エピローグ:君と歩く、雨上がりの坂道

あれから、七年の月日が流れた。

僕は今、社会人二年目。大学で専攻した建築学の知識を活かし、都内の中堅設計事務所で働いている。覚えることはまだ山のようにあるけれど、自分が設計に関わった建物が形になっていくのを見るのは、何物にも代えがたい喜びだ。


「湊、お待たせ! ごめん、ちょっと教授に捕まっちゃって」


背後から聞こえてきた明るい声に、僕は振り返って微笑んだ。そこに立っていたのは、僕の恋人、相沢美咲(あいざわみさき)だ。大学院で研究を続ける彼女は、今日も少し慌てた様子で、でもその笑顔は太陽のように輝いている。


「ううん、大丈夫だよ。お疲れ様」

「湊もお仕事お疲れ様。さ、帰ろっか」


そう言って、美咲はごく自然に僕の左手に自分の手を絡ませてきた。僕より少しだけ小さい、温かくて柔らかな手。この温もりが、僕にとって何よりの宝物だ。


美咲――高校時代、クラス委員長だった相沢さんとは、あのボーリングがきっかけで仲良くなり、ごく自然な流れで付き合うことになった。彼女はいつも明るく、僕の隣で笑ってくれる。僕が仕事で落ち込んでいる時には、何も言わずに隣に座って、僕の好きな映画を一緒に見てくれる。彼女の隣にいると、心が穏やかになる。


僕たちは今、大学の近くの小さなアパートで一緒に暮らしている。いわゆる、同棲というやつだ。


二人で並んで歩く、帰り道の坂道。夕日が僕たちの影を長く、長く伸ばしている。


「そういえばね、この前、蓮くんから連絡があったよ」

「蓮から? 何かあったの?」


美咲が、僕の親友の名前を口にする。蓮は、大学でも体育会の花形選手として活躍し、卒業後はプロのスポーツトレーナーとして、海外で頑張っている。


「うん、『日本に帰ったら、また湊の家族とみんなで集まりたい』って。雫ちゃんが作る唐揚げが恋しいんだってさ」

「はは、あいつらしいな」


僕たちは顔を見合わせて笑った。

あの出来事の後も、僕と家族、そして蓮との絆は、変わることなく、むしろより一層強くなった。


兄の嵐は、難関の司法試験をストレートで突破し、今では若手の敏腕弁護士として活躍している。妹の雫は、得意のSNSを駆使するマーケターとして、アパレル業界でブイブイ言わせているらしい。父と母も変わらず元気で、時々、僕たちの部屋に大量の食料を差し入れに来てくれる。


みんな、それぞれの場所で、それぞれの幸せを掴んでいる。そして、いつも僕のことを気にかけてくれている。


失恋という大きな傷を負ったあの日。僕は、一人じゃないということを、痛いほど思い知らされた。一つの恋を失った代わりに、僕は、数えきれないほどの「本当の愛」に気づくことができたのだ。


「……ねえ、湊」


不意に、美咲が立ち止まり、僕の名前を呼んだ。その表情は、少しだけ真剣で、どこか照れているようにも見える。


「どうしたの?」

「あのね……来週、うちの両親が、湊に会いたいって」

「え……」

「お父さんが、『娘を任せる男がどんな奴か、一度しっかり顔を見ておきたい』んだってさ」


そう言って、美咲は恥ずかしそうに俯いた。その言葉が何を意味するのか、僕に分からないはずがなかった。僕たちの関係が、また一つ、新しいステージに進もうとしている。


僕は、絡めていた彼女の手をぎゅっと握りしめた。


「うん。もちろん、ご挨拶に伺うよ」


僕がそう言うと、美咲はパッと顔を上げて、今まで見た中で一番嬉しそうな笑顔を見せた。その笑顔を守りたい。この先もずっと、僕の隣で笑っていてほしい。心の底から、そう思った。


坂道を登りきると、視界が一気に開けた。空は、美しいグラデーションを描く夕焼けに染まっている。まるで、あの日の雨上がりの空のように、どこまでも澄み渡っていた。


ふと、過去の記憶が脳裏をよぎる。

風の噂で、彼女――白石花梨が、地元で平凡な事務員として働いていると聞いた。そして、神宮寺颯真という男は、様々な職を転々としているらしい、とも。彼らが今、幸せなのかどうか、僕には分からない。でも、もう、どうでもいいことだった。僕の人生において、彼らはもう、何の関わりもない過去の登場人物に過ぎないのだから。


「湊?」


僕が少し黙り込んだのを、心配したのだろう。美咲が不安そうに僕の顔を覗き込む。


「なんでもないよ」


僕は彼女に向かって微笑みかけると、その唇に、そっと自分の唇を重ねた。驚いたように目を見開く美咲。坂道の途中、少し大胆すぎたかもしれない。


「もう……ここでしなくても」

「ごめん。でも、したくなったから」


真っ赤になって照れる彼女が、愛おしくてたまらない。

僕はもう一度彼女の手を強く握りしめ、僕たちの「家」へと続く道を、再び歩き始めた。


失った恋の痛みは、もうない。

僕の隣には、僕を愛してくれる君がいる。そして、僕を支えてくれる、最強で最高の家族と親友がいる。


雨上がりの澄んだ空の下、僕は、確かな幸せを噛み締めながら、未来へと続くこの坂道を、君と一緒に歩いていく。これ以上ないほどの、幸福な未来へと。

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幼馴染の彼女に裏切られたけど、俺は復讐しない。代わりに俺の最強の家族と親友たちが地獄を見せてくれるそうです @flameflame

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