第1話〈超常〉
返答は、言葉ではなかった。
漆黒のローブに身を包んだ人影の気配が切り替わる。常人ですら感じ取れるほどのビリビリと肌を刺す殺気を迸らせ、彼は右腕を勢いよく前へと突き出した。
直後、現実世界ではあり得ない現象が起こる。伸ばされた右腕、前へと向けられた手のひらの先、空中に真紅の光が乱舞する。まるで火の粉の如き輝きは瞬く間に数を増し、相互に繋がり線を成し、ものの数秒で幾つもの図形や文字が組み合わさった複雑な図柄を空中に描き出した。
ソレが何か。現実で見たことがある者などまずいなくとも、答えを挙げることができる者は決して少なくない。小説、漫画、アニメ、ゲーム。何かしらの媒体でファンタジーな世界観に触れたことのある者ならば、即座に思い浮かぶ一つの答え。即ち――魔法陣。
ローブの人影が伸ばした手の先、突如として空中に現れた真紅に輝く図柄は、まさに魔法陣にしか見えないものだった。
ファンタジー小説に出てくるような怪しい魔術師の風体をした人物が、原理不明の光の線で空中に魔法陣を描き出す。いよいよ現実離れ、ファンタジー染みてきた状況を前に、されど青年の余裕は揺るがない。
超常の現象を前にして、何ら変わらぬ日常に身を置いているかの如く平然と言葉を紡ぐ。
「またそれか? ついさっき無意味だと――」
「■■■■!」
ローブの人物は、青年の言葉を悠長に聞いたりはしなかった。彼が喋っているのもお構いなしに、言語らしき何かを叫ぶ。真紅の魔法陣が一際強く発光し、瞬間、そこから紅蓮に耀く炎の槍が撃ち放たれた。
魔法陣は、業火の槍を放つための砲塔であり砲口だったのだ。空を裂き、風を灼き、燃え盛る火炎の槍が凄まじい速度で青年へと襲い掛かる。常人ならば驚きや恐怖の感情を覚える暇もなく、現状の理解すらできないままに跡形も無く焼き尽くされてしまうだろう状況。
故にこの瞬間、一つの事実が示される。
「だから、無駄だよ」
木の棒を握るのとは逆。左の手を、青年は無造作に前へと突き出した。目前まで迫った炎の槍を、無防備に伸ばした掌で受け止めて――直後、一切の抵抗を許すことなく五指を閉じ、即座に握り潰してしまう。灼火の槍はあまりに呆気なく砕け散り、炎の残滓が儚くも美しく風に溶ける。
「全く、少しぐらい喋らせてくれても良いだろうに」
青年はやれやれと言った様子で肩を竦めながら、僅かな火傷も負っていない左手を見て言葉を続ける。
「さっきより威力も速度も上か。魔法陣も違ったし、込められた魔力量も多かった。同じ魔術でも色々と調整が効くのか、そもそも別の魔術なのか……異世界の魔術、中々に興味を惹かれるところだが――」
刹那。瞬きもすることなく青年を注視していたローブの人物の視界から、その姿が消失する。
「聞く当ては他にあるんでな」
声は、ローブの人影の至近から。
「ッ!?」
男が気付いた時には、青年はすぐ傍に立っていた。瞬間移動したとしか思えない、神速の歩法。完璧に、右手に握った木の棒の間合いだ。
青年の右腕が霞む。接近が神速なら、繰り出される一撃もまた凄まじい速度だった。へし折れないことが不思議なほどの猛烈な勢いで、木の棒が風を巻き唸りを上げて振るわれる。
迫る一閃からローブの男を護るように出現する、光り輝く壁のようなもの。だが、無意味だ。明らかに超常の現象に違いない光の障壁を、青年が振るう木の棒は真っ向から砕き割る。何の変哲もない、取るに足らない日常のアイテムが超常を粉砕する。
そのまま、一切勢いを減じることなく、木の棒はローブの人物の胴を捉え打ち据えた。
鈍い大音が大気を揺るがし、衝撃が暴風となって周囲へ伝播する。炸裂するエネルギーが、ローブの人影をとてつもない勢いで吹き飛ばした。
「ぐァ!?」
明確な苦悶の声を漏らし、男は砲弾の如き速度で植えられた木の幹へと激突する。響く轟音。根元から幹を圧し折って、それでも勢いは止まらない。さらに数本の木に激突し、次々と幹を圧し折りながら、ようやく速度を失い木の幹に叩きつけられるようにして動きを止めた。
「しまった。片付けがめんどそうな感じに……」
木の根元で力なく倒れ伏すローブの人物よりも、無残にも圧し折れた木々の方を見て青年が言う。
と、その直後だった。
倒れ伏した男の周囲に、キラキラとした青い光が舞う。光の粒子が瞬きの間に数を増し、勢いを増し、空中に描き出すは凍てつく輝きの魔法陣。
男が上体を起こす。常人であればまず死んでいるだろう一撃を食らっても、彼は気を失ってすらいなかった。
無論、青年に驚きはない。疾うに分かっていたことである。
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