼果の見た目は中学生くらいの子供だった。

 今も十代後半くらいの見た目だが、その子供が周りの大人、いや自分より年上の人たちとも対等に話をしている様が不思議だった。

 事前に説明は受けてはいたが理解が追いつかなかった。最初は生意気な子供ようにも見えていたが、実際に会話してみると自然と大人と話しているように接している自分がいたのだ。

 そしてそれ以上に会話していて心地が良かった。彼女には子供には無い余裕と包み込むような雰囲気があった。母性といえばそうなのだろうが、気軽に接せられる気安さもあった。


「今日は五十回忌の話だろ?」

「ええ、会場も決まりましたし、具体的な会場のセッティングなどの話をしにきました」

 米倉が会場の見取り図を、店前にある丸テーブルの上で広げた。


「それで、ここのスペースに白い花を敷き詰めるんだね」

 翼果が見取り図の一部を指でなぞる。

「そうです。それで数が数なので造花というのも考えたんですが、やはり本物の花が良いかと思いまして」

 翼果は手を口元に当てて、ふぅーん、と考える仕草をする。

「結構な数だなぁ。一種類の花で揃えるのは現実的じゃないね」

「はい、アタシもそう思ったので、色を白で統一できればいいかなと。いかがでしょう」

「うん、それなら集められそうだ」

「それで、柿崎がフィールドに生息する白い花をリスト化したので、翼果さんにいい花をチョイスしてもらって、尚且つ花が咲いている位置を割り出していただこうと思いまして」

 米倉の言葉を受け、柿崎が無意味にクルクルと回りながら二人に近づき、丸められた紙のリストを握った手を前に突き出す。

「これがっ、おいら特製の天才的白い花リストです!」

「健介はいつも面白いな」翼果がリストを受け取って開く。

「翼果さん、あまり甘やかさないでください。増々ウザくなるので」米倉が不快な視線を柿崎に向けながら言う。


「いかがですか。翼果さん」

 柿崎は米倉の発言を受け流した上、右足を少し後ろに引き、貴族のようなポーズを決める。ボウ・アンド・スクレイプというやつだ。

 米倉はウザ過ぎて柿崎を殴りたくなったが、こんなことで怒ってはいけないと自分に言い聞かせた。

「オーケー、任せて」

 翼果はそんな柿崎の態度を気にすることもなく、頼もしい返事をした。

「それではアタリがついたら、式典の五日前くらいに花の採集にいきましょう。その時は犬山、笹村あたりの体力がある連中を連れてくるので」

「ありがとう米倉、こんなに一生懸命考えてくれて。あの人もきっと喜んでると思う」


 ふわっ、と空気が緩やかに動いて、米倉を優しく包み込んだ。

 一瞬、何が起きたのか分からずに戸惑ったが、自分が翼果にハグされている事に気が付いた。

 五十回忌の式典は米倉に一任されている。

 翼果に命を救われ、恩を感じている人間はYOMOTSUに数多くいるが、米倉もその一人だ。穂高ほど熱烈に崇拝しているわけではないが、この式典は翼果への恩返しになる数少ない機会だと米倉は思っていた。

 スーツ越しに伝わる彼女がまとう優しい熱と、果物のような甘くさわやかな香りに包まれて、心がほわっと解ける感覚があった。不思議な多幸感を感じる。

 その光景を口を開けて、モフロフと見とれていた柿崎が、これがてえてえってことか、としみじみと呟いた。

「い、いえ、仕事ですので。それに礼を言わなければいけないのは、いつも我々の方です」

 米倉はなんだか照れくさくなって、顔を赤くしながら翼果から離れた。

 大事な式典だ。

 必ず成功させなければ、と米倉は決意を一層固くした。そして、穂高の気持ちが少し解る気がした。

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