第1章 YOMOSTU 六話 夜明け
徐々に体の痺れが取れてきている。
半ば笹村に引きずられるように歩いていたが、だいぶ自分の力で歩けるようになってきていた。
樹液がくっついた手はスタンバトンを握ったまま、そこにまた他の何かがくっつかないように包帯でグルグル巻きにされている。
徐々に体の痺れが取れてきている。
半ば笹村に引きずられるように歩いていたが、だいぶ自分の力で歩けるようになってきていた。
樹液がくっついた手はスタンバトンを握ったまま、そこにまた他の何かがくっつかないように包帯でグルグル巻きにされている。
疑問が一衛の頭の中で渦巻いていた。
スーツに穴が空き、確かに自分は死にかけた。
フィールドXの謎の毒素が空いた穴からスーツの中に入ったからだ。
本当にそうなのか?
なら何故自分は生きているんだ?
処置は穴を塞いだだけだ。
ひょっとしたらスーツの機能的なもので毒をスーツ外に排出、または無効化したのかもしれない。
でも、そんな簡単に身体から毒が抜けるのか?
その毒はなんの処置もなく抜けるものなのか?
……わからない。
『バカが賢ぶって考えるなよ』
忘れていた過去が脳裏によぎった。
「少し明るくなってきましたね」アイマンが空を見て言う。
見上げると、漆黒に塗りつぶされていた空が、薄い藍色に発光していた。
「あっ! ここってもうタワシの縄張りじゃない?」
茶屋が言う通り見覚えのある森だ。
気が付くと全身の痺れはすっかり無くなっていた。
手を握ったり開いたりして身体の調子を確認する。
何も問題なさそうだ。
「笹村さん、もう歩けそうです」
「おう、無理すんなよ」
「はい、ありがとうございます」
ほんの数分前まで、自分の身体か疑うくらい動かなかったというのに、嘘のように身体の感覚は元通りになっていた。
不思議だ。
小鳥のさえずりが聞こえ始めた。
「夜が明けてきたな」翼果が周囲の様子を見ながら言った。
闇に包まれていた森が奥まで見通せるほど、明るくなっている。
「助かった? 助かった?」茶屋が懇願する。
「まだ黄泉森の中だ。気を抜くな」渡辺が釘をさした。
「はぁー……い?」
気の抜けた返事をしていた茶屋の左足が、突然動かなくなった。
見ると木の根が足首に絡まっている。
「え?」
その木の根の色と質感が変化する。
それと同時に茶屋が見ていた景色が暴力的に流れた。
「茶屋さん!!」
アイマンの声に皆が反応する。
一瞬で茶屋が宙づりにされていた。
逆さ吊りになった茶屋の奥にある曲がりくねった大木が、ゆっくりと動き始める。
大木の樹皮に、黄色い目が開き現れた。
その大樹の色と質感が、モーフィング映像のように変化する。
「わざわざ待ち伏せしてたのか」
翼果は呆れ顔をして、自分の肩を棒でポンポンと軽く叩いた。
大木に張り付いて樹に擬態していたオオオカアルキが姿を現す。
「マジかよ、もうヘロヘロだってーのに」笹村がうんざりした調子で言う。
「一衛はアイマンを連れて下がれ」
渡辺は盾を構えつつ前に出る。
一衛は頷いて、安全そうな場所まで下がりながら、アイマンを自分の後ろに誘導した。
切断された筈の触手が、全てではないが再生している。
翼果は棒を地面に突き刺して手放し、ナイフを抜いて構えた。
オカアルキがゆっくりと地面に降りてくる。
触手を目一杯四方に広げると、頭をぷくーっと膨らませ始めた。
焼かれて膨らむ巨大な餅のようだ。
「あ? なんだなんだ!?」
その意味不明な動きに、笹村が困惑の声をあげる。
笹村だけではなく、全員が当惑していた。
何かを仕掛けてくる前兆だと思うが、それが何なのかわからない。
全員に緊張が走る。
茶屋だけが、その行動の意味に気付いて声を張り上げた。
「土煙に気を付けて!」
オカアルキの頭部が一気にしぼみ、頭部の下から風が吹き出して土煙が上がる。
押し寄せる煙が瞬く間に周囲に広がった。
「クソ! 何にも見えねえ!」
「全員伏せろ!」
視界が煙に覆われる中、翼果の声が響き渡り渡辺と笹村が伏せる。
一衛もアイマンを引き倒しながら地べたに伏せた。
土煙の中をゴォオオオオッ、と重い風切り音を立てて横薙ぎの触手が、皆の頭上を通り過ぎる。
翼果は一人、土煙を抜けて高く上空へ飛び出していた。
弓から弾き出された矢がオカアルキに向かって飛ぶ。
しかし、オカアルキはそれを触手で防ぐ。
翼果はそのまま樹の枝を片手で掴み、それを軸に一回転し、そのままの勢いで茶屋に絡みついた触手を切るために飛んだ。
が、オカアルキは翼果が届かない位置まで茶屋を高くあげる。
同時に別の触手で翼果を打ち落としにくる。
瞬時に届かないと判断した翼果は、咄嗟に近くの枝を掴んで、身体を反転させた。
翼果の急な方向転換に、触手が空を切る。
そのまま、四つん這いの姿勢で地面に着地し、バックステップですぐさまオカアルキから距離をとった。
煙がようやく晴れつつある。
翼果はふうっ、と息を吐いて「なんて面倒くさい奴なんだ」と、うんざりした口調で言った。
伏せていた皆も立ち上がって、各々が構えた。
翼果の立ち位置が変わっている。
この数秒で翼果とオカアルキの間で何かが行われたようだが、一衛、いや他の皆もそれは見えていなかった。
それは一瞬の油断で死んでいても可笑しくはない事を意味している。
各々が、すぐに動けるように構えた。
オカアルキが巨体に似合わない速さで動き始める。
木々の間を滑るように移動し、笹村に向けて触手を叩きつけた。
「のわぁあ!」
それを笹村はヘッドスライディングで跳んで
それとほぼ同時に別の触腕が渡辺に飛んでくる。
それを盾で弾くが、骨折した腕に痛みが走り顔を歪めた。
渡辺が気合で弾いた触腕が、すぐさま戻ってくる。
それを翼果がナイフで切り落とした。
オカアルキは翼果を警戒してすぐに距離をとる。
一衛は、アイマンの安全確保の為にさらに後ろに下がり、樹の後ろに隠れた。
翼果が逆さ吊りの茶屋を見る。
茶屋はオカアルキに振り回された所為で、脳震とうを起こしてぐったりしている。
「クソ……」
こう警戒されては、いくら翼果といえど打つ手が無い。
いっそ危険覚悟で突っ込むか、そんな風に考えていた時、翼果の視界の端で影が動いた。
それを見るや否や、いつでも飛び出せるような姿勢をとっていた翼果が、不意に力を抜いてナイフを腰の
「オーケー、頼むよ」
翼果はそう独り言を呟くと、軽く一度撥ね、着地と同時に走り始めた。
飛んでくる触手を軽やかに
そして棒をくるりと回した後、槍投げのように棒を思い切り投げた。
棒は明後日の方向、オカアルキの斜め上、遥か上空を弧を描いて飛んでいく。
それを見ていた一同は翼果が何をしているのか理解が追いつかず、呆然と眺めていた。
警戒心から飛んでいく棒に気を取られるオカアルキ。
その瞬間、茶屋に絡みついていた触手が飛んできた影によって引き千切られた。
空中に放り出された茶屋を、また別の影が空中でさらっていく。
そして茶屋を銜えたまま影は地面に着地した。
影の正体はタワシだった。
優しく茶屋を地面に降ろすと、タワシは遠吠えを辺りに響き渡らせた。
その遠吠えに答えるようにミヤマツノオオカミの群れが姿を見せ始める。
群れの狼たちはタワシをひと回り小さくした捻じれのない細い角をしていた。
ガウォオン!
タワシが一吠えしたのを合図に、狼の群れが一斉にオカアルキに飛び掛かった。
次々に身体を喰いちぎられ、流石に堪らないとばかりにオカアルキは逃げ去っていく。それを狼の群れが追っていき、気が付くと森に静けさが戻っていた。
「逃げた……のか?」
渡辺が呆然とした顔でそう言うと森に差し込み始める。
その光に渡辺は目を細めた。
森を照らす明るさが完全な夜明けを告げていた。
「おい、しっかりしろ」
笹村が何度も軽く茶屋のフェイスガードを叩いている。
「う……ううん」
茶屋が薄目を開く。その様子に皆がほっとして大きく息を吐いた。
意識が戻った茶屋が辺りを見回す。
「大丈夫か、チャーヤ」
「は、はい翼果さん……。あ、あれ? 生きてる?」
茶屋はぼんやりとした頭で自分の生存を疑っていた。
「そいつに感謝しろよ。タワシがお前を救ってくれたんだ」
渡辺の言葉に茶屋はタワシの姿を探し見る。
タワシは少し離れたところで大欠伸をしていた。
やっと事態を飲み込めた茶屋は、みるみる目に涙を溜めていった。
「わぁあーん! ありがとぉー、タワシィー!」
茶屋がタワシの元に走り飛びつくと子供のように泣きじゃくる。
タワシは抱きついている茶屋を見るでもなく、フンフンと鼻を鳴らしていた。
翼果の家、【フラワーショップふじさき】の前まで戻ってきていた。
「あー、今回のフィールドワークは予期せぬ出来事に見舞われ、不本意ながら中断となってしまったが、あの状況でまさかの全員生存だ。みんな、お疲れさん」
渡辺が締めの挨拶をし、皆を見回す。
笹村と一衛は道路に座りこんでぐったりしており、茶屋は店の前のベンチでまるで溶けたアイスのように横たわっている。アイマンは道路の隅でうつ伏せで眠りこけていた。
「なんだお前ら、だらしがないな」
渡辺は折れていない方の手を腰に当てて呆れた声で言う。
「隊長が体力お化けなだけっすよ」
座ったまま笹村が答える。一衛に至っては声を出す気力ももう無かった。
店内にいた翼果がひょっこりと顔を出す。
「みんな少し休んでくかい?」
「もう動きたくないぃー。お腹空いたぁ……」茶屋が蚊の鳴くような声で答える。
「しょうがないな。この調子じゃ皆、しばらく動けないか」渡辺はやれやれという感じでそう言うと、翼果の店の方に顔を向けた。
「すいません翼果さん、少しここで休ませてください」
「いいよ、いくらでもゆっくりしてきな」そう言って翼果は、手をひらひらさせて店の中に入っていった。
下を向いている一衛は顔をあげる力も無く、そのままの体勢で口を開く。
「もしかして……、毎回こんな感じだったりします?」
「ねえよ、今回はヤバかった。俺的にも過去一でヤバかった」
「俺にとっては過去五番目くらいのヤバさだったな」渡辺が首を鳴らしながら言った。
「あれが、五番目……」
「マジかよ……」
着替えてTシャツに短パンにサンダル姿の翼果が店から出てくる。
「渡辺、腕は大丈夫なのか?」
「ただの骨折ですからね。ただ俺の班は完治までフィールドワークは休みです」
「いやったぁあああ! 長期休暇だぁ!」それを聞いて笹村が両手を上げて喜ぶ。
「通常業務はあるぞ」
「ですよね」
「とはいえ、笹村と一衛は三日休暇を取れ」
「え、いいんすか?」
「まあ、流石に今回は過酷だったからな。それから一衛」
「はい」
「お前は場数を踏む必要があるから、俺の骨折が完治するまでは副長の班のフィールドワークについていけ」
「了解です」
「それから明日でいいから、病院で毒素の影響が残ってないかスキャンしてこい」
「病院は俺が連れてってやるよ。そんで休みの間に比良坂地区を俺が案内してやる」
「ありがとうございます、笹村さん」
「研究班はこの後、研究所かセンターで直美主任に報告か?」渡辺が茶屋に聞く。
「そーですねー」寝っ転がって動かないまま茶屋が棒読みで答える。
「わかった。二十分後に出発しよう」
「このまま動きたくない」やはり動かないまま茶屋が答える。
「後でチャーヤとアイマンをわたしが送り届けようか?」
翼果の提案に渡辺がとんでもない、と被りを振った。
「いや、流石にそれは翼果さんにご迷惑なのでガード班で背負って帰ります」
「「えっ」」一衛と笹村が同時に声をあげた。
「ふっざけんな! おい! 起きろアイマン!」
「チャーヤさん! 頑張って体力回復させてください! 残ってるレーション全部食べちゃいましょう!」
そんな一衛たちの様子を見て、翼果は楽しそうに大口を開けて大笑いしていた。
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