第10話 灯火ステップ

  翌朝。

 舶灯館の帳場に立った千尋は、予約台帳を開き、思わず息を呑んだ。


 ——宿泊予約は、そこまで増えていなかった。

 どれだけ強がっても、数字は誤魔化せない。


 静かすぎるロビー。

 遠くで、波の音だけが聞こえる。


(何かを変えなきゃ——間に合わない)


 そのとき、玄関の自動ドアが軽く開いた。


「おはようございます!」


 明るい声とともに、瑠夏が勢いよく入ってきた。

 背中には大きなリュック。両手には、紙袋と箱がいくつも抱えられている。


「ごめんなさい、ちょっと手伝ってください!」


 蓮と千尋が慌てて荷物を受け取ると、中からガラス瓶とスプレーボトルが姿を見せた。


「これ……何?」


「かぼすの精油とルームスプレーです。

 食品会社さんに搾ったあとの皮を譲ってもらって、

 地元の精油所で抽出してもらいました。」


 瑠夏はスプレーをひと吹きした。

 その瞬間、ロビーの空気が一気に明るく広がった。

 柑橘の香りが、冬の冷たい空気を柔らかく溶かしていく。


「……すごい。気持ちが軽くなる香り。」


「はい。香りは“場所の記憶”を作るんです。

 ここへ来た人が、また思い出してくれる理由になります。」


「他にも、かぼすの皮から抽出した精油の主要成分——

 リモネン と リナロールには」


 瑠夏は指を折って説明する。

✔ リラックス効果

✔ 自律神経を整える作用

✔ 不眠の改善

✔ 抗菌・消臭効果

「舶灯館を、“香りの宿”にするんです。」


 千尋が息をのんだ。


「料理がなくても、泊まる価値は作れます。

 “食じゃなくて、空気で人を呼ぶ”作戦です。」


 瑠夏はさらに続けた。


「皮は精油に。実は絞ってジュースやデザートに。

 そして、絞ったあとの皮は——」


「お風呂に浮かべる……?」


「はい。露天風呂に緑のかぼすを浮かべて、写真映えを狙います。

 温かい湯に浮かぶ緑の球体、照明の反射——

 絶対、SNSでバズります。」


 千尋は、泣き笑いのように肩を震わせた。


「そこまで、考えてくれてたの?」


 蓮はその光景を想像し、自然と笑みがこぼれた。


「視覚と香りで印象付ける。——素晴らしいアイデアだ」


「で、もし許可をいただけるなら、露天風呂の前のウッドデッキで、

 **女子高生5人で“ステップダンス”**を踊りたいんです。

 制服ダンスって映えるので。

 露天風呂が背景になれば、SNSで絶対にバズります。」


「ステップダンス……?」


「**“灯りを消さない”**ってテーマ。

 守りたい場所がある人たちのダンス。

 ハッシュタグは #ステップダンス #灯りを消さない」


 千尋は思わず笑った。


「そんな発想、思いつかなかった」


「まだあります!」


 瑠夏は、色とりどりのパンフレットを広げた。


「地元の商店街のみなさんに協力をお願いしてきました。

 共通夕食券を作ります。

 『素泊まり+街で夜ごはん』プランです!」


「共通夕食券……?」


「はい。

 お寿司とお刺身が人気の《福富寿司》、

 揚げたて鯵フライで学生に大人気の《食堂みなとや》、

 ワンタンラーメンが地元民に人気の《満月軒》、

 かぼすジェラートの《キラリカフェ》……

 全部で7店舗、自由に選べます。」


 千尋と蓮は同時に声を上げた。


「え、7店舗も!?」


「はい。

 『高校生が本気なら、応援しない理由がない』って言ってくれました。

 商店街をまわって全部お願いしてきました。

 断られたらどうしようって思ったけど……

 話したら、みんなすぐ動いてくれて。」


 瑠夏は照れたように笑った。


「大人がやると難しいのに、

 高校生が言うと、なんか動いてくれるんですよね……」


 その言葉に、千尋の胸の奥が熱くなった。


「……ありがとう。本当にありがとう。」


「灯り、まだ消えませんよ。」


 瑠夏はそう言って、スマホを構えた。


「準備ができたら動画撮りますよ。

 最初の“ステップダンス”の練習、一緒にお願いしますね?」


 千尋は泣きそうな笑顔で頷き、

 蓮は静かに拳を握った。


(——灯りを守る戦いは、ここからだ)


 舶灯館の玄関の橙色の光は、

 昨日よりもずっと強く輝いた。


―― 第10話 了 ――


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