第1章 YOMOSTU 四話 大丘歩き

「おはよう」

 渡辺の前に並んだ皆が揃わない挨拶を返した。

「今日は予定通り、キャンプ地の【園田美術館】を経由して陸サンゴの谷でフィールドワークだ。基本的に翼果さんが案内してくれるルートは安全だが、昨日のジズリのようなイレギュラーもある。各自周囲に注意して、気を引き締めて行くこと。」

「へーい、せんせー」

「先生と呼ぶな」

 笹村と渡辺の緩いやりとりの中、茶屋が手を上げる。

「たいちょー、もし時間に余裕があればでいいんですけど、途中で通るあの黄色い花がぶわぁーって咲いてる湿地帯あったじゃないですかぁ、そこで二十分くらい探索時間欲しいんですけどぉー」

「時間に余裕あるようにはしてるが、あそこ通りますか?」

 渡辺が翼果を見ると、彼女はこくりと頷いた。

「二十分くらいなら問題ない」

「じゃあお願いしまーす」

「よし、さあ出発するぞ」

 皆が渡辺と翼果に続く中、アイマンだけが立ったまま微動だにしない。

 一衛がアイマンの顔を覗き込む。

「隊長、アイマンさんが寝ています」

「叩き起こせ」渡辺が振り返らずに言った。



 一衛たちがいる場所ではない、苔生した巨岩がゴロゴロとある霧の深い森。

 曲がりくねった樹の上で、鳥の顔をした猿(※22)が、喉の青い袋を膨らませて鳴いている。

 その鳥猿は急に鳴くのを止めると、周囲をキョロキョロと見回した。

 何かの危険を察知したのか、仲間への警告の鳴き声を発しはじめた。

 そして、その声を聞いた仲間と共に、樹から樹へと飛び移りながらその場から逃げて行く。

 静まり返った森の中。複数ある巨大な岩の一つに、短い裂け目がある岩があった。

 そしてあり得ないことに、その裂け目がぐにゃりと変形しながら開き始めた。

 パックリ開いた裂け目の奥から黄色い眼球が現れる。横長に波打った複雑な形状の瞳孔が拡大した。



 狭い沢を浅く赤い小川が流れている。

 小川の周囲は白い砂利、そして小川を挟む青白い岩肌の崖になっている。おそらく鉄分で川が赤くなっているのだろうが、血のようにみえて周囲の白い砂利が大量の骨に見えなくもない。

 両脇の崖には岩肌を隠そうとするように黄色いシダ植物が群生していた。

 その不気味な赤い小川沿いを、列をなして一衛たちが歩いている。


「昨日のあの大蛇襲撃みたいなことって、イレギュラーだったんですね」

 最後尾の一衛が前を歩く笹村に話しかける。

「大蛇じゃないよ、魚だってば」

 茶屋が大蛇発言に異を唱えたがスルーする。

「確かに隊長はイレギュラーって言ってたけどな、あれくらいの事はしょっちゅうあるぞ」

「イレギュラーなのにしょっちゅうあるんですか」

「そんだけ計画通りにはいかないのが黄泉森だからな。まあ、それでも翼果さんの言う事聞いてりゃなんとかなる。YOMOTSU歴三年の俺が言うんだから間違いねえよ」

「三年って微妙だよねー」茶屋が意地の悪い声色で突っ込む。

「うっせえ」

「チャーヤさんは何年目なんですか?」

「あたしぃ? あたくしチャーヤは、五年目でございますわよ、大先輩なのでございますわよ、うふふふ」芝居がかった物言いで茶屋が答える。

「そんなに違わねえだろ」


「チャーヤー!」

 一人、先行している翼果が呼んでいる。

「はーい!」

「湿地帯ってこの場所で合ってるかぁー?」

「今行きまーす」そう答えて茶屋は翼果の元に小走りで向かった。


 そう高くない崖の上で翼果がこっちこっちと、手を振っている。

 崖をよじ登って上にあがると、そこには湿地帯が広がっていた。

 大皿サイズの黄色い花(※23)が、湿地の水辺を埋め尽くすように浮かんでいる。

「そうそう! ここです、ここです!」

「これはすごいですね」

 一衛が思わず口にした通り、水辺を埋め尽くす黄色い花が広がる景色は壮観だった。水の透明度も高く、花の上を半透明の翅をした蝶が舞っているの様も美しかった。



 茶屋はジュラルミンボックスを地べたに置くと、道具をガシャガシャと取り出してフリマの店の様に広げる。

「最近、黄泉森の水生生物の遺伝的共通点を研究してて、もう少しサンプルが欲しかったんだよねー」

「そうか、水辺の中心部は危ないから近づかないでくれ。何かするなら水辺の端の方でやって欲しいが問題ないか?」茶屋の意図を組んで翼果が注意点を伝える。

「全然だいじょーぶです、端っこでー」

「みんなもなるべく水の中に入らないでくれ。入らざるを得ないことになっても、中心部には絶対に近づかないように」

 その言葉に各々が返事をした。


 翼果が手招きをして渡辺を呼ぶ。

「なんですか」

「この辺りは今言ったこと以外は安全だから、ちょっと任せていいか?」

「問題ないです」

「探してるものがこの近くにあるんだ、出発前には戻るから」

「了解です」

「じゃあ頼んだよ」と言いながら翼果はバッタのような跳躍力で木の枝に載ると、樹から樹に飛び移りながら、あっという間に森の奥に消えていった。


「アイマンはどうする?」

「僕は……、そうですね。あそこの樹の下の日陰を見ようかなと」

「わかった。笹村と一衛はチャーヤに付いてくれ。俺はアイマンと向こうにいる」

「わかりました」「へーい」という二人の返事を聞きながら、渡辺はアイマンの後について水辺の奥に向かって歩いていく。


 茶屋が小型のたも網を水辺の端に突っ込んで、バシャバシャと上下に揺らしながら水草ごとすくい上げている。

 その向こうで一メートルくらいの青白いオオトカゲ(※24)が湿地を横切っていた。よく見ると同じ青白いトカゲが数匹湿地の中におり、黄色い花に顔を突っ込んで蜜を吸っているトカゲもいた。


 突然バシャバシャと水の中で何かが暴れてる音がする。見ると花が閉じ、頭を包み込こまれているトカゲが暴れていた。

「うへぇ、あれって花がトカゲ食ってんのか?」

「あれはミズサンサンソウモドキ(※25)。ミズサンサンの花に擬態した肉食性の昆虫だよ」

 網の中から小魚を摘まみ上げながら、茶屋が笹村の疑問に答える。

「虫!? 虫なのかよ」

「笹村さん」トカゲを捕食している花虫に恐怖している笹村に一衛が声をかけた。

「あん? なんだ?」

「翼果さんが森に入る前に云ってた、森の生物の命を一方的に奪うなって、環境保護的な意味なんですかね?」

「うん? さあな、あんま深く考えたことねえなぁ」

「あれはね、環境保護とかそういうことじゃなくてね。私たちの安全の為なの」一衛の質問に茶屋が答える。

「どういうことです?」

「黄泉森の生物を一方的に大量殺傷すると、生物の攻撃性が増すの。攻撃性が上がり過ぎて立ち入れなくなったエリアもあるのよ。チャーヤも主任から間接的に聞いた話なんだけどね。昔は高圧力式空気銃の携帯が許可されてたんだって、エアガンの強力なやつね」

「そんなものがあったんですね」

「うん、黄泉森の生き物って危険なものが多いじゃない。それで十五年くらい前に空気銃のガトリングタイプのものが開発されて導入されたんだって。翼果さんはそもそも単発式の空気銃にも反対してたんだけど、上層部が探索者たちの安全確保の為には必要だって押し切ったみたい。それでその後、ガトリング空気銃を携帯して森に入った探索チームが、翼果さんとガード一人を残して全滅したの。しかもその頃のチームって今みたいに少人数じゃなくて、十数人編成だったのによ」

「マジか、何があったんだ」

「生き残ったガードと翼果さんの話によると、危険度の高い生物の襲撃を受けて恐怖にかられたガードの一人が、ガトリング銃を乱射してしまったの。恐怖が伝染したのか、他の人もつられて乱射し始めて、辺りにいた大量の生物を殺傷してしまったのね」

「そんな状況からどうやって全滅したんですか?」

「大量殺傷直後にね、森が攻撃的になったのよ」

「森が攻撃的ってどういうこっちゃ?」

「そのエリアのすべての生物がね、狂暴化したらしいの。動物だけじゃなくて植物も」

「生き物全部が襲ってきたってことかよ」

「襲ってきただけじゃなくて、攻撃的な形態的な変化も起きたんだって」

「攻撃的な形態変化って、まさか急に角や牙が生えたとか?」

「そういうことみたい。チャーヤも直接見たわけじゃないんだけどね」

「そんなバカな」

「そんなバカなだよね。そんなことがもしあったとしたら、変化というより進化だもん。自分の目で確かめてみたいんだけど、そのエリア、今は立ち入り禁止なんだよね」

 茶屋はそう言って、サンプルケースに入れた触角の生えた小魚を掲げて眺めた。



 翼果が高さ十メートルはある巨岩の上で、しゃがみながら周囲を見回している。

 地面付近を濃霧が漂っているが、彼女にはよく見えているようだった。地表を覆う霧の層のあちこちから巨岩が頭を出すようにあり、その合間から背の高い樹が生えている。

「あそこかな」

 そう言って岩から飛び降りると、スラっと生えた樹の下でしゃがみこむ。木の根から生えている赤い饅頭(※26)のようなものを発見した。

「あったあった」

 翼果は腰のナイフを取り出すと、饅頭を根元から切り取って袋に入れる。

「予備にもうひとつ欲しいな」そう独り言を言いながら立ち上がると、周囲をまた見回す。


 遠くでメキメキと樹を薙ぎ倒す音が聞こえる。


 翼果は反射的にそちらに顔を向ける。

「なんだ……?」

 音がした方から樹々が騒めく音が近づいてくる。

 音はみるみる大きくなり、緑色のモモンガ(※27)の群れが現れる。

 ジチチチ、と警戒音を発しながらモモンガの群れが翼果の頭上を移動していく。

 モモンガに混じって小型の鳥や、耳の大きなイタチ(※28)なども地面を走っている。

 モモンガの一匹が飛んできて翼果の顔面に張り付いた。

 それを片手で掴んでベリッと引き剝がすと、ミャーミャー鳴いてジタバタするモモンガに言う。

「何事だよ」

 小動物の群れが通り過ぎたくらいに、また樹が倒れるような音が更に遠くから聞こえた。

 警戒した面持ちでそちらの方を見る。

「湿地帯に移動してる……。戻った方が良さそうだ」



 日陰になった樹の裏側にへばり付いた粘菌を、アイマンが這いつくばる姿勢で覗き込む。ぼんやりした光を帯びた枝分かれしたサンゴのような形状の粘菌(※29)をピンセットで採取する。その後ろを渡辺が見守るように立っていた。


 急に一衛が顔を上げて辺りを見回す。

 気配……匂い……いや、空気なのか、何か分からないが何か変わったのを感じた。

「どうした、なんかあったか?」

「あ、いや……なんか今、空気変わりませんでした?」

「空気? いんや、何も感じなかったが……」

 笹村はそう言葉を切って考える顔をした。

「そうだな、森での直感は大事にした方がいいかもしれねえな」

 そう判断した笹村は、少し離れた位置にいる渡辺に向かって指笛を吹く。

 こちらを見た渡辺に手信号を送った。


 それに手信号で渡辺が答える。

 アイマンが茂みから頭を引っこ抜いてペタンと座って渡辺を見た。

「なんです?」

「さあな、とりあえず注意しろってことらしいが」

 アイマンは粘菌サンプルを鞄に仕舞うと立ちがり、身体についた草を払った。

「それじゃ、笹村さんの方に戻りましょうか」

「了解、警戒しながら戻ろう」

 アイマンが少し歩いて立ち止まる。

「どうした?」

「あれ? あんな木の根ってありましたっけ?」

 アイマンが見ている先に、苔生した太い木の根が森から飛び出すように横たわっている。


 その木の根に気を取られている二人の背後、森の暗がりの中で、樹の幹が触手のように動きはじめた。

 その樹の触手がわずかに草を擦る音を立てる。

 その音に反応した渡辺は、振り返りつつアイマンの背中を掴む。そのままアイマンを自分の後方へ引っ張り倒した。

 訳も分からずひっくり返ったアイマンが身体を起こす瞬間、ドゴンッ、と鈍く重い音が響いた。

 アイマンが顔を上げると、渡辺が盾を側面で構えまま宙に浮き上がっている。

 渡辺の盾に人の胴回りくらいある樹の幹が叩きつけられていた。

 渡辺を弾き飛ばした樹の表面の質感が一瞬で変化する。

 周囲の樹と同じ茶色から一瞬真っ白なのっぺりしたものに変化した後に、やはり一瞬で赤黒い色に変化する。質感が樹の幹から、ゴツゴツとしたマグマが冷えて固まった火山岩のような質感に変わっていた。

 吹き飛ばされた渡辺が地面で一回転して受け身を取り、すぐに立ち上がる。

 先程二人が見ていた木の根も、同じように見た目を変化させながら動き始めた。

 アイマンはその変化に見覚えがあった。色素胞しきそほうによる色の変化、そして皮膚の突起を自在に変えるその変化は烏賊や蛸に見られるものだ。

 変化した木の根が持ち上がり、うねりながら宙に浮かぶ。

 それは巨大な触手だった。


 その一部始終を一衛たちも目撃していた。

「チャーヤ! 荷物をまとめて一衛の後ろへ下がれ! 一衛は周囲を警戒しろ!」

 盾を構えた笹村が指示を飛ばす。


 空中に持ち上がった触手がゆっくりと縮むように曲がる。

 その様子を金縛りにあったようにアイマンは見ていた。

「走れ!」

 渡辺の声に我に返ったアイマンは、弾かれたように立ち上がり走り始める。

 縮んでいた触手がバネの様に伸びて、間一髪、アイマンのいた地面を叩きつけた。

 伸びた触手を渡辺がスタンバトンで殴りつける。当たった瞬間にバチンッと音を立てた。

 触手はビクリと震えて森の中に引っ込んでいく。

 脅し程度にしかならないスタン性能でも一応効いてはいるらしい。

 渡辺がスタンバトンを構え直す。盾で受けた方の腕に痛みが走る。

「クソ……折れてるな」



 触手が引っ込んだ筈の森の中に気配がない。

 一衛たちの方に向かって走っていたアイマンがつまづいて転げる。

「笹村! アイマンをフォローしろ!」

 全方位を警戒しながら渡辺が指示を出す。

 笹村はその指示を聞く前に、笹村の元に滑り込んでいた。

 盾を森側に構えてアイマンに声をかける。

「動けるか、アイマン」

「あ、足が震えて……」

「向こうの岩陰が見えるか? そこにチャーヤと一衛――」

 笹村の話の途中でムチのような影が、森の中から軌道が把握できないスピードで飛んでくる。笹村が反射と勘で盾を向けた。

 今までの太い触手では無い。細い触腕が笹村の盾にガチリと音を立ててへばり付いた。触腕の先端に鋭い鉤爪がついていて、その爪が盾にくい込んでいる。

「……!」

 盾が笹村の手から強引に引き剝がされ、触腕と共に一瞬で森の奥へと消えた。

「クソ! 持ってかれた」

 笹村は腰に付いたスタンバトンを抜いて構える。

 そこに渡辺が合流する。


 森の暗がりの中で巨大な何かが蠢いている。

 そして、森の中から巨大な二本の太い触手が伸び出てきた。

 その二本の触手は威嚇するように高く上がり、残りの触手をうねらせ、樹々の狭い隙間を身体をぐにゃりと変形させながら、それは森から出てくる。

 ギョロリとした黄色い目、頭の上についた小さな耳のようなヒレがピコピコと動いている。攪乱の意図なのか、その体色を明滅する縞模様に変えていた。触手に吸盤は無いがその造形は蛸そのものだ。

 でかい。胴体だけで十メートルはある。

「じょ、冗談だろ……」

「笹村、アイマンを連れてあいつらの所まで行け。水には入るなよ」

「隊長は?」

「俺が囮になる。最悪俺を置いて逃げろ」

「了解」

 笹村はアイマンを後ろから抱えて、バックしながら引きずり移動する。

 巨大蛸がググッと体を後ろに傾ける。

 少し空いた地面と触手の間の空間から鞭のような触腕が射出されるように飛び出す。鉤爪のついた触腕はアイマンたちを狙っていた。

 その間に躍り出た渡辺が盾で触腕を上に弾き上げる。

「グッ!」

 腕に走る痛みで顔を歪める。


 深く吸った息を、一気にフッ! と吐き、気合を入れる。

「来ぉい!」

 その渡辺の咆哮に答えるように、太い触手が連続して襲い掛かる。

 まともに受けるとまた骨をやられる。両手で盾を構えた渡辺は触手を避けながら、避けきれないものは盾を使ってうまく受け流した。

 死角から飛んできた触腕が盾に絡みつく。渡辺はなんとか引っ張って盾から触腕を引き剥がそうと力を込めるがビクともしない。

 動きを止められたところに横薙ぎの巨大触手が飛んでくる。

「しまっ……!」


 不意に盾を固定していた力が消え、渡辺が後ろに倒れた。渡辺の頭上スレスレを触手が風を纏いながら通り過ぎていく。

 いつの間にか戻ってきていた翼果が、ナイフで触腕を切り落としていた。


 ギョアアアアアアアアア!


 巨大蛸が耳障りな怪音を立てて湿地の水面が震える。

「遅くなった」

 翼果がそのデカいナイフをくるくると回しながら蛸の方を向く。

「渡辺、みんなを連れて崖下の小川まで下がれ」

 頷いた渡辺が走り去る。それに反応して蛸が渡辺の方に注意を向けた。その蛸の顔に翼果の放った矢が二本突き刺さった。

「こっちだ、タコ入道」

 蛸の瞳孔が拡大した。

 怒り狂った蛸が触手をバタつかせながら翼果に突っ込んでくる。翼果はそれを大きく跳んで躱しながら湿地の中へ蛸を誘導していく。

 薙ぎ払われる触手で黄色い花びらが舞い上がる。

 水面を蹴り上げるように飛んで、触手を躱す翼果の爪先から流れる水が弧を描く。

 舞い散る無数の黄色い花吹雪の中、翼果は湿地の中心部に着地した。

 そこに飛んできた触腕をナイフで弾く。

 巨体に似合わず、滑らかに水の上を移動してきた蛸は翼果の正面で一度止まった。


 翼果の足元にゴボリと気泡が上がる。

 それをちらりと見て確認し、蛸に視線を戻す。

 翼果はリラックスするように、両肩をぐりっと回してパシャンパシャン、と軽く二度跳ね、ナイフを構える。

 蛸は大きく触手を広げながら翼果に飛び掛かった。

 ゴボボと大きな気泡の塊が翼果の足元に上がり、その瞬間に翼果は大きく後ろに大ジャンプした。

 気泡と共に水中から巨大な大顎が飛び出し、蛸の触手を数本切断した。

 水の中から出現した巨大な顎の持ち主(※30)は、ムカデのような長い身体を水面にバシャリと倒した。

 ギョアギョギョギョアアアアア!

 断末魔を上げながら蛸がドタバシャ暴れもがいていた。


 崖下の赤い小川の周辺で皆が待っていると、翼果が崖を滑り降りてきた。

「皆、無事か」

「隊長が骨折したみたいです」

 笹村が翼果に現状を報告する。翼果は脂汗を額に浮かべる渡辺を見る。

「そうか、とりあえずカワカミ商店まで戻ろう」




 ガシャリと荷物を下ろして茶屋が岩場でぐったりとへたり込む。

「疲れたぁー」

「どうします?」一衛が渡辺に指示を仰ぐ。

「フィールドワークは中止だな。商店で一晩身をひそめて――」

「いや、このままノンストップで移動して森を出た方がいい」

 翼果が渡辺の提言を遮って言った。

「ノンストップって……、夜通し歩くことになりますよ」

 予想外の翼果の提案にアイマンが驚いた顔で返す。

「あのタコ、あいつは根に持つタイプでね、しつこいんだ。ここに留まっても夜中に襲撃されかねない」

「それは……嫌っすね」笹村が顔をしかめた。

「夜通しかぁ……」茶屋が絶望の表情を浮かべる。

「夜の森は危険だって言ってましたよね。注意点が聞きたいです」夜の恐ろしさの片鱗を味わった一衛が口を挟んだ。

「そうだな。まず、なるべく物音を立てないこと。それでも近づいてくるのがいたら遠慮なくスタンバトンで殴ってくれ」

「了解、何も考えず殴りますわ」笹村がスタンバトンを回す。

「それでいい。あと、帰り道で断トツに危険な奴らがいる。色は黒くて、大きさは二メートルくらい。素早い上、集団で狩りをする奴らだ。嘴と爪に注意してくれ。暗くなってすぐには出てこないが、午前零時くらいから出没し始める」

「嘴ってことは鳥なんですか?」

「羽は生えてないし、飛べない鳥だな。足が速いんだ」

「ダチョウみたいな奴ってことですかね?」一衛はアホっぽいダチョウを思い浮かべた。

「一応、対抗策は用意してあるけど、みんな充分注意してくれ」そう言って翼果は腰のポーチから、丸みのある菱形の物体を取り出してベルトに直接付けた。

「なんですかぁ? それ」

鳥笛とりぶえだ。そのダチョウに似たヤツに対抗する秘密兵器だよ」

 茶屋の質問に翼果が答えた。

「そんなわけだから、置いていっていい荷物は全部商店の中に置いていってくれ。なるべく身軽にするんだ」

「了解です。よし、各自出発の用意しろ」

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